4-26 それ、断ったらだめ?
ぱくりとライのラーン包みを口にすれば、またもや閣下から問い掛けられる。
『では通貨は?貴方の国と我がシン国では異なるのでしょう?1ルインでも持っていたのですか?』
『いえ、1レフすら持っていませんでした』
無一文だったと言えば、彼はその切れ長の目を見開いた。この国は国土の端にあるような村でさえ、1レフでは物を買うことも出来ない。果物1つでさえ、1レフ以上の値段。
『……移動は獣神様がおられるとしても、それでは何を食していたのです?』
『イラヌ村で分けて頂きました。村が賊に襲われていたところを通りまして、女性が斬られそうになっているのを見過ごせず村に助力しました。そのせいで村の男性にお借りした鍬の柄を傷だらけにしてしまいましたが』
『え、』
あの鍬の柄、中々に握りやすかったんだよね。農作業で使い込んで手の脂が染み込んでたからかな、手の中で回しやすかったなぁ。村の人達今はどうしてるんだろう?そのうち皇雅に頼んでイラヌ村に行ってみようかな。もう一口、ライのラーン包みを口に運ぶ。うん、とろとろの半熟のラーンが美味しい。
『賊と戦ったのですか……。怪我は』
『ありませんでした。怪我したとしても、とっくに治っていますよ?』
『そういうことではありません』
閣下がはあと悩ましい溜息を1つ、うまうまとライのラーン包みを頬張る私を見てまた溜息を吐く。今度は苦笑付きで。それから自分の昼餉を食べる。幸せ逃げるよ?
『賊ならば武器を持っていたでしょうに。棒で、しかも鍬の柄などで良く真剣に勝てましたね』
『ああ、1人目には横腹に飛び蹴りをかましたんです。鎧等付けてなかったのが幸いだったのかもしれません。付けていたら逆に足を痛めていたかもしれませんし』
『……は?』
『とりあえず女性は助けられたからと去ろうとしたら賊に敵と判断されまして。追いかけられたので体術でもう1人倒して、更に村の中を逃げ回っていたら鍬で防戦一方の男性が居たのでお借りしたんです。剣で斬られたのか柄だけになってましたが』
オリネシアに来た初日のことを思い出しながら話していけば、向かい側の閣下が呆然としていた。
『飛び蹴り……体術で倒した……?』
『ご存知ではありませんでしたか?私、これでも幾つかの武術を会得しているのですが』
てっきりダウエル様や陛下を通して報告がいってるものだと思ってたんだけどな。私が言わないで、ってお願いしたのって性別だけだったはずだし。……あ、でも私が空手とかを披露した時、いつも閣下は居なかった気がする。
『いえ……武術を会得しているのだろうとは思っていましたが、詳しくは。教えて頂いても?』
流石に食堂で剣術とか空手とか披露はできないけど、それでも良いのかな?
『この場でお見せすることはできませんが、種類だけでも良ければ』
『構いません』
『そうですね……剣術、棒術、柔道、空手でしょうか。あ、蹴り技も武術に入るならそれもですね』
指折り数え挙げる。……乗馬というか、んー……馬術?って武術に入るのかな。なんか違う気がする。
『剣術は分かりますし、棒術も大体の予想はできます。しかし『ジュウドウ』に『カラテ』でしたか?聞いたことがありませんが』
『柔道や空手は母国独自の武術ですので、シン国では馴染みは無いかと。柔らかな道と書いて『柔道』、空の手と書いて『空手』。どちらも無手の武術ですね。決まった技があって、それらを相手に仕掛けて倒すものになります』
ライのラーン包みのライ1粒まで綺麗に完食して、とりあえずご馳走様でした、と。あとは閣下が完食するのを待ちつつ会話を続ける。
『それでは貴方は、5つもの武術を会得しているということですか』
『そうですね。剣術は未熟ですが、無手の2つと棒術であればそれなりの腕とは自負しています』
まあ、3つともシン国には無い武術だしね。棒術はじいちゃんに扱かれたし、柔道や空手も一応黒帯紫帯取ってるし。ただ単にシン国では知られていない武術だから私が有利だってだけなんだけど。蹴り技は分からないけど意表を突くにはまあまあ使えると思うんだよね。
『……未熟、ですか。幾つもの武術を会得しているだけで目を見張るというのに。貴方は剣術をも極めようとしているのですか?』
『剣術はシン国で最も馴染みある武術ですから、時間があればハイドウェル家の私兵の皆様やミイド殿と手合わせもできます。棒術や無手の2つは相手がいないので鍛えるのなら剣術かな、と』
日本にいたならじいちゃんと稽古するとか、道場に通うとか出来たんだろうけどさ。シン国にはそもそも棒術や柔道、空手が無いからなぁ。鍛練してもらえる相手がいる武術って必然的に剣術だけなんだよね。今度、久しぶりにミイドさんと手合わせしてみようかな。
心の中でそんなことを考えていたら、いつの間にか完食した閣下が不意に言ったのだ。
『よろしければ今度、私と手合わせをしてみませんか』
『え?!あ、わっ!わっ、……とっ』
思わず飲み終えた水呑を落としそうになって、わたわたと水呑をキャッチしたのは私のせいではないと思う。あ、水呑っていうのは水を飲むためのコップのことね。茶杯もコップだけど、あれはお茶専用なんだそうだ。だから食堂にたくさん常備されてるのは、茶杯ではなくて水呑。ふー、危なかった。中が空でほんと良かった。
『だ、大丈夫ですか?シノブ殿。驚かせてしまったようですね、申し訳ない』
そろりと机に水呑を置いた私に、閣下が声を掛けてくる。空耳だよね?うん、空耳に違いない。……だって閣下と私が手合わせだなんて、ねえ?まさかね。
『いかがでしょう、シノブ殿。私と手合わせをしてみませんか』
空耳じゃなかった……。
『な、何故私と手合わせなどと?失礼ながら、閣下は陛下の剣術指南役なのですよね?そのような方に私如きが2合とも保つとは思えないのですが……』
『ご謙遜を。私はおりませんでしたが、首都兵のミキフ・ルーニャとの一戦で彼に圧勝したとか。あの者もかつては首都兵隊長を務めたこともある武人。それを圧勝したとなれば、自ずと貴方が手練だとは想像に難くありません。私は宰相ですが同時に軍事を任されている立場でもあります。ああ、貴方の腕前を見てその力を利用するということは絶対にありませんので、誤解はしないで下さい』
……いや、あの、閣下?そんな微笑みを見せられても反応に困るんだけども。
『その申し出、お断りすることは……?』
おずおずと尋ねれば、彼はその笑みを深くしたのだった。




