遠征 1
月の光りが差し込む静かな書斎にトントンと指で机を叩く音が響く。
少し前に部屋に帰ってきて、そろそろ湯浴みでもしようか、そう考えていた矢先の出来事だった。部屋の扉をノックされ、申し訳無さそうなルシウス様の声に呼び出されたのだ。そして「殿下がお呼びだ。……すまない」とだけ伝え、そのまま書斎に案内された。
部屋にはいると遠目に違和感があるほど微笑んだ殿下が座っておられて、私はと言うと、その正面まで案内された。
殿下が眉間にシワを寄せ影の掛かった微笑みを私に向ける。そして、優しい声とは裏腹な圧で言うのだ。
「さあ、アリシア嬢。貴方の持ちうる可能性の全てを詳らかにしてもらおうか」
◆ ◆ ◆
きっかけは、陛下への挨拶のパーティーの後だ。
皆の優しさに触れ、気付いた。時代が違っても、私がフェジュネーブの民なことに変わりはないということを。
だからこそ、私に出来ることがしたい。魔術師として、皆の役に立ちたい、と。この事をルシウス様に相談したら、騎士団長にも話してくださったようで、今日この機会が与えられたのだ。
今私は、最近増えたという魔物の討伐に同行させてもらっている。私が聖属性というのは騎士団の皆様の知るところになっているので問題ないだろうと言うことになった。
要するに現代の聖属性魔術師として同行するのだ。フェジュネーブだと聖女という扱いになるが、私は今は亡きアスティアナ王国の魔術師なのだ。
どの国であっても、聖属性はそれ以外の魔法が使えないというのが現代における常識らしいので、今日は聖魔法に特化して騎士様のお役に立てるよう頑張ろうと思っている。
「アリシア嬢、こんな足場の悪い場所辛くないですか?」
「ええ、大丈夫です。自分の国では魔術師として騎士様によく同行していましたので」
「そうなんですね……って、え? アスティアナは10年程前に……そんなに幼い頃から戦場へ出られていたのですか!?」
しまった、時代設定をすっかり忘れていた。
10年前に亡国になっているのであれば、私は9歳の計算だ。さすがにその歳で戦場へ送り出す国なんてとてもではないが、良い国とは言えない。
諸事情により、元国民と名乗らせれて貰ているのに、いくら亡国だといえ印象を落としてしまうのは礼儀に恥じる。それに、実際のアスティアナ王国はとても穏やかな良い国だったと聞いているのだ。
「えっと、誤解を招く伝え方をしてしまいすみません。同行と言って、見習いばかりで森に出向く学びの場みたいなものですから」
「はは、さすがにそうですよね」
歳が近そうな騎士様だ。聞けばこの間ヒールを掛けたうちの一人だったようで、歩き出す前にお礼まで言われてしまった。その事もあってかすごく気にかけてくださっているように感じる。
隊列を組んでいる先頭は数人分の距離だけ先にあり、グスタフ様とルシウス様が歩いている。
馬は荷馬車は険しい道な事もあり、駐屯地に置いてきたのだ。
「ここ、滑りやすいですよ。気を付けて」
「ありがとうございま、ふあっ」
小さな泥濘だ。事前に教えて貰ったにも関わらず、足を嵌めてしまい体制が崩れる。手をつかなければ、そう思った瞬間にぐっと引き寄せられた。転ばないようにと伸ばした手は空を切ったがふわっと何かを掴んだようにも感じた。
「すみません、もっと早めに声をかけていれば。大丈夫ですか」
どうやら、倒れ込む前に騎士様が抱き止めてくださったようだ。でも支えられる感覚以外にも、不思議な感覚があったようにも思えるが……気のせいだろうか。
何より、この片手で抱き締められているような体制、何故か既視感を覚える。
「すみません、ありがとうございます」
ここで漸くこの既視感の正体に気付いた。ナフタック様だ。そこまで思い出したそのとき、前方から声が近づいてくる。
「おい、どうし、た」
今だ彼の腕の中にいる私の姿をみて、一瞬ルシウス様の動きが止まった気がした。
その声を追うようにグスタフ様も声も。
「おい、大丈夫かって……おーおー、何だ面白れェ事になってんな」
ニヤニヤと騎士様と私をみるグスタフ様。これは揶揄おうとしているに違いない。そんな事をされたら騎士様に申し訳無さすぎる。
ケイオス団長もそうだったが、部下で遊ぶのがどの時代においても騎士団長のスキルのようだ。
団長が余計なことを言う前に、私はスッと騎士様の腕を抜けた。そしてこの場の皆に伝わるように言うのだ。
「私の不注意で転びそうになりそれを助けて頂いて本当にありがとうございます。騎士様のお陰で怪我をせずにすみました。騎士様にもお怪我はありませんでしたか、もしあれば私に任せてください」
「ええ、アリシア嬢に怪我がないようで安心です」
騎士様がにこりと笑う。その微笑みに私も笑みを返す。
解決だ。これで要らぬ誤解は解けたし、私を助けたことで騎士様がグスタフ様のおもちゃになってしまうという未来も消えただろう。達成感から心のなかで息を一つついた。その瞬間だった。ぐんと勢いよく体が引き寄せられる。次に気付いたときにはルシウス様の片腕の中に収まっていた。
「彼女は俺が預かろう。お前達も気を抜かず気を付けて進め、いいな」
「「はい!」」
「行くぞ、アリシア」
「え、あ、はい」
ルシウス様に腕を引かれ歩きだす瞬間に、団長がさっき助けてくださった騎士様の方にポンと手をおき何やら耳打ちをしているのが見えた。
その後はニタニタと笑いながら楽しそうに私たちの後を歩いて列に戻ってきた。そして団長の定位置であろう先頭に立ち「よし、お前ら行くぞ」と軽い掛け声と共に歩き始めた。
獣道だろうか、明らかに人が作ったものではないが、その場所だけ草がならされて進む方向を記されているような感覚になる。
ルシウス様の直ぐ後ろを歩く、あの後は泥濘にはまるなどというポカはしていない。
「アリシア……怪我はなかったんだな?」
前方からルシウス様に問いかけられた。恐らく先程転び掛けた時の事だろう。
「ええ、騎士様が助けてくださったお陰で……」
「怪我がないのであれば良いが」
「ありがとうございます……騎士の方は皆さん優しいですね」
「……何故そう思うんだ?」
「実は、ここに来る前にも今のようにナフタック様に助けられたことがあって」
「ナフタック?」
「あ、ええ、あちらの騎士様です」
……ーーあれはナフタック様の隊と初めて一緒に遠征に出た頃。
魔物の討伐中、後ろからの攻撃を避けきれずに身構えた瞬間。ぐんと腕を引かれ、左腕で抱き止めるように私を支えたままナフタック様が敵をまっ二つに断ち切ったのだ。
「ーーその時のナフタック様は騎士様って感じがしてとても素敵だったんですよ。まあ、実際本当に騎士なので変な表現ですが」
3年ほど前だろうか、思い出すと懐かしさに頬が緩んでしまう。
……ーー「油断するなアリシア!……怪我はないか?……そうか、君に怪我がないのであれば良い」
そうやって助けてくださったのだ。
あの時はまだ仲も良かった。話しも協力もし合えていたのに。あのあと数回の遠征の末、ナフタック様の中で何があったのかわからないが、私は彼から疎まれるようになってしまった。
「ーーですから先ほど助けられた既視感があり、ふと疑問に思った瞬間に思い出したのです、そんな出来事があったっ事を。騎士様はみんな優しいんだな、と」
「……ナフタック殿はアリシアの想い人、だったのか?」
「そ、そのような関係ではありません。仲間というか何というか……それにその後数回遠征を共にしましたが、最終的には私は彼にとても疎まれ嫌われていますし」
「そう、なのか」
本当は騎士団になるはずじゃなかった、そう言い始めたのもあの頃だった気がする。
そんな思い出をぼんやりと思い出しながら歩いていると開けた場所についた。
気付けば大分歩いたようで、日も傾き始めている。ここが夜営地なのだろう。
「よし! 今晩はここで夜営だ。テントを張れ。夜は順に見張りも立てる、指示は追って伝える」
グスタフ様の声に騎士様が一斉に準備に取りかかる。テントの設営ならば私も手伝えると伝えるも、気を遣ってくれているのか、騎士様はみんな休んでいてください、の一点張りだ。
私が女だからなのだろうけど、実際私の時代では設営も全てやっていたのだ。伝えられないのがもどかしい。
事情を知っている二人に伝えるも却下をされた。
せめてと思い、薪になりそうな木々を拾い集めることだけには成功した。
集めた木々を1ヵ所へまとめていると「これも足しにしてくれ」とグスタフ様がどこから拾ってきたのか木の束をもってこちらにやってきた。
1人の騎士の淡い恋心が団長によって砕かれました。
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