4-23 この人、莫迦?
途中視点変わります。
『シノブ殿』
『あ、陛下』
出来上がった書類を持って廊下を進んでいると、前方から声をかけられた。お辞儀も何も出来ない状態なのは許してほしいと思う。だってこの書類、重いんだもの。
『……凄い量だな?』
『ああ、これ?今日の出来上がった書類全部だから。でもほら、ちゃんと崩れないように紐で縛ってあるし、皇雅も手伝ってくれてるから問題なし!』
隣に立つ皇雅を見上げると無言で肯定の意を示す。返事くらいしようよ、皇雅……。
『獣神にも手伝わせてるのか』
〈不服など申すでないぞ、国王。我がこれを手にしたのだからな〉
呆れた声の陛下に、自分から手伝っていると答える皇雅の声音は淡白。でも中々に美声なんだよね。そういや白貴も良い声してるし、美声って獣神特有の固定能力なのかな。
『それで?その大量の書類をどこへ持っていくつもりだ?』
『まず皇雅が持ってるのは財務部署の倉庫で、『『あ』の11』、『『さ』の25』『『て』の20』、『『み』の2』の棚行きの書類。私が持ってるのは宰相閣下行き。陛下、宰相閣下ってまだ執務室にいるかな?出来れば直接渡すようにダウエル様から頼まれてるんだけど』
『ハッサドならまだ居るのではないか?だが急いだ方が良いぞ。ハッサドは昼餉の時間になると一切職務の事を受け付けぬ』
『あいつ……』
あ、そういえば陛下とハッサド宰相って幼馴染みってミナト様が言ってたっけ。……ってやばい!あと15アドでお昼じゃんか!
廊下の私達から離れた所に据え置かれていた時計のような道具を見て慌てた。間に合わなくなくなるっ!
『陛下、急ぐから!これ以上はまた今度っ』
そう、陛下と別れて急ごうとした時だった。いつの間にか近くまで来ていた貴族に気付いたのは。
『貴様……!陛下になんと言う口の聞き方をっ』
憤りながらも小声で捲し立てるという器用なことをした彼は、私へ手を伸ばしてきた。ってこの人誰よ?!
『おっと』
ギュッと咄嗟に決めた軸足で床を踏み込み、逆足で斜め後方へステップを踏む。書類は落としませんよ、もちろん!
掴むはずの腕、というか私がいなくなり、手を出した彼はその勢いのまま皇雅と私の間を通り抜け倒れた。……この人ばかなの?
『どうなさったんです?子爵殿。ああ、申し訳ありません。両手が塞がっていましたので、お助け出来ませんでした』
失礼を、とにっこり笑ってやる。というかねぇ、何で今、ここでそういうことするかなぁ。と言うことで数歩離れていた彼を呼んだ。
『陛下ー』
『ああ大丈夫だ、シノブ殿。急ぐといい。あと10アドで昼餉だぞ』
『え?!ありがとう!皇雅走るよっ。陛下、悪いけど走るの見逃してっ』
最後に見えた、真っ黒な輝かんばかりの陛下の笑顔にぶるっと背筋に寒気を感じつつ、私と皇雅は宰相閣下の執務室目指して駆け出したのだった。
***
アルダーリャトside
あの遠乗りの日から、シノブ殿から綺麗に敬語が抜けた。漸く。漸くだ。あれ程に頼んでも中々他人の目がある時は敬語を外すことがなかった彼だが、彼自身の中で何かが吹っ切れたのだろう。完全に友人口調になったシノブ殿の言葉遣いは、以前より少し幼くなったように思う。だがそれが齢より大人びた雰囲気を和らげ気さくになり、話しかけやすくなった。ころころと表情が変わり、笑い、むくれたりと見ていて楽しい。だが益々分からないのが性別だ。彼は男のはずだが、時折女のように見えて困る。……困る?なぜ俺はそう思ったのだろうか。
この時はまだ、彼を見て嬉しくなったりもっと接したいと思う自身の心情がどういったものなのか、わからないでいた。
既に紅涼も後期に入った頃。大分涼しくなったな、とゆっくり廊下を進んでいた時だった。向こうから聞きなれた声が聞こえて来て見れば、シノブ殿とその契約神の馬神が歩いてきていた。その手に、大量の書類を持って。
声を掛けその量の多さを問えば、作成し終わった書類を運んでいるのだという。シノブ殿が持つ書類は宰相のハッサドの元へ、獣神が持つ彼の2倍もの量の書類は部署の倉庫へと答えたシノブ殿。更に聞けば獣神は自ら手伝っていると答えた。シノブ殿だけには目をかけるのだな、とつくづく思う。そしてシノブ殿も仕分ける棚全てを頭で覚えているのだから中々の記憶力だと感心した。
ところで肝心の宰相のハッサドだが、幼馴染みのあいつは冷淡な印象を他人に与えることが多い男だ。その実、王宮での1番の楽しみが昼餉で、時間になるとどんなに忙しくともその間一切の職務を行うことはない。ということは、だ。シノブ殿が今持っている書類も、早々に行かねば昼餉後にまた足を運ぶ羽目になる。懐より時を刻む道具、『時刻計』を取り出し見れば、あと15アド程で昼餉という頃になっていた。
それはシノブ殿も廊下に据え置かれている大型の時刻計で気付いたらしい。『また今度』と慌てて去ろうとする彼とそれに続く獣神を見送ろうとした矢先、それは起きた。
『貴様……!陛下になんと言う口の聞き方をっ』
小声ではあったが、間違いなく俺の耳にも届いたその怒声。去りかけて少し離れていた彼らへ注視すれば、子爵位を表す橙の外衣を羽織る男がいつの間にかシノブ殿のそばに居た。それもこの俺の見ている前で、何も出来ぬシノブ殿に手を上げたではないか!だが彼はその至近距離にも関わらず、慌てる素振りも見せない。
『おっと』
重い書類を両手で抱えたまま、素早く僅かな足捌きで獣神から離れるように男と距離を取る。その一瞬の判断、無駄のない動き1つだけで武人として高みに達しているのだと分かった。分かる人間には分かるものだ。根っからの文官には分かるまい。
その男は至近距離の手を避けられるとは思わなかったのだろう。勢いのまま床に倒れこんだ。
『どうなさったんです?子爵殿。ああ、申し訳ありません。両手が塞がっていましたので、お助け出来ませんでした』
明らかに攻撃されたのに、シノブ殿はそう言った。
両手が塞がっているから助けられなかったと。にっこりと清々しい程に満面の笑みで。俺の下知は貴族である者、王宮に勤めている者ならば尚更知らしめてある。それなのにまだ彼に良からぬ感情を持つ者がいるのか。……俺の前でそのような行動を起こした意味が分からない者が居るとはな。
『陛下ー』
ふつふつと湧き上がる目の前の愚者に対する暗い思考を抑えていると、そんな俺とは真逆ののんびりとしたシノブ殿の声が俺を呼んだ。
『ああ大丈夫だ、シノブ殿。急ぐといい。あと10アドで昼餉だぞ』
『え?!ありがとう!皇雅走るよっ。陛下、悪いけど走るの見逃してっ』
ぎょっとした顔をして、シノブ殿は踵を返し走り出す。書類をあの様に大量に抱えて……転ばねば良いが。それに悠然と続く獣神にも半ば呆れのような思いが湧く。あっという間に小さくなる2つの後ろ姿を暫く見つめ、顔面蒼白の目前の男へと視線を向けた。
さあ、どうしてくれよう。
『シノブ殿へ手を出そうとはな、それも余の前で。その意味が分からぬわけはないだろう?ミィル・ホルサ・イリドナーレン』
『へ、陛下……』
国土の地図や我がシン国の歴史書などを製作する製作部署のイリドナーレンと言えば、確か南地方に居を構えるイリドナーレン子爵の一人息子だったはずだ。外衣の裾に、イリドナーレン子爵家を示す紋様と家督を継ぐ嫡子であることを示すやや小さめの質素な模様が刺繍されていた。
王宮に出入りする貴族やそれに連なる者は全員、衣に自らの『家』を示す紋様を刺繍する。その為、外衣は大抵が1人1着しか持たないという特注品に当たる。刺繍の手間が掛かり過ぎるためだ。更に次期当主に指定されている子息はそれと分かる模様まで縫いつける。次男以下は無いのだがな。当主本人になると金銀色を抜いた派手な色の糸で刺繍する為、実に分かり易い。そういえばシノブ殿の外衣にもハイドウェル伯爵家の紋様が刺繍されていたな。……話がそれたか。
