突然の召集 2
「ええ、あのアンデッドを浄化してからは特に体調に変化もありませんし、悪夢にも魘されていません」
いつのまにか入り込んでいたアンデッドに見せられた悪夢。あれから落ち着いて恐怖こそ和らいだが、あの人物やあの出来事は一体なんだったのだろう。夢は元より、現実ではあり得ないような出来事をうつしだす事は多々あるものだ。
ただ今回の悪夢はなにか違っているようにも思えた。
アンデッドは魂に干渉する。
「これは、ここではじめでお話する内容なのですが……」
殿下とルシウス様が改めて此方を見る。
「私もフェンリルと対峙する直前に気付いたのですが、フェンリルを迎え撃った少し開けた場所……正確にはあの広場の真逆に当たる場所に、ここに飛ばされる前に行きました」
そう、あの場所は禁足地だった場所だ。
少し遠くに見えたあの館、恐らく今回みた場所の逆側に門扉があり、そこに一歩踏み入れた事で全てが始まったのだ。
「飛ばされる前だと? それは……」
「はい。歴史上、魔人の目覚めとされている日です」
ぶわっと空気が揺れる感覚に一瞬にして肌が粟立つ。魔力関知をしていないのに、揺らぎを感じたのだ。
無意識に体が強ばる。正面にいる殿下達へざっと視線を向け、そのままの勢いで扉の方へ振り返る。
何もない、何も変わりはない。そこには護衛でジョエル様が立っているだけだ。この場で魔力関知が出来るのは私だけ、特に関知していたわけでもないが、どうやら今の揺らぎも私しか感じ取ってはいないようだ。
ジョエル様がニコリと笑顔をくれた。ゆっくり息を吐き私も笑顔を返した。
「どうした、アリシア」
やはりルシウス様は先ほどの揺らぎは気付いていないようだ。
「いえ、何か揺らぎのようなものを感じたのですが、気のせいだったようです」
ニコリとルシウス様にも笑顔で返して話を続けた。
「あの場所なのですが、400年前は禁足地として誰もが立ち入れなかった場所なのです。あの時代よりもさらに500年、今からで言うと900年くらい前、あの辺りには一つの国があって、それが一夜にして魔人に消され、そのときの瘴気が強くそのまま禁足地とされていたそうです」
「そのようなことが……さすがに900年も昔の事はなにも残っていないからな」
「あの時代でも、はっきりした記録はありませんでした。……ですので、グスタフ様も仰っていましたがあの場所で偶然にも400年前の魂が共鳴してアンデットが入り込んだと考えると道理も通るかと。あの古種のフェンリルに関しても、私が以前戦ったのもあの禁足地派遣の時でしたし、場所としても間違いないかと」
あの場所は時間が止まっているように古種の魔物ばかりだった。数百年瘴気が強い状態にあったあの場所は魔物にとっては過ごしやすい空間だったのかもしれない。
「推測ではありますが、もしかするとあのフェンリルは魔力の残滓に触れこの時代に飛ばされたのかもしれません」
「なぜそう思う?」
「グスタフ様はもちろん、ルシウス様もあのような古種のフェンリルは始めてだと仰っていました。以前から居たのであれば、マナを使わなくなったこの時代、もっと大きな被害が出ているかと」
「……なるほどな、そう考えると全てが合致する」
私だけが残滓に触れてこの時代に飛ばされたと思っていたけれど、もしもフェンリルも飛ばされたのだとしたら。
魔人と戦った翌日は魔力の残滓を浄化するとノエルが言っていた。もしかすると私の他にもあの残滓に触れた者がいたのではないか。そんな事ばかり脳裏に過るが、もしもそうだとして、マナを使わない此方の世界で魔物にやられるなんてよっぽどの相手ーー例えば昨日のフェンリルとかーーでない限りはないだろう。
もしも同じように時空を転移した者がいたのなら町を目指して移動し、色々な違いに気付くだろうけれど、400年の時を移動したと自身で気付くことは中々に難しい。そんな事は非現実的過ぎて端から考えない内容だ。
ここにきて少し経つが、そんな迷い人がいたなんて情報は何一つなかった。そうなると、ここに来たのは私とあのフェンリルだけなのだろう。
「でも、そう考えると実際のところあの時のアンデットは私の何に惹かれたのでしょうね。考え得る事は400年前という時間軸の一致くらいで……」
「400年に禁足地に無断で足を踏み入れ魔物に襲われた者の魂……あたりだろうか?」
あの時代に禁足地の奥地へ足を踏み入れる人なんていたのだろうか。でも、魂に惹かれるアンデットの習性を考えるとそんな事しか浮かばないのが事実だ。
「アリシア嬢、辛かったら話さなくて良いが……例えばだ。アリシア嬢の見た悪夢がアンデットが共鳴して見せたものであれば、惹かれた理由もわかるのではないか?」
「殿下それはっ」
「ルシウスは夢の内容は聞いたのか?」
「いえ、でもきっとアリシアにとって辛い夢だったのではないかと」
ルシウス様が申し訳なさそうに私を見た。パニック状態だった私を見たからこそ、気を遣ってくださっているのだ。
「ルシウス様、大丈夫ですよ。ありがとうございます。……確かにあの時は急激に流れ込んできた色々な感情に押し潰されパニック状態でしたが、今は落ち着いてます。それに、あの時の夢は悪夢ではありましたが、何の夢なのか私自身全くわからないのです」
