牢番の子供
空気は重く、どこか湿ったにおいがした。
シオンは石造りの牢の片隅に座り、目を閉じていた。
「……“春は、名のみの風の寒さや”」
記憶の底からすくいあげた一文を、彼女はそっと口の中で繰り返していた。
言葉は彼女の心を落ち着かせ、やわらかく呼吸を整えていく。
シオンとアルヴェンはある街で王命により牢に閉じ込められていた。
「……それ、あんたが今つぶやいてた詩か?」
牢の外から声がした。見ると、無精髭を生やした牢番の男が立っていた。
「そんなに、ことばが好きなのか?」
シオンは静かに頷いた。
男は、戸惑いながらもどこか決意したように言った。
「……なあ。変な頼みかもしれんが……俺の子供にな、いいことばをくれないか…」
シオンは目を開いた。
「子供……さん?」
「五つだ。もう長くない。医者には……もって一ヶ月だ…」
男の声は震えていた。
「俺はなにもできなかった。病気は治らん。でも、せめて、最後ぐらいは……」
シオンは静かに手を差し出した。
「雑記帳を……返してもらえますか?」
男は一瞬驚いた顔をしたが、無言でどこかへ行った。しばらくして戻ってくると手にシオンの雑記帳を持っていた。
シオンはそれを受け取ると、ゆっくりとページを開いた。
そして、希望と優しさがあふれる一節を書き写し始めた。
「……読んでみてください」
シオンは書き終えた紙を牢番に渡し、読み方を何度も練習させた。
男の声は拙く、ときおり詰まったが、必死に音を乗せた。
その夜。
牢番は我が子の枕元でその詩を読んだ。
次の夜も、また次の夜も。
子供は弱りながらも笑い、「今日もお星さまの声がしたよ」と言った。
最後の夜。
子供は微笑みながらこう言ったという。
「ねえ、おとうさん……ぼく、星になるね」
そしてそのまま、眠るように旅立った。
数日後、牢番は涙声で詩音に語った。
「……あいつ、最後まで笑ってた。俺は、あんなに泣いたことはない……」
しばらくしてシオンは牢を出た。
牢番がそっとおしえてくれた小さな墓に、シオンは野の花を供え、手を合わせた。
静かな風が吹いた。
その風の中に、小さな子供の声の気配を感じた。
それはきっと、朗読が導いた言葉の精霊の祝福だった。
「ぼくが毎晩同じ星を見上げるのはね、
きみがその星のどこかで笑っているって、そう信じられるからだよ。
きみの笑い声が、ぼくの夜を明るくしてくれるんだ。」
シオンはその墓に向かってことばを紡いだ。




