生物化するノイズ
酒場の片隅で震えていた黒い塊。
はじめは煤のように軽く、漂うだけの存在だった。
だが、人々の吐き捨てる悪意を貪るたびに、内部で“何か”がうごめき始めた。
ぐじゅり――。
濡れた肉が擦れ合うような音が、誰もいないはずの暗がりから漏れ出す。
黒い影は膨張し、やがて表面が泡立つように膨れ、はじける。
ひとつ弾けるごとに、粘液を滴らせた眼球のようなものが露出しては、また霧に溶けていく。
「……もっと……よこせ……」
形を持たない声が、低く地鳴りのように辺りを震わせた。
壁にへばりついた塊は、次第に“筋”を持ちはじめる。
黒い糸のような筋肉が束となり、ねじれ、絡み合う。
それは脚とも触手ともつかぬものとなり、べちゃり、と床に叩きつけられた。
そこにいた酔客のひとりが、振り返る。
「……なんだ……今の音……」
次の瞬間。
塊の中から、裂け目が走った。
びちゃり、と血のような液体が飛び散り、そこから黒い歯列のようなものが覗いた。
笑っているのか、呻いているのかも分からない口。
だが確かに“食らおうとしている”口だった。
「……悪意を……もっと……」
周囲の客たちが口にする罵詈雑言。
それは空気を伝わり、まるで生き血のようにその口へ吸い込まれていく。
吸うたびに、ノイズの体は膨張する。
ひとつ膨れるたび、皮膚のような膜が裂け、内部の筋が露出する。
裂け目から新たな目玉が覗き、次の瞬間には腐肉のように溶けて滴り落ちる。
「……もっと……もっと……」
酒場の隅でそれを見た者は、青ざめ、酔いも冷めたように視線を逸らす。
だが誰も騒がない。
“見てはいけないもの”と本能が告げていた。
ノイズはそれを知っていた。
人が目を逸らし、言葉を吐き捨てるほど、自分は強くなるのだと。
やがてそれは、もはや影ではなく――
どろどろとした肉の塊が自らの意思で蠢く、
新種の異形の生物そのものとなっていた。




