月の夜 2
空にグラデーションがかかり始める。
フーと息を吐き自身を落ち着かせた。
目の前に隊列を組む騎士。すぐ後ろには障壁を築く魔術師。日が陰り始め少し薄暗く見える森から近づいてくる”何か”。
今この瞬間も変わらず空は綺麗で、皆生きていて。
ーー相変わらす、魔物が出すような殺気は一切感じない。
「あーこのまま、こんばんはー、じゃあお疲れ様ですー、なーんで素通りしてくれねぇかな」
「ふふっ、素通りしてそのまま王都に向かわれても困りますよ」
「だよなぁ。まあ、まだ魔人様って決まったわけじゃねぇもんな。師団長殿の生き別れた兄弟の可能性だってある」
「私は双子で、尚且つ片割れの方が強かったなんて......なんか悔しいですね」
「フフ、師団長まで」
ピりつく空気を和ませてくれるのは、いつもこの二人だ。そんな二人だからこそ皆ついていきたいと思う、勿論私も漏れ無くその中の1人だ。
そんな少し和んだその場に、ひときわ殺気を放っている人物もいる。ナフタック様だ。
今回ばかりは仕方がないとも思う。ナフタック様は伯爵家の出だ。いつだったか本人が溢してい内容にあったのだ、「なりたくて騎士になってるんじゃない」と。
いくら伯爵家とはいえ財政はその領地それぞれ。長男を跡取りに据えれば兄弟が補佐に回るが、兄弟内にだって向き不向きもある。
そして補佐役に回らなかった場合、生きていくためには何かを選ばなければならない。
志願して騎士や魔術師になったものとは、状況が違うのだ。
「ナフタック、落ち着け。お前の実力は俺達の認めるところだ。隊長でもあるお前がそんなんじゃ部下が可愛そうじゃねぇか」
「......っ、はい」
その時だ。
「来た」
ジョシュア団長が短く発した。
防御はするものの攻撃に関しては相手の様子をみてからという令が下りている。何事もなければそれが一番なのだ、と。
空はオレンジ色になったいた。
「森を抜けるぞ」
現れたのは”人”だった。
ただそれは遠目にみた見た目のはなし。纏っている魔力は今までであったことない質と量。
「魔人ーーですか?」
「私もであったことないからね、恐らく、としか。防護壁隊、強化! サポート隊、迎撃隊はまだ待機だ」
ーーあれが......魔人。
背中に届きそうな、黒くて長い髪。遠目でもわかる血のように赤い瞳。きている服は古くはあるが、現代貴族が普段着できているものと遜色ない白っぽいシャツとクラバット、黒のパンツ。
こちらを威嚇するわけでもなく、ただゆっくりと向かってくる。
国を滅ぼしたなんて伝承が信じられないくらい穏やかに見える。そして何よりーー
「ーー綺麗」
誰にも聞こえないくらいの声だったけど、いまこの場にそぐわないことくらい自分でわかった。
あの魔人が、あの館の主なのだ。ずっと1人でいたのだろうか、伝承通りなのであれば、1つの国を滅ぼして500年、なぜ今ごろ動き出したのだろうか。わからないことばかりだ。
そんなことを考えていたら、最前列の騎士から少しの距離を開けたところで、その魔人が立ち止まった。
「攻撃してくるわけでもねぇのか......何が目的だ? ......ん? なにか探してやがる」
立ち止まった魔人は、先程よりも近くに見え、その赤い瞳はなにかを探しゆっくりと動いていた。
最前列の騎士団の端から端までゆっくり見回し、そのまま端から魔術師に視線を移していく。
そして順に見つめる先が私に回ってきて、目が合いそうになるその瞬間、次に視線が合うはずであろうナフタック様が急に私の腕を捻りあげ叫んだのだ。
「ふざけんな!! みんなこの女のせいだろ! コイツがつれてきたんだ、死ぬのはコイツ1人で十分だッ」
