各自の行進
「来てた?」
文子は文化祭の帰り道に前置きもなく聞いてきた。
すべての片づけを終えて汗もにじむ中、時間は19時近くになっていた。俊介とは後夜祭で軽音部のライブを盛り上げに盛り上げたあと、また後日ふたりでお疲れ会をする約束をして別れた。後夜祭の撤収に文子が手伝いに来ているのを見て俊介なりに気を遣わせたらしい。
「知ってて聞いてるよね」
「俊介が質問してくるとは思わなかったよ」
「あいつも今日で立派に学芸発表会を理解したんだよ、きっと」
「それは良かった」
「うん良かった」
「チトセに振り回されて可哀そうだったよ、俊介」
「でも、楽しそうだったよ。あ、再来週の土日あいてる?」
「あいてない」
「うっそ、残念がるよあいつ」
「なんで?」
「俊介、野球部の秋季大会だから。文子と行くよ、って約束した」
「あぁ、それはそれは」
「謝っておかないと」
「それは無用だよ」
文子の声のトーンがわざとらしく低くなって自慢げな顔になった。
「どういうこと?」
「秋季大会、行くつもりだったから予定空いてないって言ったんだもん」
発表会の最初の笑顔と同じだった。
「ホントに?喜ぶよきっと」
「チトセがいくから喜ぶんだよ」
「じゃあなんで来るつもりだったの?」
文子は照れた顔になった。
「言わせるんだね。たぶんチトセも行くと思ったからだよ」
可笑しくなって愛おしくて、笑うしかなかった。
「何でもお見通しだな」
「まあね、1年生大会も行くんでしょ」
「来てくれる?」
「行くから言ってる」
もう、すべてが当然のことのように聞こえた。その言葉を境にして電灯の揺れる川面が波紋の向きを逆にし、少しの沈黙が落ちた。
「でさ、聞いてたんだよね」
少し真剣な声に文子がなった。
「聞いてたよ」
隣を歩く文子の横顔を真っすぐに見て答えた。
「どうだった?」
文子は前を見たままだった。
「俺、カバだったんだな。あんまり四足歩行した記憶はないけど」
「カバじゃないよ、コビトカバだよ」
「何か違う?それ」
「あんまり」
文子が4歩早く歩いて止まった。いつも見る背中だった。
「今、何考えてる?」
文子の背中に聞いた。
「駄目だよ。聞いて教えてしまったら、読書じゃないから」
「文子のおかげで読書の良さがわかってきたよ」
「それは良かった」
「良かったよ」
振り向いた文子は3歩ゆっくりと歩き目の前で止まった。あの時、津田沼の書店で互いに『ミーナの行進』をぴたりと合わせたあの距離と同じだった。
「これからも同じ物を見ていきたいね」
それは僕だけに向け放つ温かく甘い周波数だった。
「同じものを見ても、同じに見えるかわからないよ」
「そうだね」
「それでも、同じものを見ているって信じるしかないんだよね」
「私の発表を正しく理解しているみたいで良かったよ」
「なんで正しい理解をしていると思えるの?」
「ふふ、その手には乗らないよ。もう答えは分かっているくせに」
「やっぱり。でも僕は文子の答えを聞くのが好きみたいだ」
文子は下を向いて少し止まったが、すぐに半歩前に出た。
「そんなにサービスしないよ」
「心して聞きます」
顔を上げた文子の目は暗くて視線が交わっているかハッキリしなかった。けれどそこに文子の視点があると信じて一点を見た。
「理解しているかなんてわからないよ。全部物語だもん」
文子のハニカミが少ししか見えない星の散らばる空に吸い込まれていった。
「そっちもいいね」
「なに?期待外れだった?」
「文子はいつも期待通り、予想外のことを言ってくれるよ」
「チトセも、私の期待通りいつも予想外のことをしてくれるね」
今までで一番、文子の頭に触れてねぎらってあげたいと思った。発表が良かったとかそういうことじゃなくて、ここに文子がいて僕だけでは使わない頭の部位を刺激し続けてくれることに感謝したかった。僕から文子に触れたことなんてなかったから、それで壊れてしまうことがあるか想像の範囲を超えていたので躊躇した。
「たまには、いっぱい褒めてくれてもいいんだよ」
文子の悪戯っぽい笑顔が戻った。何もかもがお見通しなのが恥ずかしくなって、躊躇を吹き飛ばした。触れるたびに文子のボブの髪がパフパフ揺れた。
「かなわないよ。これからもカバでいるよ」
文子はみるみるヒマワリの笑顔になって、そのまま僕の頭を撫でた。
「コビトカバだよ」
「そうでした」
文子は僕の隣に戻った。
国道にまたがる歩道橋を僕が一段先を歩いて登った。
「このあとどうする?」
行きかう車の音で、文子の答えが一度かき消された。
「なんだって?」
文子が耳元まで近づいた。
「今日は特別。本屋行こうよ」
時刻は19時半を過ぎていた。もう、書店は閉まる時間が近かった。
「明日にしよう」
僕たちの振替休日の予定はひとまず決まった。
◆◆完◆◆




