人は仕舞い、呪いが開く
異界の沈黙の空に、突如として健太郎の大絶叫が響き渡った。
白亜のマンションがなくなってしまったので、どこから戻ろうかと話をしていた、まさにそのときだった。
まるでこの世の絶望全てを詰め込んだような、聴覚から脳を引き裂く悲痛な叫び声だった。
「――健太郎!?」
道隆は健太郎の元へ駆け出した。
健太郎は体を折りたたみ、尚も絶叫しながら胸を掻き毟る。
その瞳が、強く黄金に輝いた。
「そんな――どうして……?」
白亜は呆然と呟く。
「は、白亜ちゃん、どうなってるんだ! あの目は――」
「私にもわかりませんよ!」
珍しく白亜は声を荒げた。
「あいつは呪いの力なんか使ってなかっただろ!」
「分からないって言ってるじゃないですか!」
健太郎の元へ辿り着く。健太郎はぎこちない動きで体を起こし、黄金に輝く瞳で道隆を見る。
「みち……たか……せ、んぱい……」
「健太郎! しっかりしろ健太郎!」
「う――あ――あ――があ――うわあああああああ!」
健太郎の体が海老反りに仰け反った。まるで空に向かって吠える獣のように。
凄まじい冷気が、健太郎へと渦を巻きながら集まっていく。少しでも気を抜けばたちまち吸い込まれてしまいそうな冷気の奔流の中、バキバキと音を立てて、健太郎の体が真っ黒に染まっていく。
腕は全体が刃のようになり、足もシャープな突撃槍のように変化した。まるで近未来のロボットのようなフォルムだ。
体の表面もまるで陶器のようにつるりとし、一部割れた箇所から黄金の瞳が覗いた。
天を仰いで叫んでいた口も、陶器のような膜で覆われ、健太郎の声は完全に消えてしまった。
そしてその背中から、真っ黒な、骨組みだけのような翼が現れた。
「黒い……翼……」
金目の中の上位種。
かつて相対した怪物を思い出し、道隆は血の気が失せる。
「――運悪く出くわしちまったら、そんときは一も二もなく逃げるこった。次も奇跡的に助かるなんてことはないと忠告だけはしておいてやるよ」
プテラノドンの言葉が鮮明に思い出された。
不意に、風が止んだ。
ありとあらゆる音が消え失せた。
まるで無限にも思える一瞬の静寂の後、収束された冷気が一気に炸裂する。
白亜と道隆は揃って吹き飛び、地面を転がった。
気温は一気に氷点下に達し、胸が激しく痛んだ。頭が内側から叩かれるようにガンガンと痛み、目の前がチカチカと明滅する。
「綾瀬さん!」
意識が朦朧とする道隆を肩に担ぎ上げ、白亜は大きく後退する。
「気を確かに! 落ち着いて深呼吸をしてください!」
意識の遠くから白亜の声が聞こえ、その声に縋り付くように従う。ゆっくりと呼吸をすると、だんだん楽になってきた。
気温が一気に下降したことでヒートショックを起こしかけたらしい。
道隆は地面に降り立つと、まだ痛む胸を押さえながら金目に変貌した友人の方へと顔を向ける。金目はその場から少しも動かない。ただ、じっと黄金の目をこちらに向けている。
「くそ……何がどうなってるんだ……!」
健太郎は確かに理性を取り戻していた。
もうこれ以上、力を使う理由などなかったはずだ。
にも関わらず、道隆と白亜と別れた僅か数分後に金目と化した。
「健太郎……!」
距離にして百メートル。
遠くに見えるその姿を睨みつける。
その姿が、ふっと消えた。
え、と思う間もなく、
「――綾瀬さん、下がって!」
気付いたときに、その金目は目と鼻の先で白亜と鍔迫りあっていた。
遅れてガンと金属音が響き、衝撃に全身が打ちのめされる。
百メートルを、一瞬で詰めてきた。
あり得ない速度。
そんな新幹線の衝突に匹敵する衝撃を、白亜は受け止めている。白亜の噛み締める強さに耐えきれず歯茎から噴き出た血が唇の端から漏れ出る。
「綾瀬さん……どこか……隠れて……!」
白亜は金目の両手のブレードを弾き上げ、返す刃で袈裟懸けに切り込む。
しかし金目はまた姿を消し、杭は銀の残像を宙に引く。
「上だ白亜ちゃん!」
白亜の顔が上へと跳ね上がる。
真っ黒な異形の二刀使いは、その凶悪なブレードを白亜へ向かって突き立てる。
白亜は寸前で後退して刃から逃れる。
刃は地面に深々と突き刺さり、そこから剣山のように氷柱が飛び出してきた。
「くう――っ!」
氷柱の発生速度は凄まじく、針の壁を絶えず叩きつけられるようなものだった。白亜は銀の杭で応戦するが、次第に追いつかなくなっていき、その身が裂かれた。
「はく――」
「逃げてください!」
氷柱に紛れて突進してきた金目の、その突撃槍のような足が白亜に向かって繰り出される。
白亜はそれをなんとか杭で受け止めたが、その勢いに負けて体が浮かび上がった。続く横薙ぎの回し蹴りが白亜の左半身に直撃した。
白亜の体は容易く吹き飛び、服屋のショーウィンドウを突き破って店内を破壊した。
「白亜ちゃん!」
道隆は悲鳴のような声を上げる。
白亜が叩き込まれた店へと向かって駆け出そうとしたとき、緩慢な動作で足を下ろす金目が視界に入り、体が硬直した。ギラギラと輝く黄金の瞳が、今度は道隆に向けられる。その瞳に、健太郎の面影はない。
「どうしちまったんだよ……」道隆は悄然と呟いた。「お前、納得してくれたじゃないか。和解できたと思ったのに、どうして……どうしてだよ!」
金目に、道隆の言葉は届かない。
今度はお前だと言葉もなく告げ、両手の刃を擦り合わせながら近づいてくる。その一歩ごとに、この世の終わりのような寒気を感じた。




