第238話 厄介な依頼
宿の者に「あちらです」と説明され、アティアスたちは受付の前のロビーのソファで待っていた男を見た。
座っている身なりの良い黒髪の男がひとり。
若さはアティアスよりも多少若い、という程度だろうか。
そして、領主家の者というにもかかわらず、その周りには誰の護衛もいなかった。
アティアスが近づくと、男が立ち上がって小さく頭を下げた。
先にアティアスが名乗る。
「私がアティアス・ヴァル・ゼルムです。バリバス殿」
「はじめまして、アティアス殿。お噂はお聞きしておりますよ」
「噂……?」
どんな噂がこんなところまで届いているのか。
アティアスが怪訝そうな顔をすると、バリバスは軽く首を振った。
「いえいえ、少し聞き齧っている程度です。そちらのお嬢様方は?」
バリバスがアティアスの後ろに視線を向けたのにあわせて、エミリスとウィルセアは順に名乗った。
「私はアティアス様の妻、エミリスです」
「初めまして。ウィルセア・マッキンゼと申します」
「よろしく」
ふたりにも軽く会釈したバリバスは、改めて言った。
「こんな場所では申し訳ない。別室を取って貰いましたので、移動しましょう」
バリバスはそう言って片手を上げると、もう一度宿の者を呼んだ。
◆
「……それで、早速ですが、まずはお声がけした理由が知りたいと思いまして」
会議室だろうか。
宿に準備された小ぶりな部屋へと入り、お互い向かい合って座ると、バリバスはすぐにそう話し始めた。
「助かります。私共はただ旅行に来ただけですから」
「それは承知しております。いくらなんでも、公式の訪問ならば事前の連絡がないなどということは考えられませんから」
「そうですね」
それは当然のことではあるけれど、そもそもここはメラドニアとは違う別の国なのだ。
アティアスは貴族としては下級であり、全く影響力がない訳ではないが、特別待遇されるほどものでもない。
ましてや、国外まで公式に出向くようなことがある立場でもない。
バリバスは少し間を取ってから話し始めた。
「実は、高名なアティアス殿にひとつ頼み事がございまして」
「はぁ……。それはいったい……」
アティアスが自分で高名などと思ったことはないから、何を企んでいるのかと警戒する。
ただ、話も聞かずして断るわけにもいかない。
「はい。我々はあの遺跡にてこの地を治めているわけですが、ひとつ困っていることがありましてね。アティアス殿なら、それが解決できるのではないかと思いまして」
「……その意図は?」
アティアスはじっとバリバスの顔を見た。
この男は何かを知っている。
そういう確信めいた表情に思えた。
(俺自身になにか特別なものがあるわけじゃない。……となると、本当に用があるのはエミーか……?)
隣に座る彼女に視線は向けたりしないものの、気配はいつものままだ。
バリバスも彼女を見てはいない。
エミリスがゼバーシュ近郊で有名なのは周知の事実だ。
もっとも、庶民のなかで彼女の魔導士としての力が知られているというわけではない。
どちらかというと、その大食いぶりのほうが有名なくらいだ。
とはいえ、もちろん兵士などは彼女のことをよく知っているだろうし、ゾマリーノから海を越えてこの地にまでその話が聞こえてきていないとは限らない。
「……遺跡の奥、地下深くに、我々の祖先である一族が住んでいます。これまでは特に動きはなかったのですが、最近急に我々に圧力をかけてくるようになったのです」
「『圧力』とは?」
言葉を濁しているのはわざとなのか、それとも口に出せないことなのか。
アティアスが聞き返した。
「単刀直入に言えば、『戦争』を仕掛けろ、ということです。……メラドニアへと」
「なんだと……!?」
アティアスにとっても、それは全くの予想外だった。
ここグリマルトはメラドニアに比べても大きく国力が劣るわけではないが、アティアスがこれまで見聞きしてきた様子からは、戦力はメラドニアのほうが上だと思っていた。
それに、そこまで活発ではないにしろ、交易は行われているし、海を隔てているという立地柄、戦争をすることに対するメリットはそれほど大きくない。
むしろ、遠征するための船のことを考えると、大軍を率いて易々と攻め込めるものではない。
「勝算があるならそれも考えられますが、我々が事前に調べた限りでは、それも薄いでしょう」
「だろうな……」
口ぶりからすると、事前にかなりメラドニアの戦力について調べているのだろう。
極端な話、どれほどの大軍をもって船で侵攻してきたとしても、たったひとりでその船を全て沈めてしまうことすらできるだろう。
口には出さないが、そんな確信があった。
「……しかし、我々では始祖の一族には歯が立ちません。なんとか間を取り持っていただけないかと」
「取り持つと言われましても……」
話からすると厄介な依頼には違いない。
アティアスはここで初めて隣のエミリスの顔を見た。
バリバスもそれに釣られたのか、同じように彼女のほうに視線を向け、口を開いた。
「ひとつだけ。その一族は皆、あなたのように緑色の髪を持っているのですよ。……ご理解いただけましたでしょうか?」
「なるほどな……」
ようやく話が繋がったけれども、これまで想像していた以上に厄介な話であることも同時に理解した。




