幕間‐2 後輩の秘密 2
ミナトside
『これはハイートルード様。当家へようこそお越しを。お待ちしておりました』
『久しぶりだな、ヒード。イーニスやシノブは居るかな』
護衛を伴いハイドウェル家へ着くと、迎えたのは家令のヒードだった。久しぶりに会ったけど、相変わらず年齢を感じさせない佇まいだ。馬や荷物を預けると、奥から姿を見せたのは話に出た当人達。
『ミナト!よく来たな』
『ミナト様、ようこそ』
イーニスは手を差し出し、シノブは軽く頭を下げる。更にシノブは『護衛の方々もようこそお越しくださいました』と護衛にまで挨拶していた。全く、こちらも相変わらず丁寧な対応をする。見ろ、護衛の3人が困惑してるじゃないか。しかし綺麗な姿勢だな。やっぱり母国でその佇まいを身に付けたんだろうか……いや、そうなんだろうな、きっと。
『ミナトも相変わらずだなぁ。今も最低限の護衛しかつけてないのか』
『仰々しいのが苦手なのは、イーニスだって知っているだろう?』
『まあね。だから相変わらずだと言ったんだけど』
そんなことを交わしながらヒードに先導され通されたのは、イーニスの部屋。室内には既に馬神の獣神が長椅子に身を任せていた。幾度見ても恐ろしいほどの美丈夫だな。で、シノブは何故そんなに目を丸くしてるんだ?
『イーニス様の部屋は初めて入りました。……豪華ですね』
『豪華?これが?』
『やっぱりシノブは質素が好きなんだね、これでも落ち着いている方なんだけど』
イーニスの苦笑に部屋を見回したけど、別に豪華とは感じない。慣れているからなのか、シノブが華やかさを苦手としているのか。
まあ、それはともかくだ。
『さて、話してもらおうかな。シノブ』
腰を下ろして茶で一服し、話を切り出せばシノブは少し困惑した顔で僕の背後へ視線を向ける。背後に立つ護衛達が気になるのか。
『この護衛達はハイートルード家の中でも僕専属の者達でね。口の堅さは僕が保証するよ。君が『獣神の契約者』ということも伝えてある』
『……』
困惑顔のまま隣の獣神へと顔を向け、彼が頷くと漸く表情が和らいだ。……確固たる信頼が羨ましいなんて思ってないぞ。決して。
『護衛の方もですがミナト様にもお願い致します。いつか露呈するかもしれませんが、それまでは聞かれても肯定も否定も避けて欲しいのです』
『分かった』
そのいつに無く真剣な表情に、僕もしっかり頷く。すると冒頭から驚愕発言が飛び出したのだ。
『私の性別、どちらだと思いますか?』
『……は?』
『陛下や宰相閣下は私を男だとお思いなのでしょうが、私は女です。御夫人や令嬢方に比べれば女性らしさは皆無と言える体型ですが、これに偽りはありません』
いや、待て。ちょっと待て!シノブは今、何て言った?……女?!
『え、え?待った、シノブ……今何て?』
『はい。私は女だと。これはハイドウェル家の皆様もご存知です』
『……イーニス?』
説明を、と目で訴えれば、彼は真顔で肯定した。
『間違いないよ、ミナト。シノブは女だ』
『嘘、だろう?』
イーニスからもシノブは女だと肯定され、漏れた声は少し震えていただろうか。もし、もし、シノブが女だとして。それなら尚のこと、秀でた武術、算術の腕を持つのはおかしくはないか。学問は貴族が学ぶものだ。だがその中でも子息達……要は男にしか得られないものなのだ。それを女の身で身に付けているのは何故だ?
