尋問1
白亜と別れた路上近くのバーに、道隆はいた。
ガタガタと舌の根が合わないほどに震える井田を何とか引きずり込み、道隆は店内で見つけたフルーツナイフを片手に店の外を警戒していた。金目にそんなものが通じるとは思わなかったが、お守り代わりである。
つい数分前に巨大なガラスが砕けるような轟音が響いたが、今はまた元の静寂を取り戻している。白亜が金目と戦っているのだろうと思うと居ても立っても居られなくなるのだが、震え上がる井田を捨て置くわけにもいかないし、何より自分が行っても邪魔にしかならないことは承知している。
道隆には、白亜の帰りを待つ以外になかった。
「静かになったな」
道隆は独りごちる。
井田怯えた目つきを忙しく動かす。
「お、おい……いい加減、ここから帰らせろよ! いつまで待たせるんだ!」
「さっきも言ったじゃないか。僕にそんな力はないから、それができる人が戻るのを待ってるんだって」
「馬鹿が、そんな余裕なんかあるかよ! あいつが……あいつがいつ来るか、分からねえってのに!」
「だったら静かにしてくれ。そのあいつを呼び寄せたいのならどこか別の所に行ってくれないか」
井田の横柄な態度に、大人げないと思いながらも道隆も態度をきつくする。井田は叱られた子供のように力なく項垂れた。
「それだけ喋れるのなら、そろそろ質問に答えてくれないか。どうやってここに来た?」
井田は目だけで道隆を睨む。
「そんなの知るかよ。いつの間にか、こんな訳の分からねえ場所にいたんだ」
「それなら、いつからここにいた? ここが普通じゃないといつ気づいた? その前に何をしていた?」
道隆としては大したことは聞いたつもりはなかった。井田を落ち着かせることを兼ねた情報収集のつもりだったのだが、その単純な質問で井田はさっと絶望的な恐怖で顔を染めた。
「ここに来たのは……」
ガチガチでまた震え始めた。恐怖に寄るものであるのは確かなようだが、道隆は井田が凍えているように見えた。
「お、俺が、ここに来たのは――」
「一週間ほど前のことではありませんか?」
突然のその声に、道隆と井田は同時にビクリと肩を跳ねた。ドアを開いて、白亜が入ってきた。
道隆はほっと胸を撫で下ろす。
「無事で良かった。心臓に悪いから、いきなり一人で行かないでくれ」
「すみません。これでは同行を願い出た意味がありませんよね。不安にさせてしまい申し訳ありません」
そういう意味で言ったわけではないんだけどなと道隆は頭を掻く。
白亜は鋭い視線を、バーの奥で蹲る井田に向ける。井田は怯えたような目で白亜を見るが、相手が華奢な女性と見て侮ったのか、へへへと薄く笑った。
「白亜ちゃん、彼は井田って人で」
「事情はだいたい分かりました。綾瀬さん、あの」
白亜は道隆を一瞥し、僅かに躊躇するように言い淀む。しかしすぐに元の調子を取り戻し、淡々とした口調で続けた。
「すみませんが、しばらくの間黙って話を聞いていてもらえますか。口を挟みたくなると思いますが、堪えてください。必ず後で説明しますので」
奇妙な要求だ。しかしその口調は強く、一切の反論を許さないと暗に言っている。口調はやはり無感情な冷たいものだが、有無を言わせぬ威圧感があった。
「白亜ちゃん。何か、めちゃくちゃ怒ってる?」
「井田さんと言いましたね?」
白亜は道隆を無視し、井田に向かう。井田は嫌な笑みを向け、「ああ」と頷く。調子を取り戻してきたのは結構だが、道隆はその態度が癪に障る。
しかし、その嫌悪感は、続く衝撃で木っ端微塵に吹き飛んだ。
「あなたは尾辻健太郎という方を知っていますね?」
男の顔が固まった。
道隆は、はと空気が漏れるような音を喉から鳴らす。
「白亜ちゃん、何を――」
白亜は井田を見たまま道隆の顔を覆うように手を突き出した。その手が、黙れと言っていた。
「一週間くらい前にこの辺りで、凍りついた男性二人の遺体が見つかりました。あなたは、その二人を知っているのではありませんか?」
男の顔からみるみる余裕の色が剥がれ落ちる。それは肯定以外の何の反応でもない。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ白亜ちゃん! それ、まるで、それは――」
「綾瀬さん」白亜は冷たい目を一瞬だけ道隆に向ける。「お願いします」
主語のない、短い懇願だが、何より明確なその意図に、道隆は黙るより他にない。
二人の凍結遺体。今の今まで忘れていたが、警察からその事件のことは直接聞いて知っている。
「井田さん。答えてください。あなたは殺された二人と、尾辻健太郎さんを知っていますね?」
何があったのか洗いざらい話してくださいと、まるで脅迫するような口振りで白亜は言う。
井田は目を剥き、幽霊でも見たように蒼白になり、みるみる恐怖が深くなっていくのが分かった。
「俺は……俺は……尾辻……あいつ……は……」
あいつは化け物だと、尻すぼみに小さくなる声で井田は言った。
「化け物?」
思わず道隆は井田の言葉をオウム返しにした。
道隆の知る健太郎は、いつも底抜けに明るい普通の良い友人である。化け物なんて言葉とは少しもそぐわない。
「あいつ……あいつ、は、俺のツレを……凍らせて、殺しやがったんだ……!」
その、続く井田の言葉も、道隆は正確に理解できなかった。声は脳に届いているのに、それが意味ある言葉として実像を結ばない。
「そしてあなたは逃げ出した。そのときにはすでに、この誰もいない世界にいたのですね」
恐怖に震える井田の声に対して、白亜の声はどこまでも冷徹である。
「そうだ。……そのときから……人がいなく、なってた」井田は縋るような目つきで白亜を、そして道隆を見る。「なあ、助けてくれよ。俺はあんな風に死にたくねえよ。このままだと、俺は殺されちまうんだよ……」




