変わらない夜空
男の手が肌に振れる。ひんやりとしたその温度にゾワリ体が震えた。
私の力で男には敵わない、そして今は練り込めるほどの魔力は残っていない。この先この身に起こるであろう恐怖に震えることしか出来ないのだろうか。
「おとなしくしてりゃお前もいい思いできるんだし、諦めろよ、な!」
両手が頭の上に縫い止められた。ふと近づいてくる魔力を感じ、次の瞬間大きな音がなったかと思うと納屋の扉が壊され、壊れた扉の前に1人の騎士が立っている。
瞬時に投げられたナイフがその騎士の頬を掠め、ツーっと細く赤い線が浮き上がった。
「お前達、そこで何をしている。今すぐその女性を解放しろ」
「解放しろだ? はいわかりました、とでも言うと思ったか」
縫い付けられていた腕をぐっとひかれ、視線を汚れた髭に覆われた。次に感じたのは首もとへのチリっとした痛みだ。恐らく、ナイフをあてがわれているのだろう。
「……馬鹿の一つ覚えのように……まあいい。その女性は解放してもらう」
騎士が手のひらをこちらに向け魔力を放つ。その瞬間二人の男が熱波で後方に飛ばされた。振り向き確認すると、生きてはいるようだがこんがり仕上がった二人が倒れていた。
恐怖から脱した安心感に体の力がスッと抜ける。そこにフワッとかけられた布、マントだ。
見上げた先で申し訳なさそうに頬を染めるエメラルドグリーンの瞳と目があった。
「俺のマントで申し訳ない。怪我はないか?」
「大丈夫です。助けていただき、それにマントまで、ありがとうございます騎士様」
「無事で良かった。礼なら俺の部下に言ってくれ、君の魔力を関知して知らせてくれたんだ」
「そうなんですね、是非お礼をーー」
そう話ながら立ち上がろうとしたのだが、先ほどの恐怖のせいか腰が抜けて立ち上がることができない。
今までいろんな魔物の討伐に向かった、命の危険があるような場合もあった。もちろん私は攻撃を主としないのでサポートだが、それでも恐怖を感じることは多々あった。でも、こんなに立ち上げれなくなるなんてことは。
ぺたりと座り込んでいる無様な状況に恥ずかしさを覚え、騎士様にごまかすような笑顔を向ける。鏡で見なくてもわかる、きっと今の私は情けない表情をしているに違いない。
「えーっと、先ほどの暴漢もあのように伸びていますし、私はもう少し休んでから宿舎に向かいますのでお気になさらず」
「……宿舎? どこのだ?」
「どこのって、この砦……えっと、ここはボルノの街の近くですよね?」
「ボルノ……あぁ、たしかにそう言う名前だったな」
「でしたら、砦に戻れば問題ありませんので」
とにかく、立ち上がれないという恥ずかしすぎる状況を誤魔化すべく必死の笑顔で応戦するも、騎士様は何が納得行かないのか、「失礼」と言うと今度はしゃがみこんで視線を合わせてきた。
「この状況だ、マント越しではあるが貴方に触れることを許して頂きたい」
「え? わっ」
良く理解ができず、間の抜けた返事をしたその瞬間、体がふわりと浮き上がった。
いつもよりも頭二つ分近く高いであろう視線に呆気を取られる暇もなく、すぐ近くに騎士様の顔が。
そしてそこでやっと今の状態を理解した、私は今横抱きにされているのだ。
視線近くにあるベージュ色の髪の毛。そしてエメラルドグリーンの瞳。今まで出会った誰にもいない綺麗な色。
この方の着ている騎士服だったてそうだ。私のよく知っているそれとはデザインが違う。本当にここはボルノにある砦の近くなのだろうか。
「ルシウス・ボルドだ。貴方の名も聞かせてもらえるか」
「アリシア・マリージュと申します。アリシアとお呼びください、ボルド様」
「わかった。早速だがアリシア、このボルノにある砦に戻ると言ったな?」
「ええ、そこに派遣された仲間も待っているので」
そう伝えるとボルド様は私を抱えたまま納屋をでた。そこには数人の騎士がいて一瞬驚いた表情を見せいたが、暴漢達の拘束を命じられ納屋に入っていった。
その一連の流れを見ていると、再びボルド様から声をかけられた。
「砦とは、どこだ?」
「えぇ、ですからボルノの街のすぐ側です。ボルノの街はどちらに?」
「は……? ボルノはここだ。20年前に隣国との戦地になりなくなった街だが、たしかにこの街の名前はボルノだった」
「……20年? え、何を仰ってるのかよく、私はついさっきまで砦で見張りを」
「アリシア、疑いたくはないが君はもしかして隣国の?」
「違います! 私はこの国、フェジュネーブのものです! ルドルグス王国のものではありません!」
「ルドルグス? 隣国はエルダジア帝国であろう?」
ーーエルダジア帝国はルドルグス王国と隣り合った、大陸のもっと西側の国のはず。どう言うことなの……?
