シオンの護送
黒い騎士たちは、シオンを囲むようにして立っていた。
鎧は墨よりも濃い闇に染まり、その隙間からは細い黒煙が絶え間なく漏れている。
それは彼ら自身のものではなく、**偽りの神となったノイズが植え付けた“支配の残滓”**だった。
「歩け。魔女め」
声は騎士自身のものとも、ノイズの囁きともつかぬ濁りを帯びていた。
シオンは抵抗する気力もなく、彼らに腕を掴まれて
手錠と足枷をつけられて囚人馬車に押し込まれた。
馬車の中はほの暗く、木の床には乾いた泥の跡が残っている。
鉄格子の向こうから、黒い騎士たちが毎日のように彼女へ言葉を浴びせた。
「お前の声は災いだ」
「世界を乱す忌み子」
「お前の声など結局、誰にも必要とされない」
「きっと母親にも相手にされなかったんだろ」
「気持ち悪い声だ」
「ことばだけが頼りのさみしいやつだ」
「話し方が気持ち悪い」
「なにをかっこつけて話してるんだ」
「気取りやがって」
もう散々前の世界でも言われた言葉が次々とシオンを襲ってくる。
しかしそれは騎士の意志ではなかった。
ノイズが彼らを通して発する言葉だった。
シオンは背を丸め、耳をふさぐこともできず、ただ耐えるしかなかった。
言葉に殺されたあの前の世界の記憶が、何度も呼び起こされる。 それとともにこの世界の理の通りことばが本当の暴力、力となってシオンの体を痛めつけた。アザや切り傷のようなものも次第に増えていった。
心も体もすっかり傷ついていた。
(……まただ。わたしは、結局……どこに行っても……)
小さく震える指先。
朗読で救った人々の笑顔は遠く霞み、かわりに黒い言葉だけが胸の奥に沈殿していく。
馬車がある街に入ったときだった。
広場には多くの人々が集まり、騎士たちの先導でシオンが引きずり出された。
最初の石が飛んだのは、沈黙のあとだった。
ひゅ、と風を切る音。
頬に当たった衝撃よりも、石を放った女の瞳の冷たさが胸を刺した。
「人心を乱す魔女め!」
次々に罵声が上がる。
「あっちへ行け」
「災いの声!」
それらのことばがまたシオンの体も心も痛めつける。シオンの体にはアザや切り傷がまたあきらかに増えていた。
しかしその人々の後方、建物の影に、怯えた顔でこちらを見ている親子の姿があった。
母親が子を抱き寄せながら、小さく何かを唱えている。
遠すぎて聞こえない。
ただ、子ども強張った顔で手が母の服を掴むのだけは見えた。
別の村では、人々は家の中からそっと窓を開けて馬車を見つめていた。
誰も声を上げず、石も投げない。
ただ、押し殺した呼吸が重なり、村全体が深い湖の底のように静まり返っていた。
そんな中、ひとつの家の中で、母と幼い娘がことばを紡いでいた。
娘は震える声で、母の手を握りながら言葉を紡ぐ。
母は肩を震わせ、娘を抱きしめた。
誰もことばを紡がない中で親子はこのときでもことばを紡いでいた。
また別の街。
馬車の通る道沿いに、住民たちが並んでいた。
最初は沈黙だったが、一人の老人が両手を胸に当てて、震える声で紡ぎ始めた。隣の若者も続く。
誰かが続き、そしてまた誰かが。
通り全体に、小さな祈りのような言葉が連なっていく。
黒い騎士が剣を抜き、怒号を飛ばすと、人々は慌てて沈黙した。
しかし去りゆく馬車の背後で――かすかに、また声がこぼれ始めた。
振り返ることはできない。
ただ、薄闇の中にわずかな光が揺れて見えた気がした。
言葉の精霊の微かな光。
それは本当に見えたのか、ただの幻なのか、シオン自身にも分からなかった。
夜になると、馬車は郊外に停められ、シオンは粗末な布に包まれただけで眠らされた。
身体にはこの世界の理によりつけられたことばに殴られた痕、蹴られた痕が青黒く広がり、指先は冷えて感覚がなかった。
心も同じように、冷たく、重く沈んでいく。
(……わたしは変われなかった。
異世界に来ても、人を救えるなんて思い上がりだった……
やっぱり……わたしは……いらない……)
思いは闇の底へ沈んでいった。
星は見えているのに、どれも遠い。
その夜、黒い騎士の鎧の隙間から濃い黒煙が漏れ、彼らは寝息を立てながらシオンに向かって低く囁いた。
「絶望しろ……諦めろ…嘆け……消えろ……」
それはノイズの声。
しかしその声が遠ざかる瞬間、微かに、対照的な響きが胸の奥に灯った。




