呪いの中身7
金目は歩みを開始した。
と同時に、足を止めた。
何があったわけではない。
何故だか急に、今しがた通り抜けてきた場所が気になったのだ。金目は崩れ落ちそうな体をギチギチと回転させ、後ろを振り返る。
その部屋は、散乱していた。
金目がそこに叩き込まれたからではない。
それ以前から、その部屋はこうだったのだと、なぜか金目は知っていた。
棚にはよく分からないガラクタが乱雑に詰め込まれ、床にも足の踏み場がないほどに物で散乱している。
何かを踏みつけた。
見ると、槍のような足に映画研究会と書かれた札が突き刺さっていた。
足を持ち上げると、札は真っ二つに割れ、乾いた音を立てて床に落ちた。
ガサガサと、ノイズが走る。
そこには誰もいない。しかし、そこにいる誰かの姿を、金目は幻視する。
「おはよう健太郎、今日も楽しそうで何よりだ」
そう言って笑いかけるくれるあの人は、一体誰だったか。とても、大切な人だったはずなのに。
「ケンの作る映画、私は楽しみだなあ。もちろん、私を使ってくれるのよね?」
美しい声が聞こえる。とても焦がれた人のものだったはずなのに、その声の主の名前も顔も思い出すことができない。
違うと、金目はかぶりを振る。
そんなものは自分は知らない。必要もない。自分はただの呪いの権化である。あのお方の意のままに動く人形である。それ以外の何物でもない。
足元からかさりと紙の擦れる音がなる。
金目は視線を落とす。
「」
声はなかった。元よりその金目には発声する器官が存在しない。
視線の先にあったのは割れた札と、その横に落ちた写真だった。
壁に貼ってあったのだろう、テープの跡が見える。
場所はどこかの倉庫のような建物。四人の男女が肩を組んで笑っている。
人の良さそうな細身の優男、モデルのようなスラリとした美女、先ほど殺し尽くした男、そして――
――これは誰だ。
金目の中で、初めて明確な言葉が紡がれた。
この写真は知っている。
作った映画の撮影が終わった後に撮ったものだ。
ああそうかと、金目は納得する。
これは自分なのだと。
自分だった何者かなのだと。
もはやその存在はどこにもいない。
思い出すこともできはしない。
金目は外を振り返る。
武器を構える人間がいる。
写真の中の一人だ。
体が崩れていく。
切られた箇所から存在が失われていく。
女が振るった刃は、自身を殺し尽くす呪詛にまみれていた。それでここまで裂かれては、もうこの命は終わる。
金目はガタガタと覚束ない足取りで外へ出る。
自分が何者なのかは分からない。
けれど、そうしなくてはならないと感じた。
放っておいても滅びる身だが、最後はそうしてもらいたいと感じた。
金目は武器を構える男を見据え、折れた刃で自分の胸をコツコツと叩いた。
それだけで意図が伝わったのか、男は目を見張る。
金目はもう一度胸を叩く。
男は眉を曇らせ、ジリジリと距離を詰めてくる。
金目はもう一度だけ、後ろの散らかった部屋を見る。
もうそこには戻れない。
もうそこに居場所はない。
叫び出したいほどの衝動が胸を過ぎるが、もうそのための口は失われてしまった。
「健太郎、お前なのか……?」
声が聞こえた。
男はすでに目前にいた。
恐怖と期待とが入り混じった複雑な表情をしている。
健太郎。
そうだ。それこそが、かつて自分だったものの名前だと金目はようやく思い出す。
――尾辻健太郎。
もはや戻れないその名前。
この身を犯した、呪いの中身の名前。
金目はただ頭を振り、違うとその名前に最後の別れを告げる。その名前を名乗ることは、もうできないと分かっていた。
もう一度、胸を叩く。
言葉もなく、そこを刺せと、金目は告げる。
道隆は一瞬、泣きそうな目をした。
しかしすぐに、それを拭い去るように武器を構え直す。
そして銀の武器は、真っ黒な胸へと突き立てられた。
金目は最後に、ありがとうと声もなく呟いた。
最後に何者かとなったその体は塵となって、そして消えていった。




