第249話 知らない~
「おぉ? いきなりアタリかもしれませんよ、アティアス様っ」
それまで機嫌よく鼻歌交じりで飛んでいたエミリスが突然アティアスの耳元で声を上げたかと思うと、ゆっくりと速度を落としていく。
場所はちょうどテンセズとトロンの中間あたり。
ゼバーシュに向かう街道のなかでも、最も寂れたところになる。
馬や馬車であれば、途中にある小さな村にさえ泊まれば野営をする必要はない。けれども徒歩ではどうしてもどこかで幕営する必要がある、というくらいの距離感だ。
そんな場所であるから、ほとんどの旅行者は馬を使う。
テンセズとトロンの間では、そういった人たち向けに貸し馬のビジネスが盛んだ。
どちらからも均等に旅行者がいればいいのだが、どうしても若干は偏りが生じることもあって、馬の頭数を調整するために歩かせている業者もたまに見かける。
もちろん、エミリスが日中に飛ぶときは目立たぬよう街道から多少離れた場所――かつ、森の木々スレスレで人目に付かない高度を保って――を選んでいるものの、街道の状況が魔力で確認できる程度の距離は保っていた。
アティアスには、彼女の言動からすぐになにか見つけたのだろうということが分かった。
「『アタリ』って、まさか盗賊でもいたのか?」
「ですですっ! ――あ、いえ。盗賊とは限りませんけど、なんだか争ってるっぽい雰囲気です」
なぜか嬉しそうにエミリスが言うのは、余裕があるからなのだろう。
もっとも、それを抜きにしたとしても、戦いのときに嬉しそうな表情を見せることがあることをアティアスは知っていた。
ただ、それを指摘したことはない。これまで問題になったことがないというのも理由のひとつだ。
「そうか。とりあえず隠れて様子を見るか」
「りょーかいですっ」
アティアスの返答を待ってから、エミリスは真下の森の中に落下するように、まっすぐ降下を始めた。
◆
「おらぁっ!」
――ガキン!
静かな森のなか、大きな声と金属音が響き渡る。
その音を立てた片方は、ほとんど手入れされていないとひと目見ればすぐにわかるような錆がちな片刃の剣。
そしてもう片方は、前者とは異なり光を浴びて光沢を持った両刃の大剣。しかしそれは新品に近いからではなく、使う度に手入れを欠かしていないからだということは、じっくりと剣を見ればわかることだろう。
もっとも、今それを見る余裕はこの場にいる者たちにはないのだが。
振り下ろされた片刃の剣を、自身の持つ大剣で受けた男――見かけ上は熟練の傭兵のように見える――が、にやりと口元を緩めた。
「おっと、けんかっ早いな。短気は損するぜ?」
「ああん!? 舐めたクチ聞くんじゃねぇ!」
自分の剣をあっさりと止められたことに苛立ちを隠せない表情だが、強がりながらも一度後ろに飛んで距離を取った。
大剣の男に比べても、見かけ上は若く見える。
まだ20代そこそこだろう。
手に持つ剣と同じく、手入れのされていない髪や服装を見れば、普段からまともな仕事に就いていないだろうことは容易に予想できた。
「ディセンド兄貴!」
その遣り取りを後ろで見ていた8人の仲間だろうか。
いずれも年恰好は同じくらいの男たち。
そのうちのひとりが心配そうな声を上げた。
ディセンド、と呼ばれた男は目の前の傭兵から振り向かずに答えた。
「……お前らは見とけ。俺がこんなオッサンに負ける訳ねーだろ?」
「オッサン、か。……まだ一応、30代なんだけどなぁ」
ひとり呟くように傭兵がぼやきながら、片手で持った大剣を背負うように軽々と持ち直す。
そんな傭兵の後ろにもひとりの仲間。
こちらは珍しく茶色のローブを纏った若い魔導士風の女性が様子を見ていた。
ただ、それほど心配はしていないのか、あまり緊張感は感じられない。
「ほらほら~、ナハト~。はやく身包み剥いでしまおうよ~。いくらくらい持ってるかなぁ。わくわく~」
そんな女性が、大剣を持った傭兵――ナハトにのんびりとした口調で声を掛けた。
「おいおい、なんでお前はいつもそんななんだよっ!」
「『お前』じゃない~。レシャーゼって名前がある~」
「ったよ。レシャーゼ。――俺らが盗賊の真似事してどーするよ」
視線の片隅に相手を入れたまま、ナハトが緊迫感の欠片もないレシャーゼに言い返す。
しかし、彼女は少し首を傾げたあと、ケロッとした顔で答えた。
「え、だって盗賊相手なら違法じゃないんだから~。伯爵さまからの報酬の足しにもなるし~」
「…………」
もう一度言い返す気もなくなったナハトは、改めて目の前の若い盗賊の男――ディセンドに目を向けた。
トロンの冒険者ギルドで盗賊討伐の仕事を受けて、街道沿いを探していたところ、偶然このグループを見つけたのだ。
盗賊の特性として、こちら側が大人数のパーティの場合、襲ってくることは稀だ。
そういう意味もあって、たった二人の自分たちには好都合だった。
もちろん、相手が何十人も居ればリスクが高くなるが、自分も腕にはそれなりの自信を持っていたし、なにより現在のパートナーであるレシャーゼがいれば心配はほぼないと言っていい。
――難点は少し性格に難があることくらいか。
そんなふたりのやり取りを見ていたディセンドはしびれを切らしたのか、ナハトに向かって言った。
「なに無視してんだ。俺らには切り札があるんだよ。もしお前らが『あの魔女』だったとしてもな」
よほど自信があるのだろう。
ディセンドは片腕を懐に入れながら口角を上げる。
「『あの魔女』? 誰のこと~?」
しかしその言い回しが気になったのか、レシャーゼが首を左右にゆっくり振りながら、不思議そうに尋ねた。
「お前知らねーのか。このへんじゃ有名だぞ。悪魔みたいな女だって噂だ。ウメーユに住んでて、赤い目をしてるってな」
「ふーん……。知らない~」
自分で聞いておきながらも、さほど興味もなさそうな声でレシャーゼは息を吐いた。
◆
「ぷんぷんっ! 今の聞きましたアティアス様っ!? 今のって絶対私のことですよねっ!」
そんな様子を近くの森に隠れて見ていたエミリスは、眉間にシワを寄せて口をへの字に曲げていた。




