リゼルとの出会い
アルヴェンは黒騎士におそわれたあと、シオンとは別に連行されていた。
そんな途中、灰色に沈んだ空の下、言葉が死に絶えた村があった。人々は互いに目を合わせず、声も交わさず、ただ生きていることだけが確認できるほどの静寂が支配してるのではないかと思われるような村だった。崩れたままの建物、道はひび割れ、空気は常にどこか乾いていた。その村にぽつりとひとつの影が揺れていた。
それは、少女だった。ぼろぼろの服に身を包み、靴はとうに破れて素足が覗いていた。髪は泥と埃にまみれ、顔の表情は深い闇に覆われていた。
「やさしさは ひとつひとつ こぼれ落ちても たまるもの…」
呪文のように、少女はそう口ずさんでいた。美しい、けれどこの場には不釣り合いな言葉だった。その声は、精霊に乗って村の外れまで届いていた。
アルヴェンは、そこでその声に出会った。
揺れる馬車の中で村の重苦しい空気に胸を押さえながら、ふと耳に届いたその声。震えるような、けれど確かに生きた声。アルヴェンの中で、何かが静かに揺れた。
彼は静かに息を吸い、言葉を口にした。
「ほんとうの勇気とは、静かに、ゆっくりと、恐れに触れながらもなお、その場所に立ち続けること。……恐れが去るのを待つのではなく、そのただ中に、心の深さで灯をともすこと。」
周囲が一瞬、静かになった。
アルヴェンはさらに言葉を重ねる。
「たとえ世界が私を踏みにじり、塵に還そうとしても、私は立ち上がる。傷ついても、笑われても、拒まれても、私は立ち上がる。私の中にあるもの、それは歴史より古く、希望より深い、魂の強さ。……恐れが叫んでも、闇が押し寄せても、私は——なお、ここにいる!」
馬車の音がアルヴェンの声をかき消すかに思えたがそうはならなかった。
それはもう声ではなかったからだ。
黒騎士にもなにも聞こえてはいなかった。
少女は声ではない声のする方に顔をむけた。アルヴェンは全身から力をこめて叫んだ。
「——言葉よ!」
その一声ならざる声に少女が応じた。空が振動した。
「立て!」
その時初めて黒騎士達がなにかに気がついた。
風が吹き出した。
「目覚めよ!」
空気が軋む…
「聴け!」
「赦せ!」
瞬間、天から白い光の柱が降り注いだ。
光は黒騎士達を頭から包みそして消えた。
それは怒りではなく、浄化だった。誰かを倒すためではなく、すべてを赦すための炎。再生の光。
騎士たちは地面に落ち、ひとり、またひとりとその場に膝をついた。そしてそのまま倒れた。それをみていた村人達は悲鳴をあげることもできず逃げ出した。
少女の体から放たれた言葉の波動が、すべてを包み、世界を照らしていた。
アルヴェンにはみえていた。
ことばの妖精がその少女を守護するのを。
その少女が馬車に近づいてきた。
「あなたは誰?」
アルヴェンははっとしたように顔をみた。目が合う。その瞳の奥には警戒と、そして微かな希望が揺れていた。
「誰も、私の言葉に応えてはくれなかったのに…」
「私は、強いと思った。君の言葉に、力を感じた…」
少女は一歩引き、アルヴェンを見つめた。その顔に、長く封じていた何かがこぼれる気配があった。
少女、リゼルは語った。かつて両親が彼女に残した言葉の記憶。「言葉は贈りもの。やさしい気持ちは、言葉にするともっと強くなる」。彼女の両親は詩人だった。けれど、ノイズがこの地を覆い始めたとき、言葉を大切にする者は次々と姿を消した。リゼルの両親も、村の人々に追われるようにして命を落とした。
それでも、リゼルは生き延びた。両親の言葉を呪文のように唱え続けることで、心を保った。誰にも理解されず、狂っていると嘲笑されながらも、言葉を手放すことだけはしなかった。
アルヴェンは、彼女の話を黙って聞いていた。そして、そっと微笑んだ。
「私は、君の言葉を信じる。だから、これからも一緒に唱えてもいいか?」
リゼルの瞳に、涙が浮かんだ。
「いいの……? わたしの言葉を、一緒に……?」
「あ…。君の言葉には、力がある。だから……私にも、聞かせてほしい…」
小さな光が差し込んだ瞬間だった。
ふたりの声が重なって、響いた。
「やさしさは ひとつひとつ こぼれ落ちても たまるもの」
その場空気が、ほんの少しだけ、柔らかくなったような気がした。