それは、団長が彼を押さえつけるのとほぼ同時だった。
今まで何の変化もなかった魔人の魔力が恐ろしい勢いで圧縮され始めていく。
その威圧に当てられたのか、ナフタック様はその場に情けなくへたり込んでしまった。師団長達に視線を向けると、目の前で練り上げられる魔力に圧倒され言葉を失っているようだった。
魔人の体内からは赤い魔力、体の回りを黒い魔力が渦巻いている。
「......おい、似てねぇ兄弟がかなりご立腹なこって」
「難題だな」
いつものような内容が、いつもと違う余裕のない声で聞こえてきた。
「いっちょおっ始めますか。前線、進めー!!!」
「防護壁隊、そのまま強化。サポート隊は各隊に強化魔法を! よし迎撃隊、放てッ!」
前を進む騎士より早く、迎撃隊の魔法が魔人に飛ぶ。大きな衝撃音とともに土煙が舞い、その中を進む騎士達が全力の魔法剣で切りかかった、がーー
「ぐわっ!!」
練り上げる魔力が莫大すぎて、魔法剣はもちろん、先の魔法ですら弾かれ消滅する。
その間にも練り込まれる魔力で、空のオレンジは面影をなくしていた。
「おいおい、まじかよ......無敵じゃん」
乾いた笑いとともに聞こえて来たケイオス団長の声。「たしかに」と笑うジョシュア師団長の声。
こちら側が力の差に絶望を覚えていた、そんな時だ。騎士団とも魔術師団とも取れない声が魔力の中心から聞こえてくる。魔力を練り上げる轟音に掻き消されながらも聞こえてくるその声は、どこか悲痛な声のようで、耳を凝らしてしまう。
「ーー......だっ.........し...く......い...ーーっ!!」
禍々しい赤と黒が空を覆う。
「あれは瘴気だ。ノエル! 迎撃隊の一部、オドで比較的聖魔法を得意とするものは防御壁部隊へ加えろ。私とアリシア、比較的魔力量が多いアリシア隊、ノエル隊を中心に浄化に当たる。瘴気さえ何とかすれば攻撃も少しは通る可能性が高くなる!」
師団長の指示に従い隊列が組み直された。
そして普段の瘴気浄化とは比べ物にならない魔力を練っていく。
「すごいなアリシア、俺を越す日も近いかもしれん」
「そんなに褒めてくださるのでしたら、この戦いの後にしてください」
「ハハッ、違いないな」
練り上がった魔力が白く光を放ち出した。
キラキラかピカピカか弾けるような閃光が白い光を覆う。
もう少しで練り上がる、そんな時だった。
魔人の頭上にあった禍々し魔力が一気に空へ広がり、金色の光を放ちながら大きな魔方陣が描かれていく。
「ーーありゃなんの魔法だ?」
「っ、申し訳ないことに私にも、さっぱり。とにかくマナになっている瘴気を削る。魔力を削れば、魔法自体の威力が落ちるだろうから、たぶんね」
ハハっと笑うジョシュア師団長の表情は、初めてみるものだった。
「頃合い、だろう......全隊、対象に向け浄化、放てーッッ!!」
浄化の光が、瘴気を飲み込んでいく。
轟音と共に消えていく瘴気に、思わず手に力が入った。
空の黒が薄くなり始め、浮き上がった魔方陣が先程よりも光を放っている。
半分程の瘴気を浄化したその時だった。
魔方陣の光が、すごい勢いでどこからか集まった瘴気とマナを取り込み始める。そして魔人と浄化の光までをも全て取り込んで光はギュッと希にみるほどの圧縮率で丸められ、パーンと弾けた。
そこにはなにもなかったかのように、見上げると綺麗な星空が見えるばかりだ。
「終わった......の?」
力が抜けた体がペタリと地面についた。
「ーーもう魔力は感じない」
師団長の一言で一気に歓声が上がる。
飛び上がり喜ぶ者、私と同じくペタリとしゃがみこむ者、泣いて抱き合う者......。
