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アウスコトマ  作者: 屋形湊
第三章
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人の話

「いや、まあなんスか。道隆先輩の言うことは分かりましたよ。奥村さんを信用できないという言葉も撤回します」


「それなら」


けれどと、健太郎は道隆の言葉を遮った。


「俺はまだ、止まるわけにはいかないんスよ」


道隆は言葉を失う。

呪いの力を使いすぎれば現実に帰還できなくなる。そのことを知らされたとき、道隆は相当にショックを受けた。

だというのに、健太郎の瞳には少しの迷いもない。これも操られているのかと思ったが、そんな様子は微塵も見受けられない。


「お前、僕の言ったこと、理解できてるのか?」


「失礼だな。これでも成績優秀なんスよ?」健太郎は笑みを崩さずに続ける。「力を使い続ければ、こっちに帰れなくなるんでしょ? ちゃんと分かってますよ」


「それなら」


「あいつらは、クズです」


「……そのことも、総司さんから聞いたよ。お前に昔何があったのか、全部聞いた」


「ならお互い様っスね。誤って損した」


冗談めかして健太郎は言い、番傘を開いて東屋の外に出る。番傘は陽の光を赤く染め、健太郎を照らした。


「お前を食い物にしていた奴等は、クズと言ってもまだ控え目なくらいのゴミだ。僕だってそう思う。けど、そんな奴等に、お前が手を汚す価値なんかないだろ!」


健太郎は番傘を肩にかけたまま道隆を振り返る。

その後ろでは、小さな子供を連れた女性が公園に入ってきたところだった。


「一つ誤解がありますね。俺は、個人的な復讐なんか考えてやしませんよ」


「――それなら、お前はどうして……?」


健太郎は視線を上に向ける。


「あいつらは、俺の写真を大学にばら撒こうとしました。けど、そんなことをされれば、俺たちのあの映画はどうなりますか?」


予想外のことを問われ、道隆は言葉に詰まる。しかし答えは明白だ。上映できなくなるか、できたとしても悪評が先行して正当な評価は得られない。


「あの映画は、研究会のみんなで作り上げた大事なものです。それに、俺は総司兄さんには返しても返しきれない恩がある。あの人が心血を注いだ映画を――みんなで作った大事な作品を、守りたかった」


「僕たちの――ため――?」


「そんな傲ったこと言わないっスよ」


健太郎はそう言うが、事実そういうことなのだろう。

健太郎の受けた屈辱的な行為を知っても、それでも健太郎と復讐という行為を結びつけることができなかった。しかし、今健太郎が語った動機は、道隆の知る健太郎の人物像そのもので、酷く腑に落ちるものだった。


「けど健太郎……。それならもう目的は達している。お前が追っているもう一人も、お前をさらに怒らせるようなことはしないはずだ」


「道隆先輩。今の話は、俺の最初のきっかけの話っスよ。今の動機はまた別です」


「別って、他に動機なんか何も」


「確かに、あの害虫はもう俺には関わらないでしょう。けど、それ以外の人はどうなります?」


「……その話なら、白亜ちゃんにもしたんだろ? 聞いてるよ。だけど、そんな不確定な未来のためなんかに」


「不確定なんかじゃない」珍しく健太郎は怒ったように声を荒らげた。「あいつらが乗ってきた車を調べたんスよ。そしたら、何が出たと思います?」


道隆は想像もできず、分からないと答える。健太郎は、それが正常だとだけ返し、詳しい説明はしなかった。

ただ、その顔に心の底から嫌悪が滲み出していた。


「未来の話なんかじゃない。俺と同じような目に遭っている人が、現在進行形で存在するんスよ。俺はその人たちを助けないといけない。その力が俺にはある。だったら、これは俺に課された義務だ」


目を背けたくなるほどの真っ直ぐな正義感。誰かを助けたいという願い。しかし、それが歪んでいることに――どんな理由があっても人を殺してはならないという大原則に反していることに、健太郎は不自然なまでに気づかない。


