チェイス
――あり得ない。
金目を追いながら、白亜は思案する。
初めて異界に足を踏み入れてから一年が経過した。その間、喋るどころか意味のある単語一つ発する個体すらいなかった。
この歓楽街で初めて、言葉を喋る金目を見た。だから、もしかすると他にもいるかもしれないと考え、また同じ場所で探そうと考えたのだ。
とはいえ、見つかる可能性は限りなくゼロに近いとも考えていた。普通に考えれば、先日見つけた金目はたまたまそういう個体であっただけで、他に同じようなものが近くにいるとは考えづらかったからだ。だというのに、いとも容易く見つかった。僥倖であるはずなのに、その僥倖こそを白亜は薄気味悪く思う。
――やっぱり、何かがおかしい。
不自然に姿を消した金目。
当たり前のように喋る金目。
それだけでも異常なのに、さらにおかしな点がある。
金目は基本的に破壊衝動の塊のような生き物だ。白亜という敵を前にして逃げ出すなど考えられないし、事実白亜はそのようなものを見たこともなかった。
しかし、あの金目は逃げ出した。
仮に白亜との力の差を察して逃げたのだとすれば、それは知性があることの何よりの証左である。
――まさか本当に誰かが……?
金目は建物の合間を縫うように逃げ回る。
単純な速さでは敵わないと判断したのだろう。その生存戦略は、かつて道隆が白亜相手に取ったものと同じである。それが頭にあるためか、金目から強く知性の臭いを感じた。
「この――っ!」
白亜は杭を槍投げのように投擲した。
それはまるでレーザーのように飛行し、一直線に金目へと向かう。
金目は、まるで後ろに目がああるかのようにその攻撃を察知し、横へ飛ぶ。杭は、ほんの僅か金目を掠めただけで、何のダメージも与えられなかった。
素早い。先日倒した同じタイプの金目より小型だが、あれよりも手強そうである。だが――大した問題ではない。元より相手にならない小物だ。
金目が横に飛んだ隙に白亜は瞬く間に距離を詰め、金目の横腹を蹴りつける。腹の中からメキメキと木が倒れるような音が鳴り、金目は横っ飛びに吹き飛んで近くの建物を突き破った。
白亜は杭を回収すると、金目が穿った穴を潜り抜け、路上に倒れ伏す金目の元で足を止める。
「あなたは、喋れるのですか?」
金目はよろめきながら立ち上がろうとするが、四本の足のうち、右側の二本が歪に折れ曲がっており、再びぐしゃりと倒れる。まるで生まれたての子鹿だ。
「私の言葉が分かりますか?」
金目は立ち上がることを諦めたのか、ぐったりと地面に伏す。その状態のまま、刃のような尾を白亜に目掛けて振るう。
白亜は短く呼吸を止めて冷徹に杭を一閃し、その尾を切り飛ばした。
金目が海老反りに体をそらし、天を仰いだ。
「アアアア――! イタイ、イタイ――!」
「痛めつける趣味はありません。私の言葉が分かるのなら、答えてください」
金目は一度猿のような面を白亜に向け、ギリギリと牙を軋ませる。それは敵意なのか、恐怖なのか、それとも何でもないのか、白亜には判別できない。
白亜はその面前に杭を突きつけた。
「あなたたちは、一体どうして姿を隠しているのですか?」
金目は応答しない。
続けざまに白亜は尋ねる。
「喋る金目は、他にもたくさんいるのですか?」
金目は白亜の顔を見つめたまま微動だにしない。白亜も黙ったまま返答を待つ。しばらくして、金目は白亜から視線を逸らし、クククと、まるで含み笑いのような音を漏らした。
やはり会話は成立しないと、諦めてトドメを刺そうとしたそのとき、金目は掠れた声を発した。
「アノオカタ、キタ――」
「あのお方……?」
白亜は手を止め、目を細める。
別の金目も口にした言葉だ。
「あのお方とは、誰のことですか?」
「ヒト――クウナ――アノオカタ、イッタ。オマエ――チガウ、チガウ――アソコ、イタ」
言葉の意味はやはり分からないし、会話にもなっていない。
そのまま受け取れば、あのお方とやらが人を食うなと言ったという意味となるが、どうだろうか。
プテラノドンが以前話した、黒い翼を持つ上位種のことかと思ったが、それとは言葉のニュアンスが異なるように感じる。あのお方という言葉は、唯一無二の絶対的な君主のような印象だ。
そんなもの――金目の王のような存在がいるとして、人を食うなという命令をするものだろうか。
「おのお方って、一体――」
不意に影がさした。ぎょっとして振り返ると、今まさに、熊に似た金目が覆いかぶさるように白亜めがけて両腕を振り上げていたところだった。
しまったと思うと同時に反撃の態勢を取る。焦って視野狭窄に陥っていたのか、ここまで接近されるまで気付けないとは。
ギリと歯を食いしばり、膝を曲げて巨大な十爪を寸前でいなす。そして立ち上がりながら、金目の胸めがけて杭を突き立――
「危ない!」
声と同時に体の芯まで凍りつくような風が吹き、白亜は思わず目を閉じる。直後、バキンという鋭い音がした。
それが通り過ぎた後に目を開くと、目の前に一つの氷の氷像ができていた。今まさに白亜に爪を振るおうとしていた金目の姿と、まったく同じ姿の。
それだけではない。後ろで瀕死になっていた金目もまた、氷の像に姿を変えていた。
「――」
白亜は言葉を失う。何が起きたのか、まるで理解できなかった。二体の氷像は、まるで発破されたように白亜の目の前で粉々に砕け散り、陽の光を浴びてキラキラと輝いた。
「でかい音がして何事かと思ったら、間に合って良かった。怪我はないスか?」
聞き覚えのある軽い声がする。
一人の、線の細い男が白亜の元へ駆けてくる。
その顔の主を、白亜は知っている。
――尾辻健太郎。
人の良い笑みを浮かべた道隆の学友の姿が、そこにあった。
むせ返るほどの呪いの瘴気を、その身に纏って。




