詩音の日常
小学校、中学校、高校と、彼女の話し方は「変な子」として嘲笑の対象になり続けた。誰かに話しかけるときにはまず言葉を頭の中で吟味し、言葉を文章に組み立ててから話そうとするからなかなかすぐには返事が返せない。
相手の反応を恐れて口を閉ざす。
そんな彼女の“丁寧でたどたどしい言葉”は、同世代の子供たちには理解されなかった。
「また難しい言葉使ってるー」「一緒にいると疲れるんだけど」
「なに?なんで黙ってんの!」
こうしてだんだん話すことが苦痛になっていった。言葉を出すことさえ苦痛と恐怖が伴うようになっていった。
そのうち誰からも話しかけられなくなるのは当然の結果だった。
できることは事務的のような会話だけ.。
ハイとかいいえとか。その程度ならなんとか。連絡事項も淡々とこなせる。
そんな詩音を周りは、サイボーグとかロボットとか、音声AIなどと馬鹿にしていた。
こうして家でも教室でもでひとりで本を読む時間が、唯一心が穏やかでいられる場所だった。
彼女は、本の中にある美しい表現、救いの一文、胸を打つ文章をノートに書き写し、それを毎日何度も読み返した。
それが、詩音にとっての祈りだった。
ノートは何冊にもなった。スマホを使わないで手書きで書き写していると、自然と自分の一部になっていく感覚…それが詩音は好きだった。ただ書き写す…
それは数ページにわたることあった。その何ページに及ぶ文を詩音は覚えていた。それを心で何回も朗読する。そうしていつも一人の時間を過ごしていた。そしてそれはますます詩音の周りの人々との間に壁を作っていった。
家庭では言葉を否定され、学校では言葉を嘲笑され、SNSでは「まわりくどくてウザい」「あいつ、自分だけ文学少女気取り」と叩かれた。
それでも詩音は、ただ一つの支えとして「言葉」を信じ続けた。
夕暮れ時の駅のホーム。学校帰りの制服姿の詩音は、雑記帳を開いたまま歩いていた。
“それでも人生にイエスと言う” (ヴィクトール・フランクル『夜と霧』)
その一節を何度も目でなぞり、心の中で唱えていた。




