第222話 にわか雨
「どうした?」
アティアスはウィルセアに聞きながらも、すぐに自分も船室の窓に近づく。
すぐにエミリスもそれを追って、並んで外の様子を窺う。
「火事ですか……?」
「みたいだな」
エミリスが呟くと、アティアスも同意する。
港町フェルトンの街の広さなどはわからないが、港から少し離れたところで黒い煙が立ち昇っていた。
今日は風がないようで、その煙は街の上に留まっている。
近くを見れば、消火のために海水を利用しようとしているのか、大勢の街の人がバケツを持って水を運んでいるようだ。
どうやら下船時間が遅くなっているのは、港の係員も消火に駆り出されているからなのだろう。
「困りましたわね。大丈夫なのでしょうか?」
ウィルセアも心配そうな顔をする。
彼女は生まれながらにして子爵令嬢として厳しく育てられたこともあり、市民に対する責任感は非常に強い。
それは伯爵家の生まれであるアティアスも同じだ。
「心配だな。なにか手伝えないかな?」
横にいるエミリスをちらっと見たが、彼女は難しい顔をしていた。
彼女の魔法なら簡単に消化することもできるだろうとアティアスは考えていたが、どうやらエミリスは乗り気でないようだ。
周りに対しての責任感が強いふたりと比べて、エミリスだけはあまりそういった感覚を持っていない。
もちろん、ウメーユの町では市民と交流も持っていたし、人気も高くおざなりにするようなことはない。
ただ、彼女の思考の本質としてはアティアスが最優先で、それ以外のことは彼のためになるかどうか、という考えだからだ。
「もちろんできなくはないですけど