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第4話 岡山県

 ある日、空より黒き球が降ってきた。

 黒き球は悍ましき化け物へと変貌を遂げた。

 化け物を全て退けた後、世界が闇で覆われた。

 闇は人も動物も、虫さえも殺し始め、そこら中に死体が転がった。

 そして最後に、鬼が降ってきた。

 鬼は温羅と名乗り、黒き球より産まれた化け物――餓鬼と共に、戦を始めた。

 

 そこへ帝の命により、吉備津彦命きびつひこのみことがやってきた。

 吉備津彦命は無数の餓鬼斬り殺し、傷だらけの体で温羅と死闘を繰り広げ、見事に温羅の首を討ち獲ってみせた。

 が、さすがは鬼。

 温羅の目は、首を斬り落とされてなお動いた。

 温羅の口は、首を斬り落とされてなお動いた。

 吉備津彦命は温羅の首を、吉備津宮の釜殿の竈の地中深くに埋め、十三年をかけて封印した。

 こうして世界に平和が訪れた。

 

 しかし、気がかりが一つだけ。

 鬼は最後にこう言ったのだ。

 

 ――鬼が、俺様一人だと思うなよ。

 

 と。

 

 

 

 

 

 

 桃太郎に書かれていたのは、再び鬼が訪れる可能性の示唆。

 そして、可能性は新庄村に鬼が出現したことで、既に現実となっている。

 

 秘書の全身に震えが走り、怯えたような表情で吉備武彦桃温羅を見る。

 

「知事が『出た』とおっしゃっていた鬼とは、この餓鬼のことですか?」

 

「そうだ。本の通りだとしたら、新庄村に現れた一体だけではないだろうな」

 

「今後も本に書かれた通りのことが起こるとすれば……。次は、世界が闇に覆われ、生物が死んでいくってことじゃないですか!? これは、つまり……」

 

「おそらく、毒ガスの類だろうな」

 

「毒ガス!? ち、知事、どうしましょう! 多くの命が犠牲に!」

 

「落ち着け。図書館ではお静かに、だ」

 

 吉備武彦桃温羅が動じることなく、桃太郎のページを捲っていく。

 が、吉備武彦桃温羅の欲しかった情報、つまり温羅という鬼の詳細が書かれておらず、残念がった。

 餓鬼然り。

 温羅然り。

 鬼というのは、余りにも現代に残された情報が少ない。

 

「ち、知事……。どうしてこの状況で、落ち着いていられるのですか?」

 

 依然、冷静な表情を崩さぬ吉備武彦桃温羅を、秘書は恐れた。

 鬼の到来は、人類の存続にかかわる大問題だ。

 死を目の前にした生物の行動として、怯えぬ吉備武彦桃温羅の振る舞いは余りにも不適格だった。

 だが、吉備武彦桃温羅の振る舞いの理由はシンプル。

 この上なく、シンプル。

 

「既に、対策を終えたからだ」

 

 そんなシンプルな一言で、秘書の心は満ちた。

 自身が不安を感じる頃には、既に不安への対策を終えている吉備武彦桃温羅の姿は、あまりにも秘書にとって崇拝の念を禁じ得ない物だった。

 

 吉備武彦桃温羅は、パタンと桃太郎の本を閉じ、本棚へ戻す。

 そして、秘書を見た。

 

「緊急会議だ。岡山県全二十七の市町村長に招集をかけよ!」

 

「はいっ!」

 

 秘書は元気よく答え、すぐにタブレットを操作する。

 大都会岡山の最先端テクノロジーを使えば、招集連絡など一瞬だ。

 岡山県立図書館での用を終えた吉備武彦桃温羅と秘書は、速やかに退館する。

 

 岡山県立図書館の外へ出た時、それは世界に鳴り響いた。

 

 ゴーン。

 

 ゴーン。

 

 鳴り響いたのは、鐘の音。

 

 ゴーン。

 

 ゴーン。

 

 誰もを立ち止まらせ、聞き惚れさせる鐘の音。

 

 ゴーン。

 

 ゴーン。

 

 秘書が、未だかつて聞いたことがないほど美しい、鐘の音。

 秘書が、鬼の襲来と言う悪夢を忘れるほどに美しい、鐘の音。

 

「綺麗な音色ですね。しかし、この近くに鐘なんてありましたっけ?」

 

 うっとりとした表情を浮かべる秘書の頭を超えて、吉備武彦桃温羅は北東を指差した。

 

「言っただろう。対策を終えた、と」

 

 

 

 

 

 

 美作市みまさかし

 岡山県の北東部に位置し、兵庫県および鳥取県と隣接する市である。

 人口は県下の市の中で最少の二六〇三五人。

 県内最高峰にして、近畿百名山と中国百名山に選ばれる後山うしろやまを有する市である。

 

「市長ー! どこですかー!」

 

 美作市市長を支える秘書は、後山の登山道を必死に走る。

 岡山県知事から美作市長への指示を伝えるために。

 

「市長!」

 

 美作市市長、美作さかは、後山で滝に打たれていた。

 白い行衣に身を包み、右脚だけで立ち、全身に滝を浴びていた。

 

 後山は、西大峯山とも呼ばれる。

 修験道しゅげんどうの中心地。

 即ち、山へ籠もって厳しい修行を行い悟りを開く場所として栄えた山である。

 その背景から、後山では今日でも五十以上の行場ぎょうばが存在する。

 

「おお、我が秘書では御座らんか」

 

 秘書の声に気づいた美作市市長――美作みまさかさかは、目を開き、歩いて滝から出る。

 長い薄紫の髪はしっとりと濡れて顔へ貼りつき、行衣もまた肌に貼りついて、凹凸のある体型を浮き上がらせていた。

 滝つぼの近くに置いていたタオルを手に取り、美作さかは体を拭きながら息を切らした秘書に近づく。

 修行を終えたばかりの美作さかの表情は、煩悩が取り払われた後のように穏やかだ。

 

「それで、何用でござる?」

 

「ち、知事から、至急の依頼があると」

 

「ほう。なんでござるか?」

 

「えっと、そのままお伝えしますね。『鬼が出た。鐘を鳴らせ』と。いったい何のことでしょう?」

 

 が、秘書の言葉に、美作さかは真剣な表情に変わる。

 

「これは、急がねばならんで御座るな」

 

 そして、腰紐をほどき、行衣の掛けえりを掴んで自身の行衣をはぎ取った。

 美作さかが身につける物は下着のみとなったが、それさえも躊躇なく脱ぎ捨てる。

 

「市長!? 何を!」

 

 秘書は慌てて目を背けるが、美作さかはお構いなし。

 タオルと並べて置いていた着替えを拾いながら、豪快に笑う。

 

「何を恥ずかしがっているでござるか。女同士でござろう?」

 

「そういう問題では……! とにかく服! 服を着てください!」

 

「今、着ている途中でござる」

 

 美作さかは、白いタンクトップと緑の短パンを身に着け、長い髪の毛先を六ケ所でまとめると、脱ぎ終えた行衣を袋にしまう。

 そして、顔を伏せている秘書に近づき、その体を持ち上げる。

 お姫様抱っこである。

 

「!? !? な……!? なあ!?」

 

「すまぬ。急ぐ故、担がせてもらうでござる」

 

 赤面する秘書の言葉を聞くより早く、そして疾く、美作さかは後山の山中を駆け抜ける。

 音速にも届く疾さで。

 

「いやあああああ!?」

 

 秘書の叫び声さえ、追い越す疾さで。

 

 向かうはもちろん、鐘の元。

人口は、令和五年一月一日時点の住民基本台帳人口に基づきます。

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