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Elixir ―エリクシル―  作者: 光太朗
第一章 パジェンズの医師
3/22

1-3

 自然の洞窟のようだった。

 湿った壁からは時折水滴が落ち、地面はぬめりを帯びていて、気をつけていないとすぐにでも足を取られそうだ。天井も高低が様々で、キルリアーナはともかく、三人の男たちが身を屈ませて進んでいくのは、ずいぶんと骨が折れそうだった。しかも一人は、ロイスを担いでいるのだ。

『愛の宿』はそもそも町のはずれにある。そこからそう遠くない林の中に、入り口となる縦穴があった。おかげで逃げることもできず、キルリアーナはバカ正直に男に付いて歩くことを余儀なくされている。前に一人、うしろに二人。さすがにこの狭さでは、逃げられるとは思わない。

 また、キルリアーナにはもう、逃げようという気はあまりなかった。彼らが賞金稼ぎなら、わざわざ洞窟へと入る必要もないはずだ。明らかに人目を忍んだ地下に潜り込むとなると、目的は金ではないのだろう。

 珍しいことではない。キルリアーナにとっての「客」は、こうして彼女に接近してくることが多いのだ。

「いつまで歩かせんだよ、おっさん」

 先頭を行く一人はランタンを携えているものの、その灯りでは、せいぜい円形をぼんやりと照らす程度で、穴がどこまで続いているのかなどまったくわからない。問いを投げてみるが、男はこちらを振り返ることはなかった。

「もう少しだ」

 短く返される。そこには焦りがにじみ出ていた。そういえば急いでいるといっていたと、キルリアーナは思い出す。事態は急を要するのだろうか。

 先がわからないというのは、おもしろくないものだ。キルリアーナは舌打ちした。しかし、期待に胸が高揚しているのも確かだった。

 この先に、客がいる。

 彼女にとって、客は欠かすことのできない存在だ。

「……む?」

 不意に、背後で声がした。

「こいつ、もう目ぇ覚ましやがった」

 忌々しげに男がいう。ロイスが目覚めたのだろう。キルリアーナが歩きながら振り返ると、ロイスは男の肩で暴れようとしているところだった。うまくいかないようで、まるで駄々をこねる子どものように、じたばたと手足を動かしている。

「離したまえ! 不意打ちとは卑怯な……! キル、約束通り、不埒な輩はこの僕がすぐにやっつけて……」

 威勢良く吠えるが、完全に口だけだ。

 ぜひやってみていただきたい気もしたが、無理なのは目に見えていた。キルリアーナは前へと視線を戻し、嘆息する。

「もう一度気絶させとけよ。そいつうるせえから」

 投げやりにいうと、うしろの男は困惑したようだった。

「……おまえ、こいつの仲間じゃないのか?」

「ないね」

 本気で願い下げだった。どうしてそういう話になってしまうのだろう。

「いや……うむ、落ち着こう。すまないね。少々取り乱してしまったようだ」

 意外にも、ロイスは迅速に平静を取り戻した。

「仲間かどうかという質問だが、もちろんイエスだ。僕の名はロイス。彼女とはボディーガードとしての契約を結んだところでね」

「結んでねえっつの」

 思わず振り返ると、暴れるのをやめたロイスは、いやに堂々と男に担がれていた。この状況でどうしてそこまで偉そうにできるのか、理解に苦しむ。

「しかしこれでは、彼女を守ることができない。よって、すぐに僕を解放したまえ。できないのならば、彼女に手出しはしないでいただきたいものだ」

 男たちは答えない。返す言葉がないに違いない。キルリアーナも閉口した。まったく常識を超えている。

「もうすぐだ、キルリアーナ・パジェンズ。いっておくが、オレたちは賞金稼ぎじゃない。金に興味がないわけじゃないが、こちらの要求を飲むのなら、悪いようにはしない」

 先頭を行く男が、ロイスのことには無視を決め込み、やや早口でいった。意識して淡々とした口調にしているようでもあったが、やはり声が焦りを帯びている。

「あんたが、どんな怪我も病も治すパジェンズの医師ならば、用件はわかるだろう」

 そう続けられ、キルリアーナは肩をすくめる。

「なかなか嬉しいご招待じゃねえの。喜んで、やらせていただくよ」

 正直な気持ちだった。久しぶりの客だ。自然と期待が高まっていく。

「……要するに、病人がいるということかな? 気に入らないな。それならば、手荒なことをする必要はなかっただろう」

 担がれている状態にも関わらず、ロイスのいうことはなかなか的を射ていた。前の男が初めて振り返り、キルリアーナを見下ろす。

「すまない。断られるわけにはいかなかった」

 あまりにも素直に、率直に謝られてしまい、キルリアーナはかえって居心地が悪くなった。別にと、言葉少なに返す。

 もうすぐだといっていたのに、道はさらに狭くなっていった。湿った壁に手をつき、身を屈めながら進んでいく。膝をついて這った方が早いのではないかと思われるほどだったが、巨体を丸めるようにして、男たちも器用に奥へと歩を進めていた。こんな場所にいったい誰がいるというのだろう。どうせもうすぐわかることではあったが、キルリアーナの頭は客のことでいっぱいだ。

