幕間‐2 獣神の契約者 2
ハッサドside
かしゃりと小さな音を立て、白銀の髪の男から契約者が手に取り陛下や私達に見せたのは、袋に入った何かと細身な剣。一体何を……まさか陛下の御前で抜剣するつもりか?!
確かにあの者の体格に合った剣だと言えるそれは、見た目だけならどこもおかしくはない。そして徐に剣の柄と鞘を持ち鯉口を切ろうとする。『王の前で剣を抜く事がどんなに大事か知らないのか!』と怒鳴りつけたくなったが、陛下に視線で遮られてしまい注視に留める。何事かあれば獣神の契約者であろうと容赦はしない。そう半ば睨んで見ていたが……その剣身は中間辺りで無惨にも叩き折られていた。
『!』
剣を操る者にとって、いや私もそうだが、武器を折られるというのは非常に厳しい。戦闘時然り、精神面でも。あの体躯で剣を操るのか、とふと過ぎった思索を消し去り折られた剣をただただ見つめるしかない。だとすればあの袋の中身は木棒の成れの果てなのだろう。
キンと納剣すると、契約者は私を真っ直ぐ見上げる。視線が重なり初めて気付いた。契約者の目が据わっている事に。あれは様々な事を熟考した上で怒りや憤りを殺した眼だ。……彼、いや彼女なのか分からないが恐らく男か。髪は切る機会が無かっただけだろう。だが、あの者は本当に平民か?
『……恐れながら、陛下にお聞きしたい事がございます』
『何なりと仰られよ』
いつの間にか始まった陛下との会話に、耳を傾ける。彼の隣と背後に佇む男達が全く口を開かない事が少々気になる所ではあるが後回しだな。
『私共は今後、保護と言う名の下に王宮……いえ、首都での暮らしを受けなければならないのでしょうか?』
その言い回しに違和感を感じたのは自分だけではないはずだ。文官の3人も貴族の当主も怪訝そうな表情へ変わりつつある。
『私が未成年だから保護をとのお考えならば、どうぞ捨て置き下さい。私は今年で成人を迎えます。何より、申し訳ありませんが……私は保護を望んではいないのです』
その言に、とうとうざわりとどよめきが走った。
『保護を、望まないと申されるか』
『私はただ、今まで通り旅を続けたい。望むのはそれだけです』
これまで通りに4人で自由に国を旅して回りたい。そう、彼は静かに口を継いだ。
『剣と木棒の件を批難出来る権利を閣下は下さいました。ですが、それよりも私は自由を望みます。剣はダルムの皆さんにお詫びした上でまた鍛錬してもらうことも出来ます。ですが、この身の自由は、今、陛下の御心に賭かっております。どうか私のただ1つの願い……叶えて頂けませんか』
『……』
もし苦情を言えばその時点でこの者が新たに何かを願い出る事は厳しくなる。だから……壊された大切な物に対する不服を言わないのか。今ここで剣の弁償を申し立てるより、我が身の自由を優先させることを選んだ。若しかしたら薄々気付いてはいるのではないかと思った。王宮へ連れて来られた事で、己の自由が無くなることに。もしこの自分の憶測が合っているならば、それは正しい。
この者は獣神と契約することがどれ程成し難い事か分かっていないのか?一国の王ですら契約できる事などままない。人間側がいかに望もうと、それを察した獣神が契約する事などない。だからこそ他国に狙われる前に保護すると言うのに。
陛下は何も仰らない。だがその胸内は既に決まっているはずだ。でなければ中堅貴族の当主である彼をこの場に呼ばないだろう。
『その願い、叶えたいのは山々だ。……だが一国を統べる王として、申し訳ないが成就させてやる事は罷り成らぬ。獣神の契約者となった今、自身が大変貴重な存在となられたのをご存知か。契約者どころか獣神すら先王の治世でも現れることは無かった。その存在が表へ姿を出された事は既に一部他国にも知られているだろうと思う。貴方が狙われる可能性を少しでも減らしたい』
重々しく告げられた陛下を見る彼の顔には、何の表情も浮かんでいない。先程私が感じた憤りを押し殺した据わった眼ではもうなくなっていた。これから今までの自由な生き方を奪われるという哀しみも怒りも無く、首都で、それも貴族並みに暮らせるという民が持ちそうな喜びや憧憬も無く。ただ、無表情でそこにいる。
『出来得る限り、貴方が自由に過ごせるよう取り計らうつもりだ。何か望みがあればここにいる宰相に申し付けると良い。異国の出身とのこと故、家族を呼び寄せたければ迎えを用意するが』
『……、有難うございます。ですがお気遣いは不要です』
一瞬詰まり、それから淡々と返した本人よりも僅かだが背後の男が辛そうにしたのは一体何故だ?あの男は契約者の何かを知っているのだろうか。
『そうか。貴方は今年成人を迎えるとは言え、今は未だ未成年だ。これから保護者となる者をお付けする。身内と思い頼られよ。ダウエル』
『はい』
陛下の称呼に中堅貴族の当主、ダウエル・ナータ・ハイドウェルが応じ軽く一礼した。彼こそあの莫迦とは違い上位貴族に相応しいのではないかと陛下も私も思っている。彼を頂点とする財務の仕事は、それこそ地味だが日々間違いが許されない計算に追われる厳しいもの。しかし無くてはならない重要な役目。信用に足る職務ぶりは東西南の文官にも知られる所でもある。だが敢えて中堅のままでいるのはそれなりに意味がある。陛下が彼を陞爵しないのもそのせいだ。
