突然の予定
「あの、ボルド様いかがでしょうか?」
「……」
「や、やはり私には」
「似合っている……すまない、見とれてしまった」
「みとっ、え、あっ、ありがとうございます……」
口元を押さえて少し照れているのか、ボルド様の視線が斜め下を向いた。
顔が熱い、恥ずかしさに同じく下げた視線をゆっくりあげると、にこにこと楽しそうな店員さんと目があった。違う、そういう関係ではないんです! とボルド様のためにもお伝えしたいのだが、緊張から口がはくはく動くも声にならない。
一旦落ち着こうと鏡を見る。そこには自身の顔の横で揺れるエメラルドの使用されたピアスがあった。キラキラと揺れるその緑はボルド様の瞳の色そのもの。それを思うと落ち着いた熱が再び込み上げてくる。
事の発端は、先日負傷した騎士様達にヒールを掛けたことだ。
当然ながらグスタフ様が陛下に報告したところ、私のまっ白な日々に"国王陛下に会う"と言う重大すぎる予定が入ってきたのだ。謁見なのだろう。
そもそも、その予定が入ったのを告げられたのも今日、それも突如として呼び出された殿下の書斎でのことだ。
街の案内と言う名の、生活に必要な衣服等の買い物の付き添いを殿下がボルド様に命じたのだ。ボルド様であれば、護衛もできるから、と。そしてさらに追加した。「陛下に会うときにはルシウスの色を身に付けろ」と。
これには私もボルド様もすぐに理解が及ばず、一度固まった。
異性の色を身に付ける、この意味は400年の間で違う解釈になっているのだろうか。……答えは否だ。これはボルド様の反応を見てもわかる事だろう。だとするとその意図とするところは一般的に、夫婦、婚約者、恋人。想いを寄せ合うもの同士で行うことである。
「魔力も多く聖属性であるという点もだが、アリシア嬢はもう少し自分を客観的に見るべきだ」
そう殿下が仰るとボルド様も頷いていた。自身を改めて客観視したことはないが、したとしても現代においては聖女以上の聖魔法が使える、しか浮かばないのだ。でもその後に「お互い虫除けで便利であろう」と仰っていたので、そのような意味であるとは思う。
ボルド様はともかく、古代の男爵令嬢に虫が付くとは到底思えない。……と、思って悲しくなるのも事実なのだが。
そんな、突拍子もないとしかとれない殿下の指示により、今この恥ずかしくて申し訳なさすぎる現在が進行している。
なにせ、それまでのお買い物はとても順調だったのだ。
王都の街並みは400年前とあまり変わってないようだったが、暮らしに変化があった分お店の場所や内容は変わっている所が多かった。
ボルド様の案内の下、各専門店に立ち寄りながら、お買い物をしていった。時代のせいで色々疎い私と女性ものに疎いボルド様が二人して悩んでいるので、店員さんがおすすめやアドバイスをくださったりもした。その都度二人で笑って、本日のミッション”生活必需品の買い物”は恙無く完了した。
彼の案内はスマートで、要所要所で気遣いを下さると来たものだから、少しどきりとした瞬間があったのも本当で。洋服の試着をした際に、商売もあり褒めてくださる店員さんの側で、優しく「似合っている、とても綺麗だ」なんて言われたら、それはもう照れずにはいられないと思う。
そんな少し心臓に悪いが平和なお買い物だったのに、ここに来てこの恥ずかしさは何だろう。いたたまれない。
この状況にどきどきしない令嬢がいたら教えてほしい。お互い事情はわかっての事だし、少しでも浮わついて、ボルド様から勘違いしないよう釘でも刺されようものならば恥ずかしすぎて消えたくなってしまう。
なけなしの令嬢スマイルをはりつけてやり過ごすしかない。それなのに、ボルド様ときたら今の私にとって悪辣すぎる台詞をチョイスしてくるのだ。これでは店員さんも勘違い必須だろう。
そもそも女性慣れしてないと思っていたのに、そうではないような台詞がスラスラと出てくる。私の思い違いだったのだろうか。
「では、これを包んでもらえるか。アリシア、もし良ければこのイヤリングは、俺から贈らせて欲しい」
必要経費は殿下から頂いているのだ。この騎士様は突然何を言い出すのだろうか。これ以上悪辣な事を言われてしまうと、頭から湯気が出てきそうだ。
