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Elixir ―エリクシル―  作者: 光太朗
第五章 奇跡の薬
17/22

5-4

 少女はため息をついた。

 頬は紅潮している。この日のために特別に作らせたドレスは、淡い緑色に包まれており、派手すぎず質素すぎず、少女の社交界デビューに丁度良かった。年の割に小柄なのが悩みだが、このドレスを着れば少しは大人びて見えるだろう。

 リーシュタン家は貴族の中では中の中、社交界デビューを果たしたところで脚光を浴びられるとは思っていない。その代わり、過剰な期待をされることもなく、重圧を感じる必要はなかった。最低限のマナーは身についている。あとはただ、きらびやかな世界に足を踏み入れるこの日を、純粋に楽しみにしていれば良かった。

 願わくば、流行の恋愛小説のような王子様との出会い、恋、逃避行──乙女の想像は留まるところを知らない。

 少女は、ため息をついた。もう何度目になるかわからない。

 ムーンバルは日が暮れてからだ。まだ昼食もとっていない。けれど、待ちきれない。

「ミラナ、ちょっといいかい」

 扉がノックされた。ミラナ・リーシュタインは急いで想像の世界と別れを告げる。父親の声だ。わざわざこうして部屋を訪ねるということは、急な客、それも大切な客人だろう。

 ミラナは急いで身なりを整える。いま身に付けているのは水色のドレスだ。皺を伸ばして背筋を伸ばし、立ち上がった。

「どうぞ、お父様」

 上品な声を意識して、そう返す。ドアを開けて入ってきたのは、父親と母親、それに見知らぬ青年が、二人。

 メイドの姿はなかった。それどころか両親が揃っている。これはただごとではない。

 ミラナはいっそう背筋を伸ばした。なにかよからぬことだろうか。どうか、今夜のバルに出られなくなるということだけはありませんように。

「これが、娘のミラナです。今年で十八になります」

 ひどく緊張した声で、父親がいう。それが空気を伝ってきて、ミラナは冷や汗を垂らした。二人の青年が前へ出て、じろじろと観察しだしたのだ。逃げ出したい気持ちになりながらも、慌ててドレスの両端をつまんで一礼する。

「ミラナ・リーシュタインともうします」

 若干、声が小さかっただろうか。しかし、失礼はなかったはずだ。

 勇気を振り絞ったというのに、二人はまだミラナを無遠慮に見ていた。まるでなにかと照合するかのように頭を上下させ、前から後ろから丹念に。

「うむ、完璧だ」

 やがて、髪の短いほうの青年がそういった。

「これなら、問題ありません。ご協力感謝いたします、リーシュタイン殿」

 髪の長いほうが、微笑む。

 ミラナは心臓が掴まれたかのような気持ちを味わった。

 二人の青年は、そのどちらもが、端整な顔立ちをしていたのだ。

 それだけではない、ちょうど流行の恋愛小説に出てくるヒーローのイメージにぴったりの──ありていにいえば、ミラナの好みど真ん中の。

 まるで、王子様。

「まだ、社交界デビューもしていないのに……!」

 ミラナは打ち震えた。もう王子様と出会ってしまうなんて。今日はなんて素敵な日なのだろう。

「ミラナ、少しお願いを聞いていただきたいのですが……」

 髪の長い青年がいう。ミラナは一も二もなくうなずいて、青年を見上げた。女性的な美。それはあふれ出る優しさと置き換えることもできる。

「無理を承知で、お願いしたい。どうか、僕たちに協力してくれたまえ」

 髪の短い青年も、ミラナを見つめた。よく見ると似ている二人だ。兄弟だろうか。

「なんなりと! お任せください!」

 ミラナは鼻息荒く、そう答えていた。


   *


 ガリエン・シティから西、村を一つと町を二つ越えたところに、王都アルテイトは位置する。山を切り開いた場所にあるため、町へ入るルートは限られ、それ故に整備されていた。東西を流れる川がアルテイトの自然を支え、北の王城と南のランセスタ家が天を貫かんばかりにそびえている。

 ランセスタ家の敷地は、外壁で囲まれていた。花々の咲き乱れる広大な敷地には、治療院と住居の他に、ランセスタの所有するパレスがある。今夜そこで催されるのは、ムーンバルと呼ばれる舞踏会だ。

「そもそも、大々的に賞金首として知れ渡っているパジェンズの医師が捕まったにしては、おかしい。まったく噂になっていない」

 アルテイトに到着したその日、兄弟はまず治安隊本部へ向かった。しかしそこにキルリアーナが捉えられている様子はなく、一日かけて町中をかけずり回ったが、情報は得られなかった。

 町ぐるみで口を閉ざしているのではなく、ただ単純に、誰も知らないのだろう。

 それでも本当にこの町にいるのだとすれば、あとはランセスタの敷地内しか考えられない。

「おそらくは、秘密裏に監禁されているのだろうな。捕らえたと大々的に知らしめてしまえば、本当のところは癒着しているランセスタにとって厄介なことになる。となれば、ランセスタへ行くしかない、が……正面から行くのは愚かだな」

 ロイスの見解はこうだった。家を出たとはいえランセスタの御曹司、ロイスやセリウスが敷地に入ること自体は容易だろう。ほとんど縁を切った状態だということは、限られたごく一部の人間しか知らないのだ。

 とはいえ、キルリアーナの居場所をランセスタの人間に尋ねたところで、知っているとは思えなかった。知っているとすれば、事情に通じているということだ。おいそれと教えてくれはしないだろう。また、名乗りをあげてしまえば、身動きが取れなくなる可能性もある。