 しかしそれでも、キルリアーナは気づいた。

 足を止める。

 ロイスを抱えたうしろの男と、さらにそのうしろとが、止まりきれずにぶつかった。その音で、やっと先頭の男が立ち止まる。

「どうした。この先だ」

「戻るぞ」

 きっぱりと、キルリアーナはいった。そのままきびすを返し、困惑している様子の二人を両手で押す。

「早く、ここから出ろ。病人のところにはオレひとりで行く」

「……? そんなことをいって、逃げるつもりじゃ……」

「ふざけんな」

 ごく低い声で、キルリアーナは一喝した。道がふさがっている状態で、逃げるのではないかと思われているようでは、どうしようもない。説得することも困難だろう。ほんの数秒考えて、服の袖を引きちぎる。

「ああ!」

 ロイスが情けない声をあげた。その声に、彼からもらったものだったと気づいたが、もう遅い。

「口と鼻、覆っとけ。おまえらの仲間と一緒になりたくなければ、できるだけ息をするな」

 腰に携えたナイフで素早く四つに切り分けると、三人の男と、ついでにロイスにも渡す。手を口にあてる仕草をして、早くと促した。

「ふむ、そういうことなら、従ったほうが良いのだろうな。しかしキル、君はいいのか?」

 いわれるままに布をあてて、ロイスがいう。キルリアーナは彼を一瞥した。

「あたりまえだろ」

 むしろ、そうでなくてはいけない。

「どういうことだ……この場所が問題だということか?」

「それじゃあ、ここにいたんじゃ、お頭たちは悪くなる一方ってことか」

 うしろの男が口々にいう。いわずともわかるであろうことをわざわざいう気にはならず、キルリアーナはただうなずいた。

「確かなんだな」

 先頭の男が、キルリアーナを見る。しかし、答えを求めてはいないようだった。すぐに、うしろの男たちに顔を向ける。

「おまえらは、すぐにここから出ろ。動けるやつらが一時的にでも避難できる場所を確保しとくんだ」

 迅速に指示を出し、後方を指さした。残り二人が見るからに戸惑った様子で顔を見合わせる。もう拘束の手がゆるんでいたのだろう、ロイスが身をよじるようにして、地面に降り立った。天井が低いので、屈んだ状態だ。それでも胸を張る。

「そういうことなら、愛の宿をお勧めするよ。あそこのレディたちは、お金さえ払えばだいたいなんでもしてくれる。僕の紹介だといえばいい」

 しかし、そこのレディが金と引き替えにキルリアーナを売ったのではないか。そうは思ったが、わざわざいうことでもないだろう。キルリアーナは黙ってことの成り行きを見守ることにする。

「おっと、僕はここに残るからね。さあ、行きたまえ」

 ロイスがまるで当然のように、来た道を手で示した。男たちはほんの一瞬迷ったようだったが、結局は身体を小さくして、急いでその場をあとにする。

「急ぐぞ」

 どうしてロイスは残るのかなどと問答している場合でもない。キルリアーナが短くいうと、男は緊張した面もちでうなずいた。先ほどよりもペースをあげて、進んでいく。

 やがて、空間がひらけた。

 道中が嘘のような、広々とした洞窟。灯りがなくとも、壁に張り付いた植物が光を発し、充分に内部の状態がわかる。

「これは……」

 ロイスが言葉を詰まらせる。ある程度予想していたので、キルリアーナは動じない。

 冷たい地面に転がっているのは、一人や二人ではなかった。ざっと見ても十数人。まだ動けるものもいるようだったが、それでも壁にもたれかかり、顔色がひどく悪い。

「ひどいな。しかし、そうか、水が流れているのか。こんな地下に、灯りも水もあるとは」

 ロイスのいうとおり、洞窟には細い水の道ができていた。くぼんだ地面に溜まった水は透き通っていて、水溜まりというよりもちょっとした池のようになっている。川は岩の透き間から隙間へと流れ、まるでこの空間のために水場を提供しているようでもあった。

 空間の端には、無造作に山積みにされた荷の数々。大小の鞄や布袋、種類は様々だ。

 彼らがろくでもない集団なのは明白だった。そもそも、まっとうな人間がこんな誘拐まがいのことをするとは考えにくい。

「絶好の隠れ家だというわけだな。手荒だとは思ったが、つまり君たちは、隠れなければならない身の上だということか。見たところ、このあたりの旅人を襲う盗賊団かなにかかな?」

