命令と練習
「止まってください」
白亜は牽制するように、健太郎に杭を突きつける。健太郎は「え」と困惑した様子で足を止めた。
「今、ここの二体の金目を倒したのはあなたですか?」
「金目……? さっきの怪物のこと?」
白亜が頷くと、そんな名前だったのかと健太郎は呟いく。突如、健太郎は「あ」と驚いたように目を丸くし、両手を打ち鳴らした。
「確か道隆先輩の彼女さんスよね? わあ、何でこんな所にいるんスか? ここは危ないんスよ?」
ここが異常な世界で、危険であることを理解している。白亜は頭を振った。
「そんなことは百も承知です。もう一度聞きます。あなたはさっきの金目に、一体何をしたんですか?」
白亜の言葉は一言毎に険しさを増し、目は敵意を強くして険しくなっていく。その様子に気付いたのか、健太郎も声を険しくする。
「何って、君が襲われていたから助けただけだよ。別に恩に着てほしいわけじゃないけど、そんな態度を取られる筋合いはないと思うな」
「それは失礼しました」口ではそう言いながらも、白亜は杭を持つ握力も警戒も緩めない。「ですが、あなたの言う通り、ここは化け物の蔓延る危険な場所です。そこにポンと現れたあなたを、無条件で信用することなどできません」
「あ、なるほど。それはそうだ」健太郎は一瞬で声を明るくし、参ったなと頭を掻いた。「失礼なのはこっちの方スね。この世界のことはまだよく知らなくて、そこまでは考えが及びませんでした。面目ない」
白亜は眉間に皺を寄せる。声も態度も善良そのものな上に、あまりに物分りがいいので、警戒している自分が滑稽にすら思える。
だが、それを遥かに凌駕するほどの、圧倒的呪いの気配。これは先日の黒い翼を持った金目にも匹敵する。
その二つの相反する要素が、白亜を惑わせる。
これだけのおぞましい気配を、どうしてあのときはっきりと感じることができなかったのか。白亜には分からない。
「ねえ、どうなってるの?」
小声で傍らのプテラノドンに問いかけるが、喋る気配すら見せない。白亜は忌々しそうに舌打ちした。
「えーと、確か奥村さん……でしたっけ?」
白亜が小さく頷くと、健太郎は朗らかに続けた。
「帰り方とか分かるスか? さっきの化け物とかはあらかたやっつけといたんで大丈夫かとは思いますが、何なら元の世界まで送りますけど」
「ここと元の世界、あなたは自由に行き来できるのですか?」
「そりゃそっスよ」
さも当然のことのように即答する。
「どうやってそんなことができるようになったのですか。そもそも、何のために金目を倒しているのですか?」
「質問責めだなあ」
健太郎は苦笑する。あまりに人間らしい仕草である。
世界の法則から弾き出され、この異界に落ちた人間は知っている。だが、健太郎にそれと同じような様子はない。
白亜は例外として、異界に来るには世界の法則から外れる以外に方法はないはずだ。しかし健太郎は当たり前に行き来できると言ってのける。
それは、白亜の持つ常識から尽く外れた事象である。
「答えてください。あなたは、どうやってこの世界との行き来ができるようになったのですか?」
「やり方を教えてもらったんス」
「教えてもらった……? 誰に?」
「それは……それは……あれ?」健太郎は不意に視線を泳がせた。「そういえば、誰だっけかな……?」
白亜は注意深く健太郎を観察する。ふざけている様子はない。本当に覚えていないのか、不審であるがその様子は演技には見えない。
「覚えていない?」
「覚えていないわけではなくて……何だろうな。言葉にできないんスよね。あの人……どんな人だったかな」
要領を得ない回答である。
白亜は質問を変える。
「……金目を倒している理由は?」
「それは簡単ですね。練習スよ」
健太郎は近くの建物の壁に触れると、その部分が凍結する。
「この辺りの金目には俺たちを襲わせないようにしておくから、好きに練習しろと言われたんス。おかげで、かなりこの力を使いこなせるようになりました」
「襲わせないように? 練習?」
意味のわからない情報だらけだ。
襲わせないようにしておくとは何だ。練習させるとは何のために。それは金目が言っていた、あのお方と同じ存在なのか。
白亜は喋る金目を思い出す。
――襲わせないようにするために、それだけの知性を与えられた?