目の前の状況に思考が追い付かず、何をどう対処すればいいのかわからない。ただ唯一ここがフェジュネーブだと言うことだけは間違いないらしい。だとするのなら、私の着ていた魔術師団の衣装が証明にはならないだろうか。
多少破れていても、製法やデザインはわかるはずだ。
「あの、ボルド様、私の着ていたーー」
「副団長、その女性の服と思われるものがありました」
「ああ……これは酷い。もう着れそうにないな。……申し訳ないが、合流地がすぐなのでそこまで少し待ってくれるか」
「あの、この服に見覚えはないですか? 魔術師団の衣装なので身分証明になると思うのですが……」
破れた服をじっと眺めたあとに、ボルド様がゆっくり首を振る。
「私の知っている魔術師団のそれとは違う事は確かだ」
「……そう、ですか……」
もしかして、とは思っていたのだ。私が彼の騎士服に見覚えがないように、彼もまた。でもだからといってこんなことで落ち込んでいても何にもならない。
このまま万が一にも他国のスパイとして扱われたりしたら...。そうならないためにも、自身の身分を証明することが第一優先だ。
納屋には入っていた騎士達がこんがり仕上がった暴漢達を担ぎ戻ってきた。ボルド様に「加減してください」と不服そうに伝えると、注意された本人も不服そうに「加減はした」と返し部下に笑われている。
きっとみんなボルド様を慕ってこの団にいるのだろう。そんなことを考えるとジョシュア師団長やケイオス団長が浮かんできて、自然と口角が上がった。
「これより一度合流地に向かう。残党が残っている可能性もある。見つけ次第拘束。殺すなよ」
合流地までは馬で向かうらしい。
騎士の皆さんは私を荷馬車に乗せようと考えていたらしいが、ボルド様の魔法の加減具合の問題上、暴漢達を拘束して荷馬車に乗せるーー積むーー事になったと説明をされた。「責任をもって副団長に送らせます」と言っていてクスリと笑ってしまったのだが、本当にボルド様に支えられながら馬で合流地に向かうことになるとは思いもせず。
手綱をひくボルド様の両腕にすっぽりと収まる位置に、下着にマントと不安んしかない格好のまま座る私。恥ずかしいやら申し訳ないやらで、小さくなっていると「失礼」と一言の後に彼の片腕が私の腹部に回され体を支えてくれた。お礼を伝えようと振り向くと、思っていた以上の距離感に恥ずかしさが増す。
そうこうしていると、頭上から声が振ってきた。
「……不快かもしれないが、我慢して欲しい。支えておくので、マントをきちんと押さえておくといい」
「不快なんてそんなっ、ありがとうございます。ご迷惑ばかりお掛けしてしまい申し訳ございません」
「迷惑ではない。気にするな」
そう言ったボルド様の視線は前を見ていたが、少しばかり耳が赤いようにも思える。
ーーこんなに優しくて容姿もとても整っている方なのに、照れ屋さんなのかな。
ふと浮かんできた考えに今度はこっそりとボルド様を盗み見た。
短く整えたベージュ色の髪、エメラルドグリーンの瞳。男性らしい凛々しさ、騎士らしい鍛えられた逞しさーーといってもケイオス団長ほど筋骨粒々というわけではないが。年のころは20代半ば程だろうか。
まっすぐ前を見据えるその姿は、普通、女性であればうっとりしてしまうのではないだろうか。女性にも慣れていていそうだし、照れなどあまり無さそうに見えるのだけど。
ーーでも、きっと照れ屋さんなんだよね。
勝手にひも付けた結論に思わず小さく声漏れた。
「ーーふふっ」
「何か?」
「いえ、何でも……あ、頬の怪我」
問われた言葉に振り向いた。きっと少し気が緩んで、私自身ここにきて漸く冷静になれたのだろう。
私のせいで負うはずのない怪我をさせた、治してさしあげなければ。聖魔術師としての勤めなのだから。
オドはあまり残っていないけど聖魔術を使うにはマナも一緒に魔力として練り込むので、頬のキズ程度であれば何ら問題ない。
「ああ、ただのかすり傷だ」
「私のせいです、本来は負うはずのない傷なのに。今治しますね」
「治す……君は聖女なのか?」
「セイジョ、ですか? すみせん、それはわかりませんが、私は魔術師です、普通の」
ボルド様の頬に手をかざす。
白く柔らかな光がかざした手から頬を包み、その回りが黄金色に発光した。次の瞬間には納屋での出来事は何もなかったかのように、傷は消えていた。
ヒールであればオドにもまだまだ余裕が持てる。
「終わりました」
「……ありがとう。束の事を聞くが、今のはヒールか?」
「え? ええ、ヒールはダメでしたでしょうか」
「いや、そのようなわけではないのだが……すまない、助かった」
今一歯切れの悪いボルド様が再び正面を向く。
馬に揺られ見渡した風景は、砦にいた時とはまるで別の場所だ。壊れた建物、枯れて倒れた木々。賑やかだったボルノの面影は感じられない。
ーー何が起きてるの?
規則的な揺れと共に不安が頭をめぐる。胸元のマントをぎゅっと握った。
見上げると、いつもと何ら変わらない満月と綺麗な星空が広がっていた。
ご覧いただきありがとうございます。
次は、ルシウスの主を交えてアリシアによる身分証明会です。