第84話 切願
「このっ……!」
エミリスが今まで見せたことのない形相で女に視線を向け、すかさず魔法を放つ。
――キン!
しかし、硬質な音が響き、弾かれてしまう。
その女――セリーナは、すぐに踵を返して走り去っていく。
追いたいが、今はそれどころではなかった。
「アティアス様っ! ――あああっ……!」
背中まで貫通していそうなほど深く、腹にナイフが突き刺さっていた。
その傷口から流れ出た血で、白いシャツがみるみるうちに染まっていく。
急いで傷を塞がねば……と思うが、抜くと血が吹き出してしまう。
いずれにしてもそのままにはしておけず、一刻の猶予もない。
咄嗟に考え、すぐに発動できるよう先に回復魔法を練りながら、ナイフに手をかける。
「――――くうっ!」
意を決して、勢いよくナイフを抜いた。
吹き出す鮮血を目にしつつ、落ち着け、落ち着け……と、何度も頭の中で繰り返し呟く。
かつて冷静に振る舞うようにしてきたのは、きっと今この時のためにあったのだと。
ナイフを投げ捨てて彼に手をかざし、持てる魔力全てを振り絞って治癒をかける。
得意な魔法ではなかったが、今この場で魔法が使えるのは自分しかいない。
内臓まで損傷している、これほどの傷を治すことができるか。試したことなど当然なく、未知数だったが、それに賭けるしかない。
「……お願い……お願いっ!」
祈りながら魔力を注ぎ込む。
彼女を脱力感が襲う。一度にこれほどの魔力を使うのは初めてだった。
苦手な回復魔法を使うには、彼女の技量だと効率が悪く、自身の圧倒的な魔力を注ぎ込んで補うしかなかった。
どんどん傷は塞がっていくように見えるが、残る傷の大きさに対して自分の消耗の方が大きいことに気付く。
「……ああ……」
エミリスは絶望と共に、初めて理解した。
これが……魔力が枯渇するということなのだと。
お願い……!
私からアティアス様を奪わないで――!
そう祈りながら治癒を続ける。
――もうダメかもしれない。
そう感じて、何か手はないかと必死に思考を巡らせる。
そのとき――
ふと彼の腰のベルトに付けられた皮袋が目に入った。立っている時は上着に隠れて見えない位置だが、これは……!
アティアスの腕に視線を向けると、腕輪をしているのがわかる。
――これがあれば、もしかして。
エミリスは急いで彼から腕輪を外し、自分に付け替える。
そして、皮袋から宝石を手に取り、祈るように握りしめた。
――その途端、尽きかけていた魔力に少し余裕ができたのを感じた。
それはドーファンから貰った宝石に、彼女が自らの魔力を込めてアティアスに渡していたものだった。
念の為に、彼はそれを持ち歩いてくれていたのだ。
「……これなら!」
改めて治癒を再開する。
――そして、完全に傷が塞がるのと、宝石の魔力が空になるのは殆ど同時だった。
◆◆◆
「――うっ!」
アティアスはベッドでゆっくり目を覚ました。
全身を倦怠感が襲う。
目眩も酷い。
何があったか、全く覚えていなかった。
爆発があって、そのあと――
「……アティアスさまっ!」
ふと、ベッドの脇に座っていたエミリスが彼の名を叫んだ。
彼女の目は涙で赤く腫れていた。元々の赤い目と併せて、本当に真っ赤に見える。
ドレスだったはずだが、見慣れない黒っぽい服に着替えていた。
「エミー、ここは……? 何も覚えていなくて」
小さな声で呟くように彼女に聞く。
「ここはミニーブルのお城です。……アティアス様は、爆発のあと、お腹を刺されたんです。ナイフで……」
「そうなのか……」
自分のお腹に手を当ててみても実感は湧かない。なにしろ、傷は残っていないのだから。
「あれからもう2日経っています。……お守りできずに申し訳ありません。油断していました。なんとお詫びをすれば良いか……」
そう言いながら、彼女は腫れた目を更に潤ませて俯く。
「……傷はエミーが治してくれたのか?」
「……はい。……すごく傷が深くて……私の魔力だけでは足りなくて。……あの宝石も使わせていただきました」
彼女はぽつりぽつりと話す。
「そうか。……そこまでとは。……はは、エミーも底なしじゃなかったんだな」
ほんの少し笑うように言うと、彼女は安心したのか表情を緩めた。