この瞬間皆が国を守り、生を実感し、喜びを分かち合った。
◆ ◆ ◆
1時間ほど前までお祭り騒ぎのようだった砦も今はしんと静まり返っている。
いくら魔人を倒したとはいえ、禁足地に一番近い場所だ。何が起こるかなんてわからない。常時の砦の番に合わせて魔術師が交代で見張り役をすることになったのだ。
「アリシア、お疲れさま」
背後からノエルの声が聞こえてきた。
振り向くと、月の光でノエルがはっきりと見える。
「ありがとう。引き継ぎは特にないかな。平和な時間でした」
「了解しました。明日は、魔人が消滅したときに飛び散った魔力の残滓の確認と浄化作業になりそうだって」
「たしかに飛び散ってたけど、かなり小さな魔力だったし、探すのは苦労しそうだね。あー、今日はつかれた!魔力だってもう枯渇しそうだし、ゆっくり休ませていただきます」
そうノエルに手を振ってその場を任せ、砦の宿舎に向かう。
宿舎といっても、元々の砦の兵ではない私達には決まった寝床などはないので半分夜営のようなものだ。ただ女性は優先的に、非常時の宿舎を利用して良いとのことなので、ありがたくそちらに向かうことにする。
途中見上げると真ん丸な月が明るく光っていた。
ふと視線を落とすと、光の反射で星空と月の写る水溜まり。
小さい頃は、水溜まりに写った空に少し恐怖を覚えていたこともあった。
写った空はあまりにも綺麗で、足を踏み入れたら最後、そのままその空へ落下するのだと、ずっと思っていたのだ。
今思い出すとなんとも可愛らしい勘違いなのだけど、当時の私はそれで必死に水溜まりを避けて歩いていたのだから、思い出すとクスリと笑ってしまう。
あの頃を懐かしんで、眼下の月と夜空に足を踏み入れた。そしてその瞬間にふと脳裏によぎった。
ーーここ数日、雨は......振ってない
重力に引き寄せられた。
踏み込んだ足がそこがない穴に落ちたようにスッと血の気が引いた。体が全てその空に落ちる瞬間に少しの魔力を感じる。
ーーもしかして、これって、魔力の残滓っ
気づいた頃にはもう遅く、ドスンという音と共に体は地面へ叩きつけられていた。
幸いだったのが、小さい頃の恐れていた空からの落下にはならなかったことか。
ゆっくりと起き上がると、膝にチリリと痛みを感じた。羽織っていたローブが一部赤く染まっている。切り傷だろうか。そのまま手をかざし魔力を流すと、傷は簡単に塞がった。
異変にはすぐに気づいた。
見渡した範囲は先程までの地形と何らかわりないのに、砦は崩れている。朽ちているといった方が正しいかもしれない。
魔力を微かに感じるのに誰もいないのだろうか、ここは先ほどの砦で間違いないのだろうか。
そして、心細さに警戒を怠った付けがいきなり回ってくるなんて誰が考えただろうか。
「よお、ねぇちゃん。こんな寂れた場所に何ようだ?」
「俺らと楽しく遊びてぇってか?」
突然腕を捕まれ、髭を生やした汚れた男達が下品に笑う。品定めでもされてるのか、ローブをはがれ王国の魔術師団の衣装が露になる。
「へぇ、古い服だが良いもんだな、服も売れそうだ」
「女の方は......上のもだ、売る前にまずは俺らで楽しんじまおう」
男達に手を引かれ、近くにあった朽ちた納屋に放り込まれた。ドスンと勢い良くついた背中の痛みはなんでもなかった、目の前で笑う男に、馬乗りにされ服を剥ぎ取られている恐怖の方が数倍に勝った。
「やだっ、いや!! やめ、てっ」
露になった肌に生ぬるい風が当たる。その恐怖にきつく目を閉じた。
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