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アウスコトマ  作者: 屋形湊
第三章
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職務質問

慣れ親しんだボロアパートの姿が見えてきたときにはすでに19時を回っており、日はとうに没していた。

道隆の住んでいるアパートは入り組んだ路地の中に、古い民家に埋もれるようにひっそりと建っている。

整備も行き届いていないらしく、アパートの前の街灯はチカチカと明滅している。いつ切れるとも知れず頼りない上に、この明滅が窓からちらつくので迷惑していた。


道隆がアパートに近づいていくと、アパートの敷地内からその迷惑極まりない街灯の下に一つの人影が躍り出てきた。

他の住人かと思ったが、しかしどうにも様子が違う。その人影は街灯の下から道隆の方を見るばかりで、それ以上動こうとしない。

怪訝に思い目を凝らしてよくその影を観察すると、見覚えのある顔が視界に浮かび上がった。


入院中に病院にやってかた、轟木という名前の初老の警官である。


「こんばんわ」


轟木は朗らかに小さく会釈する。

道隆もどうもと会釈を返し、足を止めた。


「夜分にすみません。もう一度お話を聞かせていただきたく、勝手に待たせてもらいました」


道隆はそっと唾を飲み込む。たらりと背中に汗が滲んだ。

まさかこのタイミングでと、心の中で呟く。

轟木はこの町で起きた猟奇殺人の――健太郎が起こした事件の捜査をしている刑事だ。この来訪が良いものであるとは、道隆には思えなかった。


「話と言われても、僕に話せることは全て話しましたよ」


息を止めるようにして、緊張を悟らせないよう最大限の注意を払って言葉を吐く。その企みがうまくいったのかは分からないが、轟木は柔らかい態度のまま答えた。


「あのときとは少し事情が変わりましてな。いや、申し訳ない。時間はそう取らせませんので」


しかし暑いですなと、轟木はハンカチで額を拭う。よく見ればシャツにも汗の染みが浮かんでいる。


「一体いつから待たれていたんですか?」


「二時間程度ですよ。張り込みと考えれば短いものです」


警察は大変だなと道隆は苦笑する。


「狭い部屋ですが、上がってください。水くらいしか出せませんけど」


「いや結構、お気持ちだけありがたく。本当にお時間は取らせませんので」


嫌な予感しかしなかった。それを押し隠し、すっとぼけた調子でどうぞと応じる。


「尾辻健太郎さんという方を、ご存知ですね?」


やはりそう来た。道隆はギリと奥歯を噛み締める。


「もちろん知っていますよ。大学の友人です」


「その彼に、例の事件の容疑者として嫌疑がかかっています」


「それは……見当違いもいいとこでしょう。あいつはアホだけど、人を殺すほどではありませんよ」


「被害者の身元が判明したのですよ」


轟木は道隆の軽口など聞こえなかったかのように受け流し、その反応を伺うようにまっすぐに目を見据えてくる。目を逸らしては決定的な何かに敗北してしまう気がして、逸らしたくなるのを無理やり堪える。


「被害者はいずれも18歳のフリーターで、この町の者ではありませんでした」


「はあ……あの、そんなこと僕に言っていいんですか?」


「構いません。どの道、明日の夕刊には載ることです」轟木は続ける。「問題なのは、その被害者が尾辻健太郎さんと揉めるところを見たという方が多数いたことです」


「揉める?」


「正確には、一方的に絡まれていたようです。近くの路地裏に引きずり込まれるところも目撃されていました」


「……」


道隆は、顔も知らないその目撃者とやらに怒りを覚える。誰か一人でも、健太郎を助けようとは思わなかったのか。そうすれば、こんなことにはならなかったのではないか。


「どうかされましたか?」


「何でもありません。それで?」


轟木の目にチラリと疑念の色が過ぎる。表情は終始柔らかなのに、目はまるで獲物を見据える猛禽である。


「その尾辻さんが引きずり込まれた路地裏が殺人現場です。状況から見て、無関係とは思えないのです」


「状況から見て、健太郎に犯行は不可能でしょう。そもそも、人を簡単に砕けるほどに凍らせることなんか、健太郎にできるわけがありません」


「そう。そこが分からない。そうなると、やはりあなたのことを思い出すのですよ、綾瀬道隆さん。現実で負うはずのない傷を負った、あなたのことを」


勘がいいのか、やけくそなのか、判断に困る。しかし轟木は核心を突いていた。

まずいなと、道隆は思う。あのとき警察から聴取を受けたのは道隆だけではなく、白亜もである。となると、白亜の所にも警察が向かうかもしれない。いや、すでに向かっている可能性すらあった。


白亜の側には、この事件の重要人物である井田がいるのだ。被害者の身元が分かったのなら、井田の存在にも気付いているはずである。


「前にも言いましたが、僕はあの怪我について何も覚えていませんし、その事件のことも何も知らないんです」


前と同じ主張を繰り返す。あの時と違うのは、猟奇殺人事件の真相を知っているということだ。その記憶が声に影響を与えていないことを祈りながら、道隆は言う。


「僕に言えることは、健太郎はそんな非道を行える人間ではないということだけですよ」


「被害者が、かつて尾辻さんをいじめの対象としていたとしてもですか?」


「――っ!」


「おや、顔色が変わりましたね?」


――こいつ……。

カードの切り方が絶妙に嫌らしい。完全にしてやられた。


「……驚いただけです。いじめられていたなんて、そんな話は聞いたことがなかったので」


「そうですか」


轟木はあっさりと引き下がる。

道隆は轟木を忌々しく思った。


「結局、僕に何を聞きたいんですか?」


言いながらも、道隆には何となく分かった。轟木は、道隆のこの反応を見に来たのだろう。そして道隆は、間抜けにも隙をさらしてしまった。

案の定、轟木はもう結構ですとまた頭を下げた。


「失礼しましたな。お話はこれだけです。もし何か気付いたことがあれば、いつでもご連絡ください」


そう言って轟木は名刺を差し出した。

轟木幸彦(トドロキユキヒコ)。階級は警部補。実質的な現場のリーダーである。厄介な人に目をつけられたなと道隆は辟易した。


轟木が去った後、街灯の下に立ち尽くしたまま道隆は思案する。


健太郎が逮捕される。認めたくないし、哀れにも思ったが、二人もの命を奪ってしまった以上、それは道隆にはどうしょうもないことだ。だからせめて、逮捕されるのならその前に思い留まってほしいと道隆は思う。


健太郎が今すぐに逮捕されることはないだろう。疑わしいのはその通りだが、確たる証拠はない。あるのなら道隆に話を聞きにくるなどという無駄なことをするはずがない。

とはいえ猶予はあまりない。このままでは、健太郎どころか道隆が重要参考人として引っ張られる可能性すらある。健太郎からの連絡を悠長に待ってなどいられる状況ではない。

居ても立ってもいられなくなり、道隆は踵を返し、早足で来た道を戻っていった。


その後ろから別の人影が付いてくることに、道隆は気付くことができなかった。

2025/12/5

当初こちらのエピソードをep53として投稿していましたが、誤りでしたので移動させました。

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