 つまり、身分を隠してランセスタ家に入る必要があった。なおかつ、居場所を特定できるよう、策を練る必要も。

 そこで利用するのが、今夜のムーンバルだ。

「まあ……どれも、推測に推測を重ねただけですが」

 兄とのやりとりを思い出し、口のなかでつぶやくと、隣の少女がセリウスを見上げた。

 不安げな、緊張を帯びた表情の少女に、セリウスはほほえみかける。だいじょうぶですよと、言葉に十二分の優しさを込めて。

「なんの心配もいりません。ただこうして、私と一緒にいてください。窮屈だとは思いますが、口を閉ざして……ね?」

 空は暗くなり始めていた。セリウスと少女を乗せた馬車は、ほかの馬車と同じようにランセスタ家の外門をくぐった。

 ロイスとはすでに別行動だ。気を引き締めようと深呼吸をして、セリウスは少女の手をとり、馬車を降りる。周囲の目が、セリウスと少女に注がれた。セリウスは悠然と微笑んで、守るように少女の手を取り、パレスへと足を踏み入れる。

 パレスには溢れんばかりの蝋燭が飾り立てられていた。シャンデリアやガラス細工が光を映し出し、まばゆく、そして幻想的な雰囲気を作り出している。

 そこに集うのは、舞踏会を楽しもうという貴族たち。だれもが財力をそのまま誇示するかのような絢爛豪華な衣装に身を包んでいる。

 セリウスもまた、例外ではなかった。急遽仕立屋で見繕った真っ赤なドレスを着込み、化粧はいつもの数倍気合いを入れ、胸元には丸めた布を二つ設置。これでもかという美女仕様だ。

 それと比べてしまえば地味ではあったが、少女も上品な緑色のドレスを着ていた。慣れない足取りで、何度もセリウスを見上げながら、隣を歩く。頭の花飾りからは薄緑色のベールが広がり、遠目にはほとんど顔がわからない。

 楽隊が、音楽を奏でている。まだ本格的には始まっておらず、人が集まりつつある段階だ。パレスに入ってまずどこに行ってなにをするべきか、貴族社会には暗黙のルールがあった。

 ぐるりと一望し、人の動きを見るだけで、セリウスはすぐに目的の人物を捜し当てた。さっそうと歩を進め、人垣のうしろから声をかける。

「お久しぶりです」

 それほど、大きな声を出したわけではなかった。しかし、突然割って入った声は、一体何事かと注目を集めた。ちょうど会話のさなかだったタキシード姿の男性が、眉を跳ね上げる。

「なんだね、君は」

 あまりにも失礼な行為だ。談笑していた他の面々も、空気の変化を敏感に感じ取り、一角に沈黙が訪れる。




挿絵(By みてみん)




「セ──っ」

 中心にいた女性が、息を飲むような一音を発した。

 まるで悲鳴のようなそれは、ますます周囲を黙らせた。今度は、彼女が注目を浴びる番だった。とはいえ、最初からずっと注目を浴びているのは彼女の方だ。明らかにほかとは違う豪勢なドレスを着込み、得意げな笑みを湛え、あちらこちらにちりばめられた宝石を見せびらかしていたその女性は、この場でもっとも高い位置にいた。

 この王都において、形ばかりの王族よりもよほど権力を持つ一人。ランセスタ家を取り仕切るガルダーン・ランセスタの妻、リティア・ランセスタだ。

「どうかなさいましたか? 記念すべき再会に、感動を覚えているのは私だけなのでしょうか。また以前のように、呼びかけても?」

「待って! 待ちなさい……」

 リティアは、急に萎縮したように視線をさまよわせ始めた。それからやっと思いついたのか、急いで周囲の人々を遠ざける。

「……なにをしにきたのです」

 この場に、リティアの意に反するようなことをする者はひとりもいなかった。奇妙に生まれたその空間には、リティアとセリウス、そして少女の三人だけだ。

「会いに来てはいけませんか。ますますお綺麗になられましたね、母上」

「そのように呼ぶのはおやめなさい!」

 大声で叱咤し、リティアは慌てて口元を押さえる。取り繕うように息を吐き出して、セリウスよりも少し斜め下に視線を定めた。

 本当ならば見たくもないのだろう。この場に居続けることも苦痛なのに違いない。よほど嫌われているのだとわかり、セリウスはおかしくなってくる。なによりも体裁を気にするこの母親は、息子が女の格好をしているということを、どうしても知られたくないのだ。

「要件だけ、伝えましょう。取り返しに来たのです。あまり画策すると、そのうちに民衆も気付きますよ。下手な動きはしないことです。少しでも長く、栄華を極めていたいのならば」

「……一体、なにを」

 リティアが眉をひそめる。本当に知らないのか、知らないふりをしているのか、判断が難しかった。前者のようにも思えたが、セリウスはたたみかける。

「ランセスタの敷地内に監禁などと、あなたもなかなか危険なことをなさいましたね。父上の独断ですか? それとも、サーラ・パジェンズが一人でやったことでしょうか。どちらにしても、ご苦労様でしたと、それを伝えたかったのですよ。ご安心ください、もう抱えた秘密に頭を悩ませる必要もないでしょうから」

 リティアがまばたきをした。そして、気付いたようだった。目を大きく見開いて、セリウスと、その隣の少女を見る。

「まさか」

「それでは、私はこれで。さあ、行きましょう」

 セリウスは少女の手を取った。これ以上パレスに用はなかった。わざとゆっくりと歩いて、エントランスへと向かう。

 呼び止められない自信があった。これだけの人がいるなかで、そんなことをする度胸があの母親にないことを、セリウスは知っていた。また、父親がバルの最後にしか現れないことも。

 演奏を背中で聞きながら、歩みを進める。まったく未練のないような顔をして、背後に意識を集中させていた。リティアが側近を呼びつけ、何事かを命じているのを、確かに感じ取っていた。






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