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アウスコトマ  作者: 屋形湊
第三章
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暴走する正義

勝負は一瞬だった。

白亜は目にも留まらぬ速さで健太郎との距離を詰めると、健太郎の両手首を摑んで背中側で関節を極め、地面へと突き倒した。


「痛! イタタタタタタ!」健太郎はどこか呑気に聞こえる悲鳴を上げ、陸に打ち上げられた魚のようにもがいた。「ちょ待った! ギブギブギブ!」


「尾辻さん。あなたへの要求は三つです。一つ、二度とその力を使わないこと。二つ、私の質問に答えること。三つ、自首すること。これだけです」


「自首? 何の罪で?」


「人を二人殺害しておいて、殺人罪以外の何があると?」


「殺人? それはお笑いスね。俺が殺したのは人間じゃない。ただの害虫スよ」


変わらぬ口調で健太郎は言う。


「害虫?」


「そっス。あいつらは誰かを傷つけて奪うことしかできない、この世のお荷物だ。生きているだけで誰かを傷つける。害虫でなければ公害がいいとこじゃないスか?」


「だから殺していいと?」


「あいつらが消えた事で、将来あいつらの標的にされる人は間違いなく救われました。違いますか?」


白亜はやや沈黙する。言っていることは理解できるが、認めることは到底できない論理だ。


「私は被害者がどんな人なのか知りませんので、何とも言えません」


「ううん。そりゃあそうスね。俺も思い出すだけで吐きそうになるんで、説明したくないや」


「……あなたの口振りからして、あなたと被害者は知り合いだったのではありませんか? あなたは正義のためと言いますが、単なる私憤なのではありませんか?」


「それは違う」健太郎は一切の迷いなく即答する。「確かに個人的な恨みはありますよ。けどそんなことはどうだっていいんスよ。俺だけが泥を食うなら我慢してもいい。だけどあいつらは」


俺の大切な人たちまで汚そうとしたと、初めて健太郎は声に怒りを滲ませた。その声があまりにもまっすぐで少しの歪みすらなかったため、白亜は怯んでしまう。


「あいつらは、生きているだけで人を傷つける」同じ主張を健太郎は繰り返す。「まだ、一匹残ってる。絶対に逃がすわけにはいかない。あの性根まで腐ったゴミ共が改心するわけがないんだから」


そういうわけなので離してもらえませんかと、健太郎は元の明るい調子を取り戻す。白亜は僅かに沈黙し、それはできませんと却下する。

健太郎は盛大なため息を吐いた。


「となると、交渉は決裂だ。この場合、俺はどうなるんスかね?」


「このまま腕を壊します」白亜は冷たく即答する。「手が使えなければ力も使えないでしょう?」


「……まあ、それは困りはするけどそこまで支障はないか」健太郎は小さく笑う。「だって、腕がなくても力は使えるし」


その言葉の直後、健太郎の体を中心に地面に霜が降りる。

瞬間的に気温が下がり、冷たい風が渦を巻くように吹く。その風の軌跡をなぞるように、地面が凍りついた。


「っ!」


白亜は健太郎の上から飛び退き、凍りついた寿司屋の屋根に着地する。地面を見下ろすと、健太郎を中心に無数の氷柱が地面から突き立っていた。


「そんな慌てて逃げなくても、傷つけるつもりなんかないんで大丈夫スよ」健太郎は立ち上がり、服を叩く。「これはただの脅しのつもりだったんで」


「随分と余裕ですね」


「余裕とは違うなあ。奥村さんがおっかないのはもう分かってるし。でも奥村さん、道隆先輩の彼女でしょ? あの人が選んだ人が悪い人なわけないし、あの人の悲しむ顔とかも見たくないし。じゃあ傷つけるわけにはいかないっスよ」


「綾瀬さんのこと、信頼しているんですね?」


「そりゃまあ。だってあの人、気の毒なくらい良い人スから」


「始めて気が合いましたね。その気の毒なくらい良い人があなたのその行動を知ったら、どう思うのでしょう」


「どうも何も、道隆先輩でなくても俺のことを否定する人なんかいませんよ」


やはりと、白亜は確信した。

健太郎は、認識を捻じ曲げられている。自分がどれだけ危険で歪んだ思考に陥っているのか、まるで自覚できていない。


健太郎の根底にあるのは、正義感だ。それ自体は悪いことではない。むしろ良いことである。ただ、その正義感が静かに暴走しているのだ。

これ以上力を使わせてはならない。この規模で力を使い続ければあっという間に限界が訪れる。


「いいですか尾辻さん。よく聞いてください。あなたは」


「おっと! 揺さぶろうったってその手には乗らないスよ」


「いいから聞いてください! あなたのその力は」


「これ以上は押し問答にしかならないし不毛スよ。まったく、助けただけのつもりがエラい目に遭っちゃったな」


とりつく島もない。呪いの話をしようとすると話を遮られている気がした。それも何者かの作為を感じる。この調子では説得などまず不可能だ。


「じゃ、俺は逃げますね。ちょっとやそっとじゃ逃げられそうにないから少し危ないことをしますけど、怪我しないでくださいよ!」


健太郎は凍ったその建物を軽く手で扇ぐ。

瞬間、凍結したその建物は一瞬にして粉々に砕けた。


「な――っ!」


突如として足場を失い、白亜の体が自由落下する。バラバラと氷の破片が襲いかかり、危険なものだけを判断して杭で砕く。

着地すると同時に全力で跳躍して前の道路に転がり出た。背後で氷の粒が音を立てて舞い上がり、陽の光を反射する。


急いで立ち上がって健太郎の方へと目を向ける。健太郎が作った無数の氷柱の向こうに、小さくなった健太郎の背中が見えた。まだ余裕で追いつける距離だ。


足に力を込め、走り出そうとしたそのとき――突如その力は消え失せ白亜は地面に倒れた。


「か――は――」


体を横に向け、胸を掻き毟るように押さえる。呼吸はたちまち荒くなり、汗が全身から吹き出した。


「こんな――ときに――っ!」


しばらくそうしていると、次第に調子が戻ってきた。よろめきながら立ち上がり、すぐに意識を集中して先ほどの凄まじい呪いの気配を探すが、まるで感じられない。異界から出たのか、それともまた、不自然に気配が消えてしまったのか。


「――くそっ!」


およそ白亜らしからぬ悪態を吐く。


完全に健太郎の力を見誤っていた。力の規模が大きすぎる。制圧など生温いことを言って捕まる相手ではない。もしも健太郎が敵意を持って力を行使していればただでは済まなかっただろう。


凶悪なのに、お人好しだなと、白亜は滑稽に思う。


しかし、収穫がなかったわけではない。むしろ大漁だった。しかし白亜は納得できない。自分の不甲斐なさはもちろん、何よりこの体が恨めしい。


白亜は空を仰いで大きく息を吐き、乱れた呼吸を整える。吐いた息は白く染まり、ひやりとした空気の中に溶けていった。

心臓は、胸を突き破るような勢いで、未だに早鐘を打っていた。

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