涙の流れ星
空は何色かと聞けばほとんどの人が青だと答えるだろう。中には蒼だとか水色だとか時間によって変わるなんて言う人もいるかもしれない。しかしそれでもこう答える人は極めて稀ではないだろうか。
――黒、と。
その色は少なくとも私には初めてだった。考えてみれば一日のうち半分は青だけどもう半分は黒なのだ。それでも青と答える人が多いのはきっと太陽が昇っている間に活動する人が多いからではないかと思う。
あの時の私もその多くのうちの一人だった。だから最初聞いたときは「は? なに言ってんのこいつ」って思ったし、学年証がなければ先輩に向かって実際に言ってしまったかもしれない。今になって思えばこの出会いこそが私の高校生活を変えた元凶であり、天文部に入るきっかけだった。そう思うと一概にあいつの言ったこともバカにできない。むしろ勧誘文句に乗せられて入部してしまったバカは私なのだ。
実際天文部での活動は楽しかった。星空は純粋にきれいだし、宇宙の神秘は私をドキドキさせた。そして普段はバカだけど星のことになると真面目で楽しそうでキラキラしているあいつに惹かれていったのは自然のことだった。
ふと見上げた空は一面黒かった。時刻は二十三時五十分。あと十分で今日という日も終わってしまう。高校生活最後の一日が。それが寂しいと思うほどには私もここが好きだった。
夜の校舎は静まり返っている。誰かに見つかる心配はない。まさか先生も屋上に人がいるとは思うまい。屋上は生徒の立ち入りは禁止されてるし、そもそも鍵がないと入れない。
右ポケットに手を入れるとひんやりとした感触がする。キーホルダーもなにもついてない素朴なこの鍵こそがしかしあいつと私を繋ぐ唯一のものだった。
一年前の今日、私はあいつに告白した。周りからはやめた方がいいと言われたけど、卒業するあいつにこの思いを胸にしまっておくことはできなかった。
その日私は夜の校舎に呼ばれていた。内心すごいドキドキしていたのを覚えている。自意識過剰でなくても告白されると思うだろうし、その覚悟もしていた。私を屋上に連れて行って始めたのはしかし星の話だった。部活でいつも見せる楽しそうな表情は星空にも負けてないほど輝いて見えた。
どうして屋上の鍵を持っているのかとか受験失敗してこれからどうするのかとか聞きたいことはたくさんあった。でも私はその言葉をぐっと飲み込んでその時を待っていた。その言葉を言われるのを待っていた。だけどやっぱりあいつはあいつだった。あいつの頭の中には星のことしかない。私のことなんか眼中にない。それがわかったから私はあいつに言ってやった。少しでも私を見て、私だってこんなに輝いているでしょ、それを伝えたくて。
あいつは少し驚いた顔をしていたが、突然脈絡のないことを話し始めた。
「ねえ、もし空が曜日によって色を変えたら面白くない? 月曜は白で火曜は赤、水曜は青みたいにさ。そしたら今日は何曜日だっけって忘れることもないと思うんだ。それにそうすれば空を見上げる人も増えると思うんだ。それってなんだか素敵なことだと思わない?」
そんなカラフルな世界だったら私は少し疲れてしまいそうだ。空は青だけ、それがシンプルでいい。
「それでもさ、きっと夜は黒なんだよね。でも、だから星は光って見える。そのおかげで星を見つけることができるんだ」
いまいちつかめない話に私はどう反応すればいいかわからなかった。
「星ってさ、動かないんだ。その場でじっと光ってる。動いてるように見えるのは地球が動いてるからなんだ。太陽の周りを一年かけてゆっくり、でも必ず同じ場所にやってくる」
あいつは真剣な顔になり、そして続けた。
「来年必ず自分の道見つけて戻ってくるからそれまで待っていて欲しい。その時までずっと輝いていて欲しい。一年後また戻ってきたときにここにいますよってすぐわかるように」
そして私はこの鍵をもらった。
――時刻を見ると零時十分。いつの間にか「今日」は終わっていた。
「約束の日、過ぎちゃった」
途端に体から力が抜けてずるずると座り込んでしまう。緊張してたんだなと今になってわかった。
そもそもあいつが来るはずがないのだ。あんな約束を真に受けた私がバカだし、一年後の今日この時間にここにくるなんて一言も言ってなかったのだ。
それがわかると急に私は寒くなった。今までちっとも怖いと思ったことがない暗闇が重くのしかかってくる。星は遠く霞み今にも消えてしまいそうに見えた。
視線が空から地面へうつむく。しかしそのとき、視界の外れに小さな光が見えた。小さくだけど確かに輝くその星は校門をよじ登ろうと必死で、その姿につい笑みがこぼれる。一目見てわかった。すぐにわかった。
それにしても遅刻をしてくるなんてあいつのくせに生意気だ。会ったらまずはこう言ってやる。
「――バカ」
私の目に一筋の流れ星がこぼれた。