「ふふ、人外じゃないことが証明されてしまいましたね」
「……それでも充分規格外だよ。いつもありがとう。……助かってる」
「それが私の役目ですから。……でもアティアス様がご無事で……本当に嬉しいです……。もし何かあれば……私は……」
彼の手を両手で握り、その手を自分の頬に擦り付けるようにして呟く。
その手は少し冷たかった。
彼女は続ける。
「……かなり血を流されたので、しばらくは辛いかもしれません。……寒くないですか?」
「ありがとう。少し……」
「わかりました。……私が温めて差し上げますね」
言いながら彼女は彼の横に入り、身体を寄せてきた。
「……エミーは温かいな。……もう少し寝るよ」
「はい。……私がずっと傍におりますから、安心してゆっくりお休みください」
助かった安堵感に包まれ、生きている証としての彼の鼓動を確かめながら、彼女も目を閉じた。
◆
「……申し訳ありません」
マッキンゼ卿とウィルセアの2人は、アティアスが休んでいる部屋へと面会に来た。
ベッドから身体を起こしたアティアスに頭を下げながら、マッキンゼ卿が謝罪する。
それをウィルセアは心配そうな顔で、黙って見ていた。
「まさか、セリーナがあんなことをするとは……私も予想しておりませんでした」
少し回復したアティアスは、事前にエミリスから大凡の経緯は聞いていた。
自分を刺したのが、案内役のセリーナだったということ。そして彼女のそのあとの行先はわからないと言うことなどだ。
そのエミリスは、今も彼の傍から離れようとせず、心配そうにぴたりと寄り添っていた。
その様子を見たウィルセアは、彼女がどれほど彼を愛しているのか、幼いながらに感じ取った。
「何か……思い当たる理由などはありますか?」
アティアスの質問にマッキンゼ卿は少し詰まり、その後口を開く。
「……セリーナはオスラムに魔法を教わっていたのです。その縁で、彼を良く慕っていました。恐らくですが、それで……」
オスラムが命を落とすきっかけになった2人を恨んでいてもおかしくない。
――しかし。
「なるほど、わかりました。……ですが、ケーキの爆弾は、私たちを狙ったものではないですよね?」
「……ええ、あれはウィルセアを狙ったものでしょう」
マッキンゼ卿は続ける。
「今となっては隠しても仕方ないので、お話しします。……どうも、私に取って代わろうと動いている者がいるようでしてね。……ただ、それが誰なのかがわかっていなかったのです」
「……それがセリーナだと?」
アティアスの言葉に、マッキンゼ卿はかぶりを振る。
「いえ、首謀者は恐らく違うでしょう。とはいえ、セリーナが絡んでいたということから、凡そ予想は付きました。……彼女はその計画に乗じて、アティアス殿を狙ったのでしょう」
「……マッキンゼ卿の親族、ということでしょうか?」
マッキンゼ卿はゆっくり頷く。
「その可能性が高いと見ています。無関係な者が私を陥れても、そのあとどうしようも無いでしょうから」
「……私たちの揉め事に、アティアス様を巻き込んで申し訳ありません」
ウィルセアが神妙な顔つきで謝罪する。
アティアスはしばらく頭の中を整理し、口を開く。
「……話は変わりますが、マッキンゼ卿は先日ダライの街で起こった爆発について、ご存じでしょうか?」
「ええ、報告は受けております。なぜあんなところで爆発があったのかは、わかっておりませんが……」
「そうですか。……実は、あれには私たちが絡んでいます。あの場所で私たちが何者かに襲われたあと、相手が爆弾を使ったのです。幸いにもこのエミリスが守ってくれて、うまく逃げることができたのですが」
マッキンゼ卿は黙って聞いている。
「……翌日、その場所で1つの宝石を拾いました。魔法を溜めておける宝石です。……マッキンゼ卿はご存知ですよね?」
その話を聞いたマッキンゼ卿は、明らかに先ほどまでと顔色を変えて答えた。
「それは魔法石……! ……アティアス殿は確か、先のテンセズでの。……そうか、それでか!」
何かに気付いたように、マッキンゼ卿は1人呟く。
「……ありがとうございます。ようやくわかってきましたよ。今回の繋がりが……」