馬鹿なと思う。どれだけの数かは予想もできないが、金目をそのように同時にコントロールできる存在などいるはずがない。
「ま、見ててくださいよ」
思案に沈みかけていた白亜を、健太郎のその一言が浮上させる。健太郎の触れる建物は、一秒と経たずに巨大なへと姿を変えた。
氷から落ちる蒸気が白亜の足元にまで届き、ヒヤリとした冷気を伝える。
途方もない呪いの気配に目眩がした。道隆も常軌を逸した呪いを抱えているが、それよりも遥かに凶悪で、胸が悪くなる。まるで災害そのものだ。
「やめてください!」
白亜は思わず叫んだ。
驚いたように健太郎は肩を跳ねて建物から手を離した。
「それ以上その力を使ってはいけません!」
健太郎は霜の降りた手を振り払い、目を細めた。
「どうして?」
「その力は、あなたの思っているような便利な力なんかじゃありません! その力を使い続ければ」
「悪いけど、それはできない相談スね」健太郎は声量を上げて白亜の言葉を遮った。「俺にはやるべきことがある。この力はそのために与えられた、神様の祝福なんスよ」
白亜の傍らでプテラノドンが短く鼻で笑う。
白亜はそれを睨みつけ、しかし構っている場合ではない。
「それは祝福などでありません! 誰に何を言われたのか知りませんが、あなたは騙されています!」
「それこそ、ポンと現れたあなたを信用する理由はないスよ。あの人は俺に寄り添って、力を貸してくれました。そちらを信用するのは当然でしょ? 俺はそのことに感謝しているし、だから俺は、やるべきことをやらないといけないんスよ」
「――やるべきこととは、何ですか?」
健太郎は小さく息を吐き、淀みなく、澄んだ瞳のまま、強い口調で答えた。
「正義を」
「正義……?」
「そう、正義」健太郎は言った。「正義として、虐げられる弱い人たちを、守ること」
白亜は言葉を失う。健太郎の声にら一点の曇りも淀みもなく決然としている。彼が何を目的として、何をしようとしているのかは、白亜には分からない。ただ分かるのは、健太郎は自分がやろうとしていることに少しの疑念も抱いていないこと、それが良くはないことであるということだけだ。
凍結した建物を、白亜は流し見る。そして唐突に思い出し、全身の血が冷たくなった。
「もう一つ、答えてください」震える声で、白亜は問う。「あなたは二人の男性を――その力で殺害しましたか?」
数日前に起きた、猟奇殺人事件。
凍結した人間の遺体が発見されたという、あの事件。
どうして忘れていたのか。
健太郎のこの力を目の当たりにすればすぐに思い出して然るべきことではなかったのか。
いや、そもそも――
――どうしてあの異常な、現実で再現不可能な事件を、少しも呪いや金目と関わりがあると考えることができなかったのだ。
全身の毛が総毛立つ。
その現象を、白亜は知っている。
人の認識を捻じ曲げて阻害するこの現象は、白亜が強く憎んだそれそのものではなかったか。
「ああ」と声を漏らして、健太郎は事も無げに答えた。
「それなら俺がやりましたよ。あんな害虫は、生きているだけで人に迷惑をかけるんですから」
追い求めた手掛かりが、目の前に立っている。
ともすると、仇そのものに直結する可能性すら秘めた手掛かりが。
白亜の目が、ストンと暗く落ちた。
「尾辻さん。私は力ずくでもあなたを止めなくてはなりません。詳しく話を聞かせてもらう必要もあります。そして、人を待たせていますので時間もかけられません。なので、申し訳ありませんが――」
白亜の杭を持つ手に血管が浮かび上がる。
「制圧させていただきます」




