とある悲劇について1
道隆は大学構内の学生会館に立っていた。
日中は学生たちで賑わう学生会館だが、現在は人の気配は希薄で静まり返っている。
中に入り、映画研究会の部室を目指す。時刻はすでに20時である。この時間に部室に来たことは映画の撮影中を除いてなかったが、どうせ総司か香子のどちらかはいるはずだと予想する。
そしてその予想に反することなく、さま当たり前のように総司は部室で寝転がっていた。
総司は部室にやってきた道隆を認めると「おや」と少しだけ驚いた様子を見せて立ち上がった。
「こんな時間に珍しいね。何か忘れ物?」
「いえ、そういうわけでは……もしかして寝てました?」
「ちょっとだけね。大丈夫。もう目は覚めた」
「もう映画は完成したんでしょう? まだ何かやってるんですか?」
「新作のネタを思いついて、プロットねってるところ」キランと総司は目を光らせる。「聞きたい? ねえ聞きたい?」
「また今度にします」
ふと、部室の端に視線を走らせる。そこに放置されたダルマの頭には、未だに健太郎の筆箱が置いたままだった。この前に来たとき、見事に忘れて帰ったようである。そのまま放置されているということは、それから部室に来ていないのだろうと推測した。
「会長一人ですか?」
「一人だけど、あ、もしかして香子に用事? たった今銭湯に出かけて、それから一杯引っ掛けてくるとか言ってたからあと二時間は帰らないよ」
「いえ、香子さんに用事があるわけでは。ちょっと足が向いただけと言いますか」
「ほう。君がここを気に入ってくれているようで何よりだ」
そういう意味ではなかったが、総司が嬉しそうなのでそういうことにしておいた。道隆としては、綺麗に片付いてさえいれば気に入っていると言っても差し支えない気持ちではある。
「会長、健太郎は顔を見せてます?」
「何だ。目当てはあいつか。君ってばいつも健太郎を探してるね。あいつ愛されてるなあ」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ」
総司は飄々とした笑みを浮かべた。
「健太郎なら試写会の日に来たのが最後だよ。用事なら伝言しておこうか? あんまり覚えておける自信ないけど」
「会長に伝言なんか頼みません」
道隆は後ろのドアを振り返る。閉め切られたドアの向こうに人の気配はない。そもそも、一番端の部屋なので、映画研究会に用のない人間はここに立ち入ることはない。
それでも道隆は一度ドアを開き、廊下に誰もいないことを目で確認した。
「どうしたの? さっきから様子が変だよ? ジェイソン・ステイサムにでも追われてる?」
道隆は総司に向き直る。部室の外の寒々しい静けさが、やたらと肌に痛かった。
「一つ、変なことを聞いてもいいですか?」
「いいよ。変なこと大好物」
「健太郎に、昔何があったのですか?」
総司の朗らかな笑みがすうと消える。
「……誰に聞いた?」
異界のことはもちらん、警察のことだって話すことはできない。道隆は思いつきで答えた。
「この前の試写会のとき、過去に何かがあったというようなことを言っていました」
総司はバツが悪そうに頭をガシガシと掻き毟る。
「まったく、ちょっと酒を入れるとこれだ。そう言えば何か言った気がする。もう飲むのやめようかな」
総司は自虐混じりのため息を落とし、パソコンの前の椅子に深く腰を落とした。
「映画じゃあるまいし、あんな中途半端に意味深なことを言われれば、そりゃあ気になるよな。うん、その気持ちは分かる」総司は腕組みをして続けた。「けど、あまり僕の口からほいほいと喋ることのできるようなことじゃないんだ」
「それは分かってます。人の過去なんて簡単に喋るものじゃない。だけど……知っておきたいんです」
「……何か訳あり?」
道隆が頷くと、総司は二の腕を指で叩きながら天井を見上げた。
「まあ……そうだな。あんなことを言っておいて、僕たちだけが一方的に知っているのはフェアじゃないな」
そう呟くと、総司は顔を道隆に向けた。その表情は、これまで見たことがないないほどに強く引き締められた真剣なものだった。
「先に謝っておくよ。僕も健太郎も君が――ある高校で起きた大量殺人事件の生き残りだということを知っている」
「……え?」
総司が何を言ったのか、道隆はすぐに理解することができなかった。
「うちに入るとき、君は出身校を言いたがらなかったよね。覚えてる?」
「それは……まあ……」
総司だけではない。誰に聞かれても道隆はまともに答えなかった。あの事件に結びつけられるのが嫌だったからだ。
「本当に、意味深な態度を取られたら気になるものだよね。だから、健太郎と調べたんだよ。そしたらその事件に行き当たってね」
勝手にすまないと総司は頭を下げる。
道隆は狼狽した。
「いいですよそんなことは。頭を上げてください」
「怒らないの?」
「怒るようなことではありませんよ。僕の名前を検索窓に入れてエンター叩けばいくらでも情報出てくるんですから」
事件の異常な進展を異常と認知できなかったとしても、事件自体がなくなったわけではない。調べればその情報はいくらでも出てくるし、それを見たからと責める筋合いは道隆にはない。
知られていたことはショックではあったものの、映画研究会の面々になら知られていても別にいいかとも思えた。
「そんなことより、今は健太郎のことですよ。あいつに何があったのか、教えてもらえませんか」
総司はううむと唸る。
「言っておくけど、聞いていて気持ちのいい話ではないよ?」
「覚悟の上です」
井田が断片的に喋った内容からも、その凄惨な過去は想像できた。聞きたくないという気持ちもあったが、そうも言っていられない。何でもいいから、一つでも多く説得の材料が欲しかった。
総司は居住まいを正す。
道隆は立ったまま、総司の言葉を待った。
総司は慎重に言葉を選ぶよう、重々しく口を開いた。




