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第232話 可愛い猛獣

「ってワケですけど、このあといかがいたしましょうか、アティアス様ー」


 軽やかな足取りで戻ってきたエミリスは、開口一番に尋ねた。

 とはいえ、男との会話が聞こえていなかった彼には、その真意はいまいちわからない。


「いきなりそれかよ。……まぁ、さすがと言うしかないが」


 呆れつつも、あっさり蹴散らした彼女の力量には頭を下げるしかない。


「っふふーん。ですよねっ! 褒めてくださいっ、たっぷりと。ほらほらっ」


 エミリスが早く撫でろとばかりに俯き加減で頭を差し出すと、アティアスはその髪をわしゃっと撫でた。

 しかし、それほどのんびりしているほどの時間はない。

 相手がどう出るのか分からないからだ。


「で、どうするか、だけど」


「はい、仰せのままに」


「悩むな。逃すとまた被害者も出るだろうしな。かと言って捕まえるわけにもいかないし、皆殺しってのはもってのほかだ」


 アティアスも頭を傾げて悩む。


「アティアス様が殺せと仰るなら、私が消しますけど……?」


「こらこら、やめろ。それに今いるのは男ばっかりだろ? ってことは、基地には女子供が残ってるってことだからな」


「あー、なるほど。じゃ、追いかければ一網打尽にできますねっ!」


 理解したように手をポンと叩いたエミリスは、軽い調子で怖いことを口にする。

 仲間には優しいけれども、敵認定した相手に対してはとことん冷酷なのも相変わらずだ。


 呆れたアティアスは苦笑いしか出てこない。


「おいおい。……ま、確かに基地には攫われた被害者とかもいるかも知れないから、追うのは悪い手ではないけどな」


 そう考えたけれども、それがどのくらいの距離かもわからないし、すでにテントを張っているのを片付けてねばならない。

 それに――。


 そう思った途端、エミリスのお腹から盛大に「ぐぅ〜」と空腹の音が聞こえてきた。


「にゃはは……。お腹空きました……」


 エミリスが照れ笑いしながらお腹を押さえた。

 それに夕食をまだ食べていなかったことを思い出したのだ。


「ぷっ、あはは!」


 アティアスも気が抜けて、つい笑ってしまう。

 食いしんぼうの彼女をずっと待たせるわけにもいかないことは明白だ。


「……やめだ。俺たちがヤツらをどうこうするのは無しだ。さっさと追い払って、早く食事にしよう」


 アティアスの判断に、エミリスも頷く。


「はい、承知しました。……ま、勝手に逃げていくとは思いますけど」


 そう言って振り返る。

 野盗たちの気配はそのままだ。


 暗くてよくわからないが、エミリスの目にははっきりと男たちの様子がわかった。

 何やらコソコソと言い合いをしているような感じには見えたが、流石に声までは聞こえない。

 動かないならどうやって追い払うか考えていたが、やがて話が終わったのか、エミリスと決闘した男がこちらを見た。


 そして、その男は改めて前に足を踏み出した。


「およよ? また来るみたいです。懲りませんねぇ……」


 男ひとりが足止めをしようとでもいうのだろうか。

 そんなことに意味がないことは、先ほど充分にわからせたはずなのに。


「んー。どうしようかな……」


 とりあえずアティアスに聞くことにした。


「アティアス様、さっきの男がこちらに来ます。武器は持っていないようですが、どういたしましょう?」


「ふむ。……ひとりなら心配ないか。少し待とう」


「はい。ま、全員まとめて来ても心配はありませんけれど」


「そりゃ、そうか」


 余裕を見せる彼女に任せ、アティアスは黙って耳を凝らす。

 しんと静まり返った音のない砂漠に、男の足音だけがかすかに聞こえてきた。


 しっかりとした足取りで、まっすぐこちらに向かっているのがわかる。

 やがて、足音が止まり、代わりに声が聞こえてきた。


「……頼む。仲間を見逃してくれるなら、代わりに俺の首を差し出そう」


 ゆっくりと告げた男を見て、エミリスは眉を顰める。

 しかし判断するのは自分ではないと、アティアスの顔を見上げた。


「俺たちはこれ以上、何もするつもりはない。仲間と共に引き上げるがいい。……ただ、今後人身売買はしないでくれ。これの機嫌が悪くなって困る」


 そう言ってエミリスの頭をぐりぐりと多少強引に撫でた。


「にゃー……」


 エミリスは複雑そうな顔をしながらも、その手に身を任せる。


「……わかった。できる限りのことはしよう。すまない」


「わかったなら、行け。お腹を空かせてる猛獣に早く飯を与えないといけない」


 それを頭を揺らしながら聞いていたエミリスは不満を口にする。


「……ぶー、ポチならともかく、こんな可愛い猛獣がどこにいますか。酷いですよぉ」


「はは、すまんな」


「ま、良いですけどね。番犬ですし」


 そのやり取りを聞いていた男は、何か思い出したように口を開く。


「すまない。……あと、ひとつ思い出したんだが、親父が昔、その女みたいな赤い目の赤子を見たことがあるって話していてな。気になったから伝えておく」


「赤い目? それはどのくらい前のことだ?」


「さあ……。ただ、俺が生まれるずっと前だし、親父の歳からすると、40年以上は前じゃないか」


「そうか。……それは攫った赤子、という話か?」


「あ、ああ。そうだ……」


 過去の話を掘り返しても仕方ないと思いながらも、アティアスは目を細める。

 確認する方法などないが、その話が本当ならば、もしかすると売られたのはエミリスなのかもしれないとも思えたからだ。


 そんな胸中を知ってか知らずか、男は続けた。


「……今はどうか知らんが、ナックリンの遺跡にはそんな一族が住んでいたって話を聞いたことがある。もし行くなら、話を聞いてみると良いかもしれん」

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