「逃げた奴を捕まえて、駆除する。俺の目的はそれだけです。だから道隆先輩――見逃してはくれませんか」


思わず聞き入れたくなる。歪んでいてはいても、健太郎の動機を支持したくなってしまう。それが許されないことであると分かっていても。


そう、許されないと分かっているから、見逃すことはできないのだ。


健太郎は井田を処分したら終わりにすると言っている。だが、次に健太郎の前に悪党が現れたとき、本当に踏みとどまることができるのか。

きっとできないだろう。

だから、ここが最後の分水嶺なのだ。


「お前があとどれくらい力を使うことができるのか、僕には分からない。だから、僕はお前に今すぐやめろとしか言えない」


健太郎は怪訝に目を細める。

道隆はそんな健太郎へと歩み寄っていき、一メートルの距離で足を止める。強さを増してきた夏の日差しが、たちまち全身を熱した。


「一つ、大事なことを思い出した」


道隆はギロリと健太郎を睨みつける。健太郎は威圧されるように一歩後ずさった。


「お前が追っている奴――井田なんとかって奴は、もう異界にはいない」


「……はあ?」


「僕たちが見つけて、こっちに連れて帰った。今は、絶対に見つからない場所に隠している。お前には到底見つけられない場所だ。お前の望みは、絶対に叶わない」


健太郎の目に、チラリと怒りの炎が灯った。


「どうしてそんなことをするんですか? 道隆先輩、あなたも――加害者を守るんですか?」


「ふざけたこと抜かすな。お前を守りたいんだよ馬鹿野郎が!」


道隆は怒鳴った。

滑り台で遊んでいた子供が声に泣き始め、母親は慌てて子供を抱いて公園から出ていった。

道隆は構わず続ける。


「僕はお前がこれ以上罪を重ねるのも、こっちに戻れなくなるのも、どっちも耐えられねえんだよ! 顔も知らないどこぞの誰かなんか知ったことか! 文句あんのかこの野郎!」 


「文句あんのかって……」


「お前は凄いよ。立派だよ。誰にも迷惑かけたくなくて一人で耐えたんだろ? 僕が二浪までして入った大学に、お前は自力で一発で合格したんだろ? 悔しいけど、お前は心の底から尊敬できる凄い奴だよ。そんなお前が、あんなゴミみたいな連中のために罪を重ねるなんて、そんな理不尽を許せるもんかよ!」


道隆は健太郎の胸倉を掴む。健太郎の手から番傘が滑り落ち、地面を転がった。


「お前は頑張ったんだろ。頑張った奴は報われるべきじゃねえのかよ! 不幸な目に遭ったんならそれ以上に幸せにならないと嘘だ。お前は、誰より幸せにならないといけない奴じゃないか! お前はもう自分のことだけ考えてていいんだ!」


「……俺は……だけど……今さらそんな勝手なことはできない」健太郎は道隆の手を振り払う。「あいつらは放っておけない。あいつらは死んで当然だ。あいつらは」


一人として生かしておけないと、健太郎は叫んだ。

尚も怒鳴り返そうと道隆は口を開きかけた、そのときだった。


「今、気になることを言ったね」


その声が突如、二人の間に割って入った。

見ると、二人の男性がこちらに向かって歩み寄って来ていた。


轟木と、その相棒の中村。そんな名前の、二人の刑事だ。

なぜここにと、道隆は疑問に思う。あまりにタイミングが良すぎる。考えられることは一つだけだ。


――尾行されていた。


自分の迂闊さを呪う。その可能性があることは、あの夜轟木に会ったときに予測しておくべきだった。


中村は健太郎に向かって警察手帳を開く。


「尾辻健太郎くんだね。今の君の発言について、詳しく話を聞かせてもらえないか?」


健太郎は目を丸くして硬直していたが、その視線がみるみる敵意に満ちていき、道隆を睨みつけた。


「俺をはめたんすか?」


その目は、もはや小動物などという可愛らしいものではない。まるで狼のような、獰猛な肉食動物のそれだ。

狼狽しながらも道隆は違うと否定したが、健太郎は鼻白んだ視線をチラと向けただけで、それ以上は何も言わなかった。


健太郎は地面に転がった番傘を拾い上げて、それを閉じる。そして、それを自分と警官との間に線を引くように軽く振った。


ゾッとするほどに冷たい突風が吹いた。砂塵が巻き上がり、二人の警官の視界を奪う。地面が薄く凍結し、広がっていく。


「動くな!」道隆はポケットを叩いて、さらに声を上げた。「異界に逃げるつもりだ! 僕が行く!」


道隆はそう直感して叫んだ。

風の向こうに見える健太郎の姿に向かって全力で地面を蹴る。吹雪のような風と冷気に怯みそうになるのを堪え、跳躍する。


健太郎の体にほんの一部触れる。

そう感じた次の瞬間には、周囲からありとあらゆる一切の音と人の気配が消えた。


目の前の、尾辻健太郎ただ一人を除いて。

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