ゆっくりと目を閉じた。深呼吸をしてあの悪夢を思い出す、出来るだけ鮮明に。
組んだ両手に力が入った。脳裏に窓辺にいた男性の姿が浮かんでくる。
「……明るい茶色の髪の男性が窓辺に居ました。涙を流していて……部屋の暗さで良くわからなかったけど、瞳はブルーのようなグレーのような色だった気がします。その男性の首には騎士のような人が剣を突き付けて……。剣を突き付けられていた男の人はこちらに向かって何か言っていました。ずっと音はなかったのですが、彼の一言からそれが鮮明になりました」
「やめろーっっ!!」と叫んだのはきっとその後に何が起こるか彼が知っていたからだ。
「彼が、やめろと叫んだ後は……女性にとして尊厳を失う時間でした。……一人の男にただひたすらに辱しめられ……目が、覚めました」
「すまない、そのような夢だったとは知らず……」
「いいえ、殿下。先ほども申しましたように今はもう落ち着いております。それに……」
茶色い髪の男性も、その男性に剣を向ける騎士も、そして私を辱しめ笑みを浮かべ覗き込んだあの顔も全て、知らないのだ。
「誰一人として知っている人物ではないのです。あの茶色い髪の男性も、騎士も、凌辱してきたあの男も。何より、感情は流れ込んできたもののあの女性は私ではない、今ではそんな風に思うのです」
取り憑いたアンデットの記憶だろうか。でもアンデットの作り出す悪夢にそんな話しは聞いたことない。主には影響された側、取り憑かれた側の記憶を元に悪夢を見せるはずだ。
だとすると、あれは私の記憶ということになるのだけど……。
視線を落として、私にない記憶について考えていると、光が少し陰った。ふと顔を上げると、心配に揺れる色と目があった。
「確認だがここに来る前、来てからと、本当にそのような辛い記憶はないのだな」
「来る前も、来た後も、そんな事は一切ないですよ」
安心してもらおうと微笑むと、ルシウス様が眉を下げた笑顔を返してくれた。殿下に視線を移すと、同じく眉をさげ「良かった」と返してくださった。
「アンデットの夢については謎ばかりですが、本当にあの後浄化してからは夢はもちろん体調も良いので、ご安心ください。ご心配お掛けして申し訳ございませんでした」
「ああ、遠征後にすまなかった、アリシア嬢」
そう言って笑った殿下が退室を促した。
ルシウス様とはまだお話が残ってるようで、扉前で護衛に当たっていたジョエル様につれられ部屋を後にする。
書斎を出て騎士棟に向かって歩く。その間いつもだったら話をするのだが、今日のジョエル様はただただ歩いて、本来の役目を果たしていた。
騎士寮につき、自室前の廊下を歩いていると壁に並んだ魔術具であるライトの1つで明らかに明度が低いものがあった。故障だろうか。そもそも魔術具はどのように修理をするのだろうか。ジョエル様は知っているだろうか、そう思い前を歩くジョエル様に声を掛けようと言葉を発するその瞬間。急にジョエル様が立ち止まった。部屋の前についたようだ。
ジョエル様は私に背を向けたまま話し始めた。
「先ほどの遠征で見たという悪夢、ですが……」
「え? はい」
「全く記憶にない人物と出来事、なんですよね」
「ええ。もう一人顔を見たのですが……たしか、月明かりに照らせれて暗めの茶色の髪だったような……瞳は黒……だったと思います。でもやっぱり全く知らなく、っ!?」
魔力が揺れている。爆発的なものではないが、静かに、それでいて大きく。
目の前にいるジョエル様の腕が、小さく震えている。手のひらを強く握り混んでしまって力が入っているようだった。そして徐々に彼の息が深く荒く変化してく。様子がおかしい。
「ジョエル様、どうされましたかっ!ご体調でも……っ」
心配になり彼の前に回り込んだ。
そこには苦しそうにぐっと何かを耐えるジョエル様の姿。
2回目だ。瞳の色を褒めたあの日のように、溢れ押さえられなかったであろう感情が、頬を伝う。何が彼を苦しめているのだろう。そう考えると、心臓を握りしめられたように苦しくなった。
きつく握った手に私の手を重ね、指をほどく。手のひらには爪が食い込み血が流れていた。
「……ジョエル様」
ヒールをかけると血はとまり傷口は塞がった。
「表面の傷であれば私も役立つのですが……何もお力になれず、ごめんなさい」
「……はは、アリシア嬢には、みっともない所ばかりみられますね」
「そんな事ないです」
「……優しいな……ねぇ、アリシア嬢。違うってのはわかってるんだけど……許してください」
「え?」
意味がわからず間抜けな返事をした。それとほぼ同時だった。
部屋に引き込まれ、バタンと扉が閉まる音がした。気がついたらジョエル様の両腕に抱き締められていた。とても力強く、それでいて宝物でも扱うかのようにすごく優しく。
「……めんっ……れなくて、ごめんっ………っ」
いつも笑顔で優しくて、ちょっと人たらしな、そんな明るい人が、こんなにも深い傷を負っていたなんて。
ゆっくりと背中に手を回した。
ヒールが心にも効けばいいのに、そんな事を思いながら、小さい子を宥めるようにトントンと優しくさすった。
月明かりが窓から注ぐ、とても静かな夜だった。
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