幕間 鼠
単身者用の2LDKならば入りそうな広い部屋。その部屋の主は、自身の執務机に頬杖で座っていた。
四方の壁には複雑で美しい模様が施され、執務机の背後にある左右2ヶ所の窓の縁を彩る窓枠然り、板張りの床も国内最高級の材木であり、その木の香が仄かに薫る。執務机を中心に壁同様に美しい模様の敷物が敷かれており、国内一の職人の技が光っていると言える。だが室内で最も際立っているのは何と言っても執務机だ。2、3人が優に使用出来る広い机の三方の側面には豪奢な彫刻模様が浮かび、その存在感はこの空間で真っ先に目が行く程。
『……』
開けられた窓から晴天の陽の光が照らす明るい室内で、その男の表情は思わしいものでは無かった。けれどそんな顔でも様になるのは彼が美丈夫であるからなのだろう。
入室して来た者に顔を上げることも無く、頬杖のまま器用に手にしたつらつらと綴られた書簡を広げ繙読する。その面立ちは言にするならば『鼠共が』と舌打ちするものだった。
『どうしました』
入って机の側に来て居た幼馴染の科白は、問いかけでは無い。何かあると確信している静かな声に、彼は面を上げぬまま呟いた。
『鼠共が隣から紛れ込んだそうだ』
『鼠ですか。数は?』
『不明だ』
苛立ちも焦りも何も感じない声音は何を思考しているのか。立ったままの幼馴染の男は、慣れているのか彼の様子を気にもせず手にある盆を執務机に置いた。
『一息ついてはどうですか。貴方の隠密がそれしか寄越さなかったのであれば、近い内にまた一報を持って来るでしょう』
その言葉に彼はそうだな、と幼馴染が置いた杯に手を伸ばした。鼠が紛れ込んだのはこの居城では無い。それならばどんなに良かったか。彼は高級品且つ嗜好品の茶杯を煽り、胸内で深く嘆息する。
最近盗人の捕縛報告が多く上がって来ている。一関所、街に盗人の類ならば1人くらいは居るものだ。現に首都であるアトゥルでもその類の輩は居る。問題はそこでは無い。その数が多いことだ。そして報告数が多いのは隣国アルーダに比較的近い地方だと言うことが引っかかっていた。先方手元に来た報告は、その懸念が現実になったと示すものだったのだ。
『お前も座れ』
『お気に為さらず』
部屋主の彼に言われたが断ったのは、彼が部屋の主よりも位が低いからだ。
幼馴染の男も、部屋主の彼とはまた違う種の美丈夫だ。2人共高身長で細身なのは共通で、部屋主は黒髪に王族の証である白銀の髪が一房混じる。やや浅黒で外が似合う所謂細マッチョと言われる容姿に対し、幼馴染は武より智を具現化したような容姿を持つ。こちらは色白気味で髪総てが金に似て異なる茶髪。切れ長な目は冷淡さと同時に智謀に富んだ色を含んでいた。
『座れ。……ここには俺とお前しか居らんだろうが』
『……』
『……』
『承知致しました。……全く、臣下に無茶振りするな。お前と私では身分ってもんがあるんだからな?』
『お前だからするんだよ。良いだろ、俺とお前の仲なんだ』
了承の応から敬語を外した幼馴染の男に、にやりと意地悪い笑みを見せる部屋主の彼。これが幼馴染の彼らの素。供も他の臣下も居ない2人だけの時だけに見せられる、彼の飾らない姿だ。
『次の報告が来たら中身により対応を変える』
『賢明だな』
応えた幼馴染の男も、座り脚を組むと茶杯に手を伸ばしたのだった。
オリネシアにはガラス窓がありますが、生産に制限があり高価な為、シン国では貴族までしか普及していません。民の家は木製の突き上げ窓です。