2-36 決着
non side
戦闘描写有り。
鞘と剣身が擦れる音を立て、忍は緩慢に左腰の柄を握り抜剣した。余りにゆっくりな動作にも関わらずダミエもその私兵も、街中の家々の路地から恐る恐る成り行きを見守るしかないストの住民でさえ、その所作に瞬き出来ず刮目する。
通常よりも細身の剣身を華奢な体躯で右手に横斜め下へ構える姿は、たとえそれが平民の服であろうと凛として思わず目を奪われる。
ざり、と地を踏む音は彼女のものだ。それにはっとした私兵が、各々抜剣と弓構えを見せる。その時だった。私兵達は確かに見たのだ。……俯き気味の忍の口元が弧を描いたのを。嘲り笑ったのではない。失笑でも冷笑でもない。忍は子供相手に人質を取るという愚かな事をしたダミエに怒っていたのだが、怒りを通り越し笑みが浮かんだのだ。
『止まれ!』
そんな私兵の声にも進める歩速は変わらない。そしてゆっくりと面を上げた彼女の顔に表情はなかった。悪態を吐くや弓兵が矢を放ったが、忍はこれを一閃し切って捨てる。
『っ、?!』
困惑し、だが直ぐ周りと意思疎通を図り弓兵達が忍へ牙を剥く。主へ近付けさせまいとするが、右手で軽量な片手剣を振るい続ける彼女に矢が届くことはなく、忍の背後には左右に分かれて矢の残骸が散らばっていた。
祖父に鍛えられたのは棒術だけではない。動体視力とそれに伴う肢体の動作速度。それが矢の両断を可能にさせているのだ。
〈あのダミエと言う男の左手にいる彼は隣国の者。そこから更に4、5人横にも1人。彼の右にも3人程居る。皆手練れだが、真っ先に動けなくした方が良いのは彼らだ〉
忍の頭中ではいつかのテノールボイスが柔く響く。まるでこの場を見ているかの指示に、忍は微かに頷いた。嫌悪感と怒りから心を遠くに置き、其れでも今回は自我を失わず彼女自身の意志で対峙していた。
弓兵の腕の腱へ剣身を滑らせ横を通過する。腱を斬られた忍の左右の私兵は弓を構える事すら出来ず呆然とし、次に襲ってくる剣撃の痛みに呻き膝を着いた。
……あいつの私兵ってこんなに弱いの?これじゃダルムの皆の方が断然強い。
漠然とそんな事を思いながら前へと闊歩する。いや、実際はそんなに弱くなどないのだが、忍の剣捌きが速過ぎるのだ。
弓兵達は腕の腱を斬られ、弓の弦を切られて使い物にならない。そうやって彼女が悠々と進む間に、皇雅とミイドは私兵達の視界から抜けて人質の救出へと向かう。横目で掠め見てミイドは思った。彼女は恐ろしく強い。だがあれは本気ではない、と。
そしてミイド達が2人の少年少女を保護し路地の方へ移動した頃、忍はダミエの直ぐそばを護る剣兵達の前に居た。その左手には弓兵から借りた弓と箙がある。忍は剣兵達の前で悠々と上衣の帯へ箙を取付けた。
『どいて下さい』
それは、私兵対忍が開始して初めて彼女が口にした科白。
『ふざけるな!』
剣兵の怒声にも忍に変化は見られない。再度悠然と開口したが、その声音は静かでありながら気迫があるものだった。
『どきなさい』
『っ!』
この目の前の契約者は明らかに自分達より年下だ。……なのに、何なんだ。何故、足が手が動かない?剣兵達の心情は一様にこれに尽きる。目前の契約者の顔は無表情のままだ。弓兵もやられた、しかも命を取らずに動けなくだけして。……一体どれ程の剣術の腕が要ると言うのか。
『あなた方を傷付けたくはない。でも邪魔だてしようとするなら仕方がありません』
『邪魔だて』。剣兵はそうしようにも動けないのだ。主を護らなければ、とは思うのに地に貼り付いたように動かない、動けない。少し歩速を早め、つかつかと歩み寄る忍。剣兵の1人に手をかけた瞬間、その彼は地へと叩きつけられていた。
ダミエへと近付く歩みは剣兵が前に塞がっていても絶えることもなく、掌打で顎を下から打撃を食らう者、剣撃でどこかしらの腱を斬られる者、反応も出来ず地へ倒される者と、忍の背後には大の男達の凄惨な敗北状況が道を作る。忍の攻撃を受けなかった剣兵はただ、それを茫然と眺めるだけだ。動けない、攻撃出来ない。したら最後、やられるのは自分だと本能が告げる。
剣兵の壁を抜けた彼女は、それ以上ダミエには近寄らなかった。静かに箙から矢を取ると流れるような緩やかさで弓に矢を番う。だがその先は敵の誰にも向いていない。空へ向かい弓を引く姿に、ダミエは侮辱された心地になった。
『貴様……っ、私を侮辱するのか?!』
『黙りなさい。言ったはずです、声も聞きたくなどないと』
『っ!!』
勿論忍に弓術の経験は無い。それでも身体が、腕が名手の如く動く。
そして。
ぎりぎりまで弓引くと間髪入れずにその先を敵へ向け放った。息継ぐ暇も無く箙から矢を抜き取り構え次の標的に定める。それを5度繰り返し、箙が空になるや否や箙と弓を手放し抜剣。
脚や腹など急所を避けてはいるが矢傷を負った者へ地を蹴ると、両脚と片腕の腱を斬っていく。致命傷では決してない。ストから逃げる事を不可能とする為だけの一閃。そうして忍が倒した5人は、実は全てダミエと繋がっていた隣国の間者だった。図らずもシン国の憂いを除いた形になったのだ。とうの忍は手練れと言う割にあっさりやられたな、と呑気なことを考えていたのだが。
そしてつい、と元凶へ瞳を向ける。それにびくりと震える彼は本来、ただの小心者でしかない。
『よ、寄るなっ』
『……』
『寄るなぁあ!』
無言でダミエへ近寄る忍に、彼は握ったこともない自身の剣を振り回す。しかしそれは彼女の放った背後回し蹴りにより、呆気なく持ち主の手を離れ少し離れた地面へ音を立ててぶつかった。
『何て情けなく、何て性根の醜い。大国シン国の貴族とは思えない低俗な人。国を売り獣神を蔑ろにし、剰え手中に収めようとは見下げたものです。きっと有力貴族に媚を売り今の地位を手に入れたのでしょうね、あなたなら容易に想像できる』
すうっと剣を構えた忍は、それを勢い良くダミエの顔面へ振り下ろした。
『?!』
それにぎょっとしたのは私兵だけではなく人質達を護っていたミイドもである。
『2度と姿を見せないで下さい』
ぴたりとダミエの鼻先で寸止めされた忍の剣身。最初から脅しで済ませる気だった彼女には、これ以上目の前の男に何もする気はなく、くるりと踵を返した背後ではダミエが失神し崩れ落ちたのだった。