『彼を友人とすることに、お前達の反感がないとは思っていなかった。ゆえにあの下知を下したのだがな。確かにシノブ殿は『獣神の契約者』だ。だが、それ以上に余の大切な友人なのだ。その彼を護ることは何ら不思議ではないだろう。あの下知の真の意味を理解出来ぬ者がいるとは思ってもみなかったが』
『……っ』
『余は彼らを軍事利用も政利用もしないことに決めたが、それは彼自身の望みでもある。シノブ殿に纏わりつく思惑が好意的なものだけだとは当然だが思っていないし、それは彼も重々承知している。だからこそあの下知が下っても彼は余に友人口調になることはなかった。余が幾度指摘しようも、頑ななまでに敬語のままだった。それはお前達のような反感を持つ者に付け入る隙を与えぬ為だとシノブ殿は言っていたな』
あの遠乗りの前後で随分と変わった彼が脳裏を過ぎり、ふっと口角が上がった。見せてくれる表情も増え、俺を国王という膜を通しつつも飾らずに言を返してくれる。本人も心配していたように、下知が下っても彼を良く思わない者はいる。だからこそシノブ殿はずっと国王の命令に抵抗し身を守っていた。それなのに彼は折れてくれたのだ。命令という名の俺の希望に応えてくれた。それがどんなに嬉しかったか、彼は知らないだろうな。
『国王たる余の前で、私情を挟む諍いを禁じているのを忘れているようだな?』
俺の言葉を聞いたイリドナーレンの顔が、蒼白を通り越し白く変わる。
『国王の前での私闘を禁ず』ーーーこれは、第8代の治世から続くシン国の法だ。正当な理由無しに私情で事を起こした場合、当事者達は刑に処されるという貴族ならば知らぬ者はいない法。知っていながら私闘を行ったのであれば、厳罰ものだ。今回のイリドナーレンのシノブ殿に対するあの行為は、明らかに刑に処される類。だが。
『余が下した下知には、シノブ殿や獣神達にどの様な手段であろうと危害を加えようとする者には厳罰を下すと明記していた。それを知らなかったとは言わせんぞ。だが……シノブ殿に感謝すると良い。彼はお前がその様な愚かな真似をした理由を理解していて尚、『書類で手が塞がっていたから』目前で『転んだお前を助けられなかった』と口にした。お前がシノブ殿へ暴言を吐き手を上げたことは、余もこの目でしかと見聞きしていた。だが『目の前で急に転び』、『書類を守る為に避けざるを得なかった』のであれば致し方があるまい。彼に免じて、此度だけは厳罰には処さぬ。10日間の王宮への出入りを禁ずるに留めるゆえ、2度と事を起こさぬよう肝に銘じよ』
去れ。
その一言で、イリドナーレンは白い顔のままわたわたとみっともなく廊下を去って行った。まあ、シノブ殿が本当にあの者を見逃すつもりであの様に告げたのかは定かではないが、構わんだろう。これで再度シノブ殿へ手を出すようであれば、その時は刑罰を覚悟してもらおうか。
そう言えば、シノブ殿はハッサドの昼餉前に間に合っただろうか。重い書類を持って走って行ったのだからさぞ疲労もあるだろうな。……また共に昼餉を食すことに誘ってみるか。
明るい気分で進める歩は、先程とは違って軽やかなのが自分でも分かる。そうして俺は、遠くから昼餉の用意が出来たと呼ぶ使用人の声に悠々と応えたのだった。
外衣の色について。
伯爵位:紫
子爵位:橙
です。その他爵位の色は、その時々に追記します。
本文にはあまり載っていませんが、シノブは適宜上司のダウエルや財務部署の先輩方からどこの人間なのか、爵位はどの位なのかを教えてもらっているので、ある程度の人名、外衣の色での爵位の判断ができるようになっています。今回のようないきなり現れた初見の人間は外衣での判断しか出来ませんでした。
読者の方にアドバイスを頂き、抜けていた設定(何故王が貴族の爵位や名前を知っているか)を追記しました。ありがとうございます!