彼を保護者役として付けたのは彼の性格が大きい。穏健にして柔和、不当な事で他人を攻撃することがない。無論いざとなれば不屈の意志を持つ。だからこそ選んだ。何より子を持つ親でもある。
『この者は我が国の貴族の中では中堅に居る者だが、余と宰相の信用に足る男だ。成人しているが息子も居る1児の父でもある。貴方には彼の屋敷で過ごして貰うこととなる』
『……』
『無論獣神や2人も同様にダウエルの屋敷で暮らすこととなる。貴方の心許せる者だ、引き裂く真似はしない』
『陛下のご高配、痛み入ります』
押し出すように、苦しいものを噛み締めるようにたった一言。頭を垂れた為にその表情は読めなかったが、左右の獣神と男が歯を噛む悔しさを滲ませた表情をしていた。
東西南と文官が名乗るだけの挨拶を述べた後、私は気になっていた事の1つを聞いた。
『貴方の髪は、伸ばしているのですか?』
シン国では、女なら良いが男なら貴族以上でなければ肩以降の長髪は許されない。彼の服は平民のそれ。異国の民として知らなかったとしても、この国で暮している以上は彼が髪を伸ばすことは出来ない。
彼は私を見、徐に折れた剣を抜くと片手で自身の紐で結わえている髪を握るとブツッと鈍い音を立て、躊躇無く髪を断ってしまった。こちらが止める間もなく。
『……これで、よろしいでしょうか』
私は男だと思ったが、性別は未だに確定出来ていない。もし女であったなら切る必要はなかったのに、こうもあっさりと短くしてしまうとは思わなかった。髪はまた伸びるのだとしても、だ。その行為に驚愕しているのは陛下や文官達よりも、寧ろ彼のそばに控える男や獣神だった。驚愕よりも絶句が正しいかもしれない。
『他に、直さなくてはいけない所はありますか』
彼の声はどこまでも静かで淡白。髪の長さを少し聞いただけで『修正するもの』として捉えられてしまった。これでは迂闊に物を尋ねることは出来ないな。聞いたそばから全てを直そうとしかねない。
『名を、伺って良いか?』
陛下の問いに会釈程度に背を傾けた彼。
『皆にはシノブと呼ばれております』
たった3文字の名。その名を聞き取れたのは、恐らく彼が我が国で常々呼ばれて来た発音で答えてくれたからだ。『シノブ』とは……また変わった響きを持っているな。国内でこのような響きを伴う名を持つ者は居ないだろう。だが普通、平民であろうと姓と名を持つはず。名乗ったのは名であり姓ではない、何故姓を名乗らない?彼の母国では姓を持たないのだろうか。
『……シン国に来た時、姓は捨てたので申し上げられる姓は無いのです。申し訳ありません』
『何故?』
『シン国へ来た時には帰郷の望みは既に薄かったからです。帰国を諦めたわけではありませんが、私の姓はあくまで母国にあって意味を持つもの。この国では不要と判断しました』
きっぱりと言い切ったその姿、姿勢に声が喉に詰まった。帰郷の望みが薄いとはどういう事だ。未成年だろうに何故そんなに淡々と言葉に出来る?我が国に来てからの今までに一体何があったというんだ。
『理由は尋ねないで頂きたく。……誰もが1つや2つ、他人に言えない事を抱えているもの。聡明な陛下ならお察し下さることかと思います』
問われれば可能な限りお答えしますが、と彼が口を閉じる。陛下はじっと彼を見つめていたが、『分かった』と口にされた。
『最後に1つ。その言葉遣いはどこで身に付けられた?未成年としては教養すら窺えるのだが』
『祖父は、少しばかり武を嗜んでいましたので……彼より少々、礼儀の指南を受けました。皆様に到底及ぶ域ではありませんが』
感情の起伏が薄い彼は、最後まで表立った喜怒哀楽を見せることはなかった。あの時の据わった眼以外は何も。そしてダウエルが4人を連れてこの謁見の間を辞し、3人の文官も下がってからだった。ぽつりと陛下が漏らしたのは。
『あの者にとっては此度の事は理不尽の一言に尽きるだろうに……何も言わなかったな』
『はい。不当な扱いや大事にしてきた物の破損も、不服1つ申しませんでした』
『ハッサド、良く目に掛けておいてやれ。せめてもの詫びでもある』
『はい。陛下』
こちらの勝手で、突然今までの暮らしを奪われた契約者。更には部下のせいで身を守る剣や棒まで壊されて、それでも私を、首都兵を批難はしなかった彼。その胸中、これから少しでも明かしてくれるだろうか。
私はただ、彼らが去った重厚な扉を見ていた。
忍の言葉遣いは、上記にもあるようにじいちゃんから教授したものです。但し、少々ではなく叩き込まれてます。棒術もそうでしたが、彼女が習っていた柔道では「礼に始まり礼に終わる」を軸にしていた為です。
じいちゃんは孫娘の忍にプライベートは兎も角、棒術指南の間は「師匠と門下」という形を取り、棒術同様に敬語での会話を徹底させていました。それでも忍は敬語が苦手。完璧に使いこなせてはいません。少し敬語がおかしいのはご愛嬌ということで(滝汗)
※作者も敬語が苦手です。出来るだけ正しい使い方を出来るように邁進しますが、「これは絶対変!」というものがあったら教えて頂けたら幸いです。