第90話 要撃
「それでは行きましょうか」
「ええ、よろしくお願いします」
ダライへの出発の朝、2人はマッキンゼ卿が準備した馬車に乗り込む。
続いて、マッキンゼ卿とオースチンも乗り込み、馬車には4人が乗ることになる。大きめの馬車なのでゆったりとした移動になりそうだ。
「お父様、アティアス様も……お気をつけて」
馬車の外ではウィルセアが心配そうに声をかける。
「ああ、行ってくる。……あとは頼む」
マッキンゼ卿が返答をし、御者に指示をすると馬車はゆっくりと動き出した。
「ダライには昼過ぎに着くと思いますよ」
馬車はかなりの速度で街道を駆けていく。
乗り心地はあまり良くないが、こればかりは我慢するしかない。
「オースチンから聞きましたが、エミリス殿は魔法で飛ぶことができるとか? そんなことができるとは聞いたこともありません。……どんな魔法なんでしょうか?」
不意にマッキンゼ卿が2人に声をかける。
セリーナの件の報告を受けているのだろう。それに対して、エミリスが答える。
「ええと、魔法とかではなく、魔力で身体を浮かべているだけですよ」
「魔力で? 物を動かすことすら、普通は難しいものですが……」
驚きを隠しきれず、マッキンゼ卿は言った。
「私も最初は信じられませんでしたが……エミリスは魔法の練習を始めた日に、石を持ち上げてましたからね」
アティアスもその感覚に同意しつつも、回想する。
「私も軽い物なら動かせますが……魔力をそのように使うのは考えたこともありませんでした」
「普通はそうですよね」
アティアスもその考えに同意する。
「魔法を覚えるより先に、そういう使い方を覚えたもので……。結構便利なんですよ」
なんでもないことのように、彼女はさらっと言う。
こんな能力を持っていれば噂くらい出回りそうなものだが、なぜ今まで表に出てこなかったのだろうか。
「……アティアス殿は、以前別の護衛を連れていましたよね? その頃、エミリス殿はどちらに?」
「エミリスは、半年ほど前までテンセズの町長の所で使用人をしていたんです。魔法を覚えたのもここ最近の話です」
答えて良いものか考えたエミリスの代わりに、アティアスが答える。
「半年……ですか。魔導士としては、それを聞くだけでも驚きですね」
「そう思います」
今までの話だけでも彼女の異常さがよくわかる。
「……ところで、ダライに向かうまでの間に、襲撃されるってことはあると思いますか?」
急にエミリスが話を変える。
「……私ならば襲いますね。今日ダライを訪問することは連絡を入れていますので。……周りに何もなく、証拠が残らないこの状況では、襲ってくれというようなものです」
「なるほど。……なら準備をしたほうがいいです。この先に、かなりの人……だけじゃなくて、何か獣の気配もしますので」
マッキンゼ卿の返答に彼女は真面目な顔で伝えた。
彼女がそう言うということは、実際に感知できる範囲に入ったということだ。
「距離は?」
「まだだいぶ先です。たぶんあと10分くらいかなと」
アティアスの問いに彼女は即答する。
馬車で10分ということは、街道が直線ならばはるか先に見えるかどうか、というところか。
「なぜわかるのですか?」
それまで黙っていたオースチンが問う。
「えっと、周囲に魔力で網を張ってます。人とかがいればすぐにわかります。……城の塔でセリーナさんを見つけた時と同じです」
あのとき、セリーナが塔にいることに確信を持っていたのは、そういうことだったのかと、オースチンはようやく理解した。
「獣ってのはなんだと思う?」
アティアスがエミリスに聞くが、それにはマッキンゼ卿が答えた。
「私たちは領土が狭いということもあって、以前獣を操って兵士の代わりにすることを研究していたのですよ。思ったほど知能が高くならず、放棄したのですが……」
「もしかして、テンセズ周辺で急に強い獣が現れるようになったのも……?」
アティアスの疑問に対し、考えながらマッキンゼ卿が答える。
「その実験の可能性が高いでしょう。もうその研究はしていないはずですが、隠れて続けていたのかもしれません。……研究拠点はマドン山脈の麓にありました」
「なるほど……。だからテンセズに、と言うわけですか」
ようやく話が繋がり、アティアスは納得した。
「そろそろ見えてくると思います。……人は殺さないようにしますけど、獣は殺しちゃっても良いですよね?」
エミリスの言葉に、マッキンゼ卿は頷く。
そのとき、馬車の速度が落ちるのが感じられた。
「アティアス様、とりあえず大人しくさせましょう」
「あ、ああ……」
そう言うなり、エミリスはアティアスの腰に手を回し、馬車の戸を開けて外に飛び出した。
もちろん、危険のないように制御して着地する。
そして御者を手で制止して馬車を停めてもらい、その前に立つ。
街道の向かう先には、数十体のワイルドウルフが並んでおり、その向こうに5人の魔導士と思われる者たちがいる。
そのうち1人は女性のようだ。
通常ならこれだけでかなりの戦力であることは間違いない。
「先にワイルドウルフをなんとかしないとな」
「そうですね。……でも、たぶん魔法は防御されるんでしょうねぇ」
彼の言葉にエミリスはのんびりとした口調で呟く。
あまり緊迫感は伝わってこない。それほど余裕を持っているのか。
そうしているうちに、ワイルドウルフがジリジリと向かってきた。
「アティアス様、念のため馬車を防御魔法で守っておいてもらえますか? 余波がいっちゃうかもしれませんので……」
「あ、ああ……わかった」
彼女は何をするつもりだろうか。
とりあえず言われた通りに防御魔法を練って発動させる。
「……壁よっ!」
見えないが、これである程度の魔法は防げるだろう。
エミリスは真剣な顔をして狼たちの群れを凝視している。
「……ふふ、ちょうど良いです。試してみたかったところですから」
ぽつりと彼女が呟く。
その瞬間――
――パキィン! ドゴン!
ガラスが割れるような音と同時に爆発音が響き、突然先頭を歩いていたワイルドウルフの頭が吹き飛んだ。
続けざまに、同じような音が響き次々と狼たちが倒れていく。
――それは一方的な殺戮の光景だった。