店員さんが席をはずしたのを確認してボルド様を睨んだ。もう恥ずかしすぎて、睨む他なかった。ただ間違いなく赤面しているので迫力は出ていなかったと思う。
「ぼっ、ボルド様。失礼を承知で申し上げます。書斎で殿下の言葉に頷いておりましたが、ボルド様こそです。ご自身がどのように見られているか客観的にお考えください。いくら意図がわかっているとは言え、その、なんと言いますか、恥ずかしすぎて心臓がもちませんっ」
「それは失礼。ーー女性に睨まれたのははじめてだが、存外怖いものだな」
そう笑うボルド様の表情は、大きく動くことはなくてもわかる。怖いとなんて微塵も思ってはいない、面白がっている。もはや小動物がなにか言ってるとしか思っていないような、そんな微笑ましさまで醸し出している。
エスコートをされてお店を出た。
間違いなく勘違いをしたままであろう店員さんに暖かく見送られ、令嬢スマイルを貼り付けたままボルド様に連れられる。あの店員さんに会うことは今後一切ないし問題ないと脳内で言い聞かせた。
買い物も一段落し近くにあった広場のベンチに腰かけた。
購入したものをお店から直接騎士寮に運ぶように伝えると、どのお店でももれなく「騎士寮、ですか?」という反応をするものだから少し面白かった。
「アリシアは露店の食べ物に嫌悪感などはないだろうか?」
「ええ、もちろんです。私の住んでいた領地はとても田舎で、むしろ家族で露店で購入して食べるときもありましたよ」
幼い頃の思い出が脳裏に浮かんだ。都会育ちの令嬢達は経験がないのかもしれない。美味しいものがたくさん売っているのに、もったいない。
「では、広場の手前にあった露店に飲み物と」
「盗っ人だーっ!!」
突然の叫び声に広場がざわつきだした。
皆の視線は、声がしたであろう広場の奥の通りの方に向く。この場所からは見えないが、どうやら近いようだ。ボルド様を見ると立ち上がり騒ぎのある先をじっと見つめていた。
その間にも、人の叫ぶ声が響いている。
「あの、私は大丈夫ですよ」
「だが俺は一応護衛もかねていて」
「あら、私これでもボルド様達の言う”古代魔術”が使えるんですから」
ふふん、と自慢そうに伝えると「すまない、すぐ戻る」と騒ぎに向かって走り出した。
きっと彼ならパパっと解決して、到着した街の兵士に引き継ぐのだろう。そんなことを考えていると、だんだんと野次馬のように人が集まっていく。殴り合いにでもなって見世物状態なのだろうか。あまりにも皆が奥の通りに向かうので、広場の手前で視線だけ向けてた人たちの中にも走って向かうものまで現れた。
ボルド様は現場に到着したかな、ぼんやりとそんなことを考えてた時だ。
「きゃっ」
走って通りに向かう男女二人とぶつかった幼い女の子。その子の出立ちに既視感を覚える。きっとどこかの孤児院の子だ。
どう考えても走ってきた男女に非があるのに、その二人はあろうことか、その子に暴言をはいて、また賑わう場所へと走り出したのだ。信じられない。
女の子はというと、地面に座り込んだまま膝を押さえている。見たところ5・6歳くらいだろうか。
「大丈夫?」
掛けた声に一瞬ビクっと方を揺らした。しゃがんでいるのでいくぶん距離も近い。自分の膝からゆっくりと視線を私に向けてくれた、瞳には涙が浮かんでいる。押さえている膝は血が垂れていた。
「ひどい人たちだね。痛かったよね」
みるみる溢れ出る涙。持っていたハンカチを差し出した。
「実は私、魔法が得意なの。見てて?」
ハンカチを渡したその手をそのまま膝に翳す。その瞬間暖かな光が膝を多い、その光が消えると可愛い小さな手が覆っていた膝から赤は消えていた。
「これでもう大丈夫」
きっと初めて魔法を見たのかもしれない。目の前でおきた光景に綺麗に完治した膝と私の顔とで何度か視線を往復させ、キラキラとした瞳を私に向ける。もちろん眩しいくらいの笑顔も一緒に。
「女神様みたい……っ! お姉ちゃん、ありがとう!」
「ふふ、どういたしまして。でも、女神様じゃないから善良ではないのよ?」
そう伝え、女の子にぶつかって暴言を吐いて行った男女を指差した。目的地に向かうべく、今だ小走りで進んでいる。「見てて」と小さく女の子に伝えて、先ほど治癒で翳した手を地面に付ける。少量のオドを練り込んで、地面へ流した。
本来だったら土属性の術者が地面から鋭利な岩のようなものを出して敵を串刺しにするような魔法なのだが、今回はほんの少量の魔力で凹凸を作り出すだけだ。そうすれば。
走っていた二人がなにかにつまづき、びたんと転んだ。先ほどの自分の膝との視線のお往復のように今度は転んだ二人と私とを見る。
「今のってーー」
女の子が喋り終わる前に、口もに人差し指をたてた。
「あんなに急ぐから転んじゃったんだね。ゆっくり歩けばいいのね?」
「ふふっ、そうだね!!」
聞けば孤児院に帰る途中だったという。やはり魔法を見たのは初めてだったようで、とても嬉しそうだった。その後は直ぐに、ありがとうと何回も振り向いては叫んで、野次馬とは逆の方へ走っていった。
女の子の姿が見えなくなって直ぐに奥の通りの方から感嘆の声と拍手が聞こえてきた。どうやら事件は解決したようだ。ボルド様ももうすぐ戻ってくるだろう。
「失礼、ご令嬢に突然声をお掛けする無礼をお許しください」
拍手の聞こえる方から、声の方へ視線を移すと、そこには一人の男性が立っていた。緩くウェーブの付いた短めの茶色い髪の毛と薄い水色の瞳。格好はこそは裕福な商家の子息だが、その出立ちに違和感が残る。
「心の優しい方だ」
「え?」
「先ほど少女を助けていたでしょう?」
「ええ、でも、そんな大袈裟なことではありませんので」
「そうでしょうか。でも、私はそんなあなたに魅せられた一人ですから。あ、失礼。私はリュシーと申します。よろしければ、お名前を伺っても?」
「あ、ええ、私は」
「アリシア!!」
その聞きなれた声は少しの怒気を含んでいるようだった。といっても、その矛先は私ではないようだが。そのまま歩いて私のもとへ来たボルド様はスッと自身の方へ私を引き寄せた。触れた場所に熱が伝わる。
「知り合いか? 彼女に何か」
「おっと残念。こんなに屈強な騎士がいるなんて。お近づきになりたかったのに、では……」
そう言って、すっと私の手をとり口づけた。
「アリシア、また今度」
にこりを微笑み背を向け去っていく。いったいなんだったんだろう。ふと触れていた熱が離れた。気付けば正面に立っているボルド様の右手の上にふよふよと水の玉が浮いている。
「手を」
反射的に出したのは左手だったけれど「右だ」と言われ慌てて再び差し出した。そしてそのまま手の甲を水で流し始めた。
「洗っておけ」
つい最近、ジョエル様にも受けた挨拶なのだが、見ず知らずの他人からなので私が不快感をもったと思い気を遣ってくださったのだろう。
「ふふ、ありがとう存じます」
「……待たせてしまい、変な輩に触れられる結果となり申し訳ない」
「とんでもないことです。私は全く気にしてませんから。それより、ボルド様もお疲れさまでした」
水魔法が風魔法に変わり私の手が乾く。
「犯人は直ぐに取り押さえた。だが刃物を持っていて、刺されたものがいたんだ」
「えっ、その方は」
「幸いその場に居合わせたロレー……聖女がヒールを掛けたので命に別状はない」
きっとあのとき聞こえてきた拍手は、聖女がヒールを掛けて怪我人が助かったときに起こったものだったのだろうか。何にせよ、その方もそしてボルド様も無事でなによりだ。
「良かったです、お疲れさまでした。では、どうしましょう。お疲れでしょうし、このまま寮にもどりますか」
目の前のボルド様が腕を組む。
「……どうだろう、アリシアさえ良ければ……先ほどの露店で当初の予定どおり何か買おうと思うのだが」
「もちろんです。実は少し喉も乾いて、露店楽しみにしていました」
「そうか。では、このまま二人で行こう。俺だけで買いに行っても良いが、また変な輩に絡まれては大変だからな」
最後こそは冗談めいた聞こえだったが、そうか、と言った瞬間のボルド様の表情が今までなく優しくて今日何回目かの心が跳ねる、そんな感覚がやってくる。
ジョエル様が、ボルド様は令嬢に人気があると言っていた。その令嬢達の一人になってしまいそうで、慌てて律する。まだ、大丈夫。
保護してくれている相手に、そんな迷惑な感情を抱きたくはない。
「”古代魔術の使い手”ですよ?」
「ああ、そうだったな」
露店に向かって歩き出す。
早すぎず遅すぎず、歩調をあわせてくれる。そんな優しさもまた暖かく感じた。
お読み頂きありがとうございます。
次回は挨拶準備回回です。