雨
もうしばらく歩いていると、左手に公園が見えた。白亜は入りましょうと、先に中に入っていった。道隆もそれに続く。
大して広い公園ではない。簡単なアスレチックのような滑り台と鉄棒があるだけで、他に遊具はない。二人以外に誰の姿もない。ただ、数話の鳩だけが地面をつついて餌を探していた。
その前を横切って、道隆と白亜は公園の隅の小さな東屋のベンチに腰掛けた。
白亜はベンチに両手をつき、やや前傾姿勢になる。
「綾瀬さん。少しだけ……昔話に付き合っていただいても?」
「昔話?」
「くだらない、どこにでもあるような話ですよ」白亜は小さく吐息する。「興味がなければ、独り言だと思って聞き流してください」
遠くの方で、雨粒が木の葉を叩く音が鳴る。それを合図に、白亜は語り始めた。
「小学三年生くらいのときです。父はめったに家に帰ってはきませんし、母はすでに出ていっていました。家にはいつも、私と兄の二人でした」
これ完全にネグレクトですよねと、白亜は薄く笑い、続ける。
「11月の連休だったと思います。隣町で大きなお祭りがあって、友達がそれに行くと学校で話していました。私はそれが羨ましくって、私も行きたくって、父に電話しました。何と言われたと思います?」
「さあ……なんだろう?」
本当は予想できていたが、それを口にするのは憚られ、道隆は曖昧に言葉を濁す。そんな道隆の気遣いとは裏腹に、白亜は淡々と言う。
「それは私の研究よりも重要なのか? ですって」
ほぼ、道隆が予想していた通りの言葉だった。友人が、自分の父親は父親失格だと常日ごろから愚痴をこぼしていたことを思い出す。
その言葉は、自分の子供よりも研究の方が大事だと暗に言っているのと何も変わらない。
「まあ、そんな事を冷たく言われたものですから、子供だった私は泣いてしまったんです」
「無理もないよ。そんなことを親に言われれば、僕だって泣く」
「ありがとうございます」白亜は僅かに口角を下げる。「でも、そうやって泣きじゃくっていた私を、兄さんは連れ出してくれたんです」
「あいつが? 連れ出しって、祭りに行ったのか?」
「困った兄ですよね」
道隆も同じ市内に住んでいたのだ。白亜の言う祭りのことも知っている。他県からも人が押し寄せる、かなり規模の大きな祭りだ。小学生二人だけで行けないことはないが、心許ない。
「お祭りに行けたことは良かったのですが、結局私たちは迷ってしまったんです。それでまた私は泣いちゃって。知らない町でしたし、知らない人だらけでしたし、誰かにぶつかられて膝を擦りむいちゃったりして、怖くて、本当に散々で。兄さんは泣くなよと、困り果てていました」
困ってるのは私の方なのにと白亜は言った。
思い出を語る白亜は、どこか楽しそうに見えた。やはり表情はほとんど変わらないのだが、声色が暖かいのだということに道隆は気付く。
「そのとき、ちょうど前にあったくじ引きの屋台に、これがあったんです」
白亜は傍らに置いたトートバッグのプテラノドンを指さした。さすがに空気を呼んだのか、腹立たしい声は聞こえなかった。
「兄は待ってろと言って、握りしめてきたお年玉を投入しました。私、別にプテラノドンなんて好きでもなかったんですけどね。兄が好きだっただけで」
東屋の屋根を、雨が叩く音が聞こえた。
ポツポツと、次第に音の感覚が狭まってくる。
「結局、お年玉全て注ぎ込んでも当たらなくて、兄さんは両手いっぱいに吹き戻しとか、変な棒とか、ブーメランとか、要するにガラクタをいっぱいに抱えることになりました。でも、お店のおじさんがそんな私たちを見兼ねて、サービスしてくれたんです」
白亜は空を仰ぐ。
道隆ははっとした。
いつの間にか、一筋の涙が彼女は頬を濡らしていたからだ。
「それから兄さんは、私をおぶって、たくさんの吹き戻しをぷうぷう鳴らして私を笑わせてくれて、色んな人に道を尋ねながら、家まで連れて帰ってくれたんです」
「白亜ちゃん……」
「本当は自分だって不安だったくせに、私のことを一生懸命、励まそうとしてくれたんです。泣いている私を……助けようとしてくれたんです」
ざあと、一気に振り始めた雨が地面を叩いた。
ゴロゴロと遠くの空で雷が鳴る。
公園の外の歩道を、傘を持たない通行人が走っていく。
車がアスファルトの水を跳ねる音が聞こえた。
「兄さんが……人殺しなんてするはずがない」その音に溶けるように、白亜は言う。「本当に……優しい人なんです。おかしな人で、困った兄ですけど、あんな人が……あんなことをするなんて……絶対にあるはずがない。なのに……っ!」
誰もそれを分かってはくれない。
白亜はそう、震える声で結んだ。
道隆は雨の音に耳を澄ます。
彼女の悲しみが、痛かった。
死刑という最大の刑罰によってこの世を去った兄のために、命をも賭して真実を求めている。そんな白亜のことを痛々しく、酷く哀れで、胸が苦しくなる。
「……どうしてこんな思い出話を?」
「……私の、一番大きな行動原理は、単なる私情です。それを分かっていてほしかったんです。具体的な証拠なんて何もなくて、私が信じたいから信じているんだって。そのために……あなたを危険に晒したんだって」
道隆は沈黙した。
この期に及んでまだ、白亜は道隆のことを気にかけている。それが矛盾したことだと、果たして気づいているのだろうか。
道隆は、立ち上がり、ゆっくりと口を開いた。
「僕は……分かってあげられなかった人間の一員だ。だから、君に恨まれたって仕方がない」
「綾瀬さん。私は――」
「分かってる。けどこれは僕の心の問題だ。あいつが本当に無実だったのかなんて、僕には分からない。だけど、だったら知りたい。僕は、知らないといけないんだ。知らなければ、償うべきかも分からないまま、僕は二年前から一歩も前に進めない」
道隆は、地球乃がクラスメイトを惨殺するのをその目で確かに見た。そのときの瞬間が、まるでストロボのように脳に焼き付き、未だに克明に思い出すことができる。だから、犯人は地球乃だと、証言をした。
だが、あのときの地球乃が普通ではなかったこともまた、事実だ。そして道隆は今や金目や呪いという超常の存在を知った。何よりあのとき地球乃は――金目を殺す武器を持っていたのだ。
「白亜ちゃん。ただの異界への同行だけじゃ足りない。僕は、君に協力したいんだ」
道隆は拳を握りながら、屋根の縁の下まで移動して、白亜を振り返った。
覚悟はとうにできていたつもりだった。それでもさらに、道隆は最後の覚悟を決め、感情を押し殺して涙を流す白亜の顔を正面から見据えた。
「だから、君が知っていることを全部教えてくれ」
死んだ友人の顔。
白亜の涙。
不気味に輝く、黄金の瞳。
もはや理由になるものなら何だって構わない。濡れた地面の匂いですら、道隆の背中を押す。
「僕も――君と一緒に血を流したいんだ」