 ロイスの口調には、非難の色が込められていた。問われた男は一瞬返答に窮する。キルリアーナをちらりと見て、それからうなずいた。

「そうだ。そうだが……頼む、お頭を、仲間を助けてくれ。いいわけするわけじゃないが、オレたちは殺しはやらない。獲物を見つけても、金品もぜんぶ奪うわけじゃない。お頭の方針なんだ。助けてくれるなら、足を洗うと約束してもいい」

「知るかよ」

 キルリアーナは一蹴した。心の底から、どうでもよかった。相手が悪人であろうが善人であろうが、関係ない。

「当然だな。また罪を犯す人間を、わざわざ助けることはできない」

 キルリアーナの一言を誤解したのだろう、ロイスがわけ知り顔でいう。キルリアーナはその場を離れ、溜まった水に手を差し入れた。少しすくって、舌先で舐める。

 笑みがこぼれそうになった。

 新しい味だ。

「オレが治した人間が、その後千人を殺すことがわかっていようが、オレのやることは変わらない」

 きっぱりと告げると、ロイスが目を見開いた。なにかをいおうとするのがわかったので、キルリアーナはそれを手で制す。彼の前を通り過ぎ、一人だけ二重の毛布のなかにいる男のもとへと歩み寄った。

 まだ若い男だ。キルリアーナを連れに来た三人や、ほかの男たちよりも若いかもしれない。ただし、土色をした顔からは、生気はほとんど感じられなかった。

「まあ、同じ病を一度に相手にする趣味はねえけどな。お頭さんってのは、とりあえず治してやるよ。あんただろ、綺麗な顔のにいさん」

 膝を折り、見下ろす。もう声も聞こえていないのか、問われた青年は微動だにしない。しかし、ほかの男たちの反応だけでも、正解なのは明らかだった。

「キル、本当に……助けるのか? いや、確かに、悪人であろうと生きる権利は……あるのかもしれないがないのかもしれない……ううむ」

「うるせえなあ」

 背後から青年をのぞき込むようにして、ロイスがなおもいう。キルリアーナはロイスを睨んだ。

「助けるんじゃねえ。治すんだよ」

 すぐに、視線を戻す。腰の布鞄から小瓶と布切れを取り出し、布を瓶の液体で湿らせた。その布で、ナイフの刃の部分を丁寧に拭う。

 ロイスや意識のある盗賊団の面々が、固唾を飲んで見守っているのがわかる。

 この緊張感は嫌いではなかった。また一つ、先へ進むための儀式。彼らはそこに立ち会っているのだ。

 身を屈め、倒れたまま動かない青年の胸ボタンを外していく。指先を首から滑らせて、ちょうど心臓があるあたりでとめた。

「失礼するよ」

 そっと、ナイフをあてる。

「……! おい!」

「いや……彼女は治すといったんだ。見ていたまえ。任せておけば、だいじょうぶだ」

 制止を求める声は、ロイスによって抑えられた。初めて役に立ったなと思いながら、キルリアーナはそのまま、ナイフを持つ手に力を込める。

 ナイフの刃と同じ形に、青年の胸元に線が描かれた。

 思い出したように、赤い血が薄い線に色を添える。それが流れ出てしまう前に、キルリアーナは傷口に口づけをした。

 青年の身体が、ほんの一瞬動く。痛みを感じているのかもしれないが、そんなことはキルリアーナにとって、取るに足りないことだ。

 血を、吸う。

 咥内すべてを血の味にして、そうして時間をかけて、味わっていく。

 充分に吸い上げると、顔を上げた。

 赤い唇の両端を、笑みの形にする。

「上出来だ」

 高揚していた。キルリアーナの内部が喜んでいるのがわかる。踊っているのだ。新しい血が、解け合っていく。身体のなかで、再構築されていく。

 キルリアーナはむき出しの腕で口元を拭った。

「おい、あんた……さっきから、なにを」

 ロイスに制され、黙って見ていた男が、おそるおそる声をかけてきた。文句をいうような口調ではない。ただ単純に、なにが行われているのかわからないのだろう。

「安心しろよ。無事、できたところだ」

 キルリアーナは上機嫌だった。弾みかねない声でそう答えてやる。しかし返事がないので、振り返った。

 男と、ロイスまでもが、怪訝そうな顔をしてじっとこちらを見ている。

 キルリアーナは肩を揺らした。彼女にとっては、この時点で終わっていた。続きは、ついででしかない。もしいまこの場を去ったら、彼らの表情はどう変わるのだろうか。

「できた、というのは? いったい、いまのでなにが」

 自分のときのことはすっかり忘れているのだろう。ロイスに問われ、キルリアーナは声を出さずに笑う。別段、隠すつもりもないが、見ていればわかることだ。

 青年に向き直る。

 横たわる頭の下に手を差し入れると、抱えるようにして、そっと持ち上げた。

「特効薬さ」

 そういって、躊躇なく青年の唇に自身のそれを重ねる。

 瞳を閉じて、体内で生成した『薬』を、流し込んだ。 




挿絵(By みてみん)





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