第226話 見えない敵
「ふー、美味しかったですー」
食事を終え、レストランを出たエミリスはお腹を押さえて満足そうな笑顔を見せる。
と言っても、テーブルに載っていたあれほどの料理が、その細いお腹のどこに収まっているのかは、今でも謎に包まれている。
また、ワインも飲んでいたが、今日は食事を優先したからかそこまで酔っている感じはしなかった。
「結局、更に追加するとかあり得んだろ」
アティアスが呟く。
エミリスはひと通り味を確認したあと、その中でも気に入った料理を追加注文していた。
しかも、〆のために準備されているだろう料理を食べたあとで、だ。
「同じものは二度と食べられないかもしれませんから、しっかりと覚えておかないといけないのですよ」
そう言って鼻息を荒くする。
そんな彼女を横目に、重そうにお腹を押さえたウィルセアが呟く。
「エミリスさん、凄すぎます……。私、もう食べられませんわ……」
エミリスに比べると食べたうちに入らないのだろうが、それでも多少下腹部が膨らんでいる様子が見てとれた。
(それが普通だよな……)
ウィルセアの本音としてはそんな姿を見られたくはないのだろうが、アティアスは特に気には留めなかった。
「きっとウィルセアさんも練習すればたくさん食べられるようになりますよー」
「いやいや、ならんでいいから」
エミリスの言葉に、アティアスがすかさずツッコミを入れる。
ウィルセアはそんな自分の姿を想像してみるが、多く食べられるようになる前に、身体の横幅が2倍になっているように思えた。
いくらなんでも、それは彼に幻滅されるに違いないと確信して、頭を振ってイメージを振り払う。
「エミリスさん、私を太らせてもメリットないですわ」
しかし、エミリスはそんなつもりもなかったのか、キョトンとした顔で首を傾げた。
「まぁ、太ったらまた痩せれば良いだけかと……。――っと、また付いてきてる人が……」
話の途中で、急に目を細めたエミリスはチラッと後ろを気にするような仕草を見せた。
アティアスも振り返るのを我慢しつつ、小声で聞く。
「……何人くらいだ?」
「3人ですかね。行きと同じ人たちかまでは分かりませんけど……」
「また逃げるか? とは言っても、宿もバレてるだろうしな……」
思案するが、こうも尾行されているのでは、気が休まらない。
宿に居る時に何かあるほうが対処しにくいこともあって、アティアスはエミリスに提案する。
「仕方ない。ここでケリをつけるか?」
「別に構いませんけど……。ウィルセアさんは下がっていてくださいね」
「は、はい」
緊張するウィルセアが、行き過ぎる形でアティアスの前に行くと、全員で同時に後ろを振り返った。
「……あれ?」
しかし、そこには誰もいない。
エミリスは自分の感覚が外れたことに首を傾げた。
「誰もいないな」
「いや、確かに気配はあるんですよ。正面に……」
アティアスも周りを見渡すが、誰もいない。
街灯はしっかりと道を照らしていて、隠れるようなところはどこにもない。
しかし、エミリスは確かに正面に気配はあると言う。
「……酔ってるんじゃないか?」
「なワケないですー。間違いないですもん」
そう言いながらも、エミリスは気配のする方を凝視する。
目の良さには自信があったし、魔力での探知もこれまで間違いはなかった。
しかし、目の前にいる不可視の存在には、ゾクッとするものがあった。
しかも先ほどまでと変わらず、ゆっくりと近づいてきているのだから。
「アティアス様、離れないでください……」
得体の知れない恐怖に、顔から冷や汗が吹き出す。
もう目の前まで、気配が近づいてきたと思った瞬間、エミリスは全員を包み込む壁を張った。
魔力で気配を感じ取れるなら、魔力の壁で防げるだろうと思ったのだ。
――ゴンッ!
ふいに、何もないところから音が聞こえた。
アティアスには、エミリスの張った壁に何かがぶつかるような、そんな感じがした。
そのとき――。
「このっ!」
突然、エミリスが正面を睨む。
それと同時に、彼女は魔力弾を撃ち込んだ。
――ガッ!
「があっ!」
衝撃とともに、男の悲鳴が響く。
明らかに何もない場所から。
しかし、エミリスはそれで存在を確信したのか、片手を斜め前に突き出した。
「……水よ!」
彼女の詠唱と同時に大量の水が現れる。
そして――。
「弾けろ!」
パァン、という音とともに、その水が弾けて周囲に豪雨のように降り注ぐ。
アティアス達には、エミリスの張っていた壁のおかげで水は届かなかった。
「なんだっ!」
声だけが聞こえるなか、その方向を凝視すると、なぜか水が空中で弾かれて向きを変えている場所が散見された。
「見えないけど、誰かいますね」
なぜ見えないのかはわからないが、雨を受けるということは、確かに存在しているということだ。
「俺たちに何か用か?」
その方向に向かってアティアスが声をかける。
しかし返事は返って来ず、バシャバシャと濡れた地面を踏み締めて走り去る音だけが返ってきた。
「……行ったか」
「みたいですね。何だったんでしょう……?」
「さあな。ただ、なんか面倒なことになりそうで嫌だな」
「ですねぇ。やっぱりアティアス様はそーゆーの引きつけるんですね……」
エミリスはジト目でアティアスを見る。
そんなエミリスの額を、アティアスは無言でつついた。
「――ふにゃっ! 何するんですかぁ! ひどいですー」
「冗談だよ。エミーがいて助かったよ」
アティアスの言葉に、一瞬目を丸くしたエミリスは、すぐに目尻を下げて彼の腕に抱きつく。
「むふー、わかれば良いのです。わかれば……」




