シオンの叫び
夕暮れの森に、涼しい風が吹き抜けていた。
木々の隙間から落ちる光は橙に染まり、静謐な時間が広がっている。
その中で、シオンはひとり立ち尽くしていた。
すぐそばでは、リゼルが薄い本を胸に抱え、
アルヴェンが火の準備をしている。
けれど――
その温かい空気を、シオンだけが遠く感じていた。
胸の内はずっと、重く、暗い。
(リゼルは……すごい。
あの子の言葉は、聞く人の心を優しく包む。
光のように、あったかくて……。
私は……どうして……。)
喉が痛むほど飲み込んできた感情が、もう抑えきれない。
アルヴェンがこちらに気づく。
「シオン、今日はどうした? 顔色が――」
その瞬間だった。
堪えていたものが、一気に溢れた。
「ねえ……アルヴェン、リゼル……」
震える声が森にこぼれる。
「私……気づいちゃったの……。
リゼルって、この世界の“本物”なんだよね……?」
リゼルが驚いて目を丸くする。
「シ、シオン?」
「私は……違う。 私はよそ者なの。 この世界の言葉も文化も、全部あとから“教えてもらっただけ”。 あなたたちみたいに……最初から持ってたわけじゃない。」
シオンは胸を抱くように両腕を回した。
自分を締めつけるように。
「リゼルには……先祖から受け継いだ力があるんだよね? アルヴェンも言ってた……
“シオンは精霊の依り代、リゼルは精霊に守護された使い手だ”って……」
アルヴェンはシオンを見つめていた。
「じゃあ、私は……代役でしょ?」
声が震え、涙が溢れた。
「リゼルがいれば……もう私なんていらないんじゃないの!?」
その一言は、シオン自身の心をえぐる刃だった。
リゼルは首を激しく振った。
「ちがう! シオン、そんなこと思ったことない!」
だがシオンは止まらない。
胸に溜め込んでいた暗い感情が、
堰を切った川のように溢れていく。
「だって……見えるんだよ……!
私よりリゼルの方が“この世界”に馴染んでる。
力だって、言葉だって、みんな自然に湧き出て……
私にはできないことが、あの子には全部できる。」
自嘲気味に笑い、しかしすぐに声が震えた。
「私は……ただ、本の言葉を読むだけ。
誰かの書いた言葉をなぞってるだけ……。
リゼルはね、自分だけの言葉を持ってるんだよ……
親からもらった、大切な、本物の言葉。この世界で生まれた…」
リゼルが小さく息を呑む。
シオンの声は悲鳴に近かった。
「私は……誰からもそんな言葉をもらえなかった!
前の世界では、心ない言葉ばっかりで……
ここに来て、やっと……やっと、自分の居場所ができたと思ったのに……!」
森が凍りついたように静まる。
シオンは両手で顔を覆い、泣き叫んだ。
「この世界でも、私は……いらないんだ……!
リゼルがいれば、それでいいんでしょ!?
私は……ただの代わりなんだよ!!」
アルヴェンは胸を抉られたような表情でシオンを見つめた。
「シオン……そんなこと、誰も思ってない……!」
「思ってなくても、分かるよ……見てれば分かる……
私は……この世界の“本物”じゃない……。
この世界が欲しがってるのは、リゼルみたいな人なんだよ……
私は……不要なんだ……」
リゼルは涙を零しながら叫ぶ。
「シオン! あなたは私の……大事な――」
けれどその言葉を聞かず、シオンは首を振る。
「もう……無理。
声なんて……もう出したくない……」
シオンはその場に蹲り、
小さく、かすれる声で付け足した。
「……だって……本物じゃないことばを読んでも……誰も、喜ばないでしょ……?」
その姿は、
あまりにも細く、あまりにも痛々しかった。
その夜から、
シオンは朗読を“体調不良”と理由をつけてやめるようになる。
読んでほしいと頼まれても、
笑ってごまかし、決して声を出さなかった。
気づけば、シオンはいつもひとりでいた。
リゼルとアルヴェンが朗読をしている時も、
少し離れた木陰から、静かに見ているだけだった。
やがて――
シオンは、2人の前から忽然と姿を消した。
残されたのは、
彼女が寝ていた場所に落ちていた、一枚の紙切れだけ。
そこには震える文字でこう書かれていた。
「ごめんなさい。
私がいなくても、世界はちゃんと続くから。」
森の風がその紙を揺らした。
その音だけが、
消えた少女の最後の声のように響いた。