『……シノブ?仮に君が女だとしても、本来学問も武術も男が学ぶものだ。王宮に来るまでミイド殿や隣に居られる獣神と旅をしていたと聞いた。移動には馬に乗っていたとも。つまり、馬神に乗っていたということなのだろう?』
『はい』
〈……ハイートルードの息子。『仮に』など口にするとは看過出来ぬ。我がシノブが女人であることは明白だ。獣神の目は相手を見抜く故、嘘偽りは通じぬ〉
割って入った獣神の科白に、続けようとしていたと言葉が思わず詰まった。そのお声には僅かながら苛立ちが混じっていたから。
〈その方の護衛らが口が堅いのは認めよう。だからこそ同席を許したのだがな。そうでなくば……〉
そうでなくば、何なのだろう。無意識に唾を飲み込むのと同時に獣神が瞳を僕へと向けた。その深紅の眼差しには何の感情も映っておらず、ぞくりと背が震えた。
『皇雅。威圧しちゃだめ』
〈……〉
『脅すのもだめだからね?!』
〈……我は何も言うておらぬではないか〉
『その顔見れば分かるよ。何年一緒に居ると思ってるの』
〈む、〉
獣神の組まれた腕をべしべしと軽く叩くシノブ。僕は呆然と獣神とシノブの会話を聞き、彼…いや彼女の隣に座るイーニスはやれやれと苦笑している。ということはハイドウェルの屋敷において、こういったやりとりは時折見かけるということなのか。まあ、契約者だからこそなんだろうけど。
『……それで、シノブ。つまりシノブは騎乗も出来るんだよね?騎乗技術だって女が学ぶことはまず無いと言っていい。けどそこはまあ、旅の間には必要だろうから会得していることは納得出来る。
だけどね。武術と算術の腕は旅の間に、とは納得出来ないんだ。……だから、教えて欲しい。君の母国のこと、算術のこと。それから、何故男物の着物を着ているのかも。もちろん他言無用を約束する』
『う、』
言葉に詰まったシノブ。イーニスの目も『知りたい』って無言で訴えていて、彼女は珍しくあわあわと動揺しているようだった。そして次の瞬間、ぱっと獣神へ顔を向けると何かを話し出す。それはこのシン国の言葉ではなく、恐らく隣国アルーダの言葉でもなく。きっとシノブの母国語だとは予想がついた。早口気味に獣神と何かを交わし、そしてぱたりと背凭れへ倒れ込んだ。
『あー……』
やってしまった、と言わんばかりにシノブは盛大に呻きをあげ、そして吹っ切ったのか座る姿勢を正す。今日だけでも彼女の見たことがない色んな表情を見ている気がするな。ころころ変わる顔が見てて楽しい。
『……算術も、武術も。母国で会得したのは本当です。武術に関しては祖父が棒術の師範をしていましたから、一番弟子として教えを受けていました』
喉につっかえたものを絞り出すように、シノブは言葉を継ぎ始めた。
『私に父母は居ません。……というより、顔を知りません。物心つく前に死んだと聞いています。祖母も同じく、彼女を祖母だと認識する前に死んだと。2人きりの生活でも、祖父は厳しくも孫に優しい人でした。興味があること、やりたいと言った事は大抵はやらせてくれました。ただし、自ら始めた事は最後まで完遂しろと。途中で投げ出すことは許してはくれませんでした。元々棒術も空手も、その技の動きに魅せられて私がやりたいと言ったんです。祖父は反対はしませんでした、『2人きりの家族で、いつ何時でもお前を護ってやれるとは限らん』と言って。有事の際には少しでも護身になればと思ったんでしょう。
私の母国は、戦を放棄することを決めた国です。もちろん最低限の力は保持していますが、それを戦に利用していないんです。終戦したのはもう60年以上前になります。私は戦を知らない。祖父母、曽祖父母の年代で当時を憶えてる人は居るでしょうけど、亡くなっている人も多いから、話に聞くことしか出来ない。他国に比べて平和な国です』
語りだしたシノブの目は、どこかこの部屋ではない遠くを見ているようだった。彼女の祖父は、随分と寛大な人のようだな。女である孫に、武術を習わせるなんて。普通、礼儀作法や女性らしい趣味をさせるだろうに。それに戦を放棄とは。終戦して60年以上だって?そんな国、聞いたことがないぞ。
『……国の中には、『学校』と言われる建物があります。『小学校』『中学校』『高校』、そして『大学』『専門学校』。これらは全て、学問を学ぶ場所です』
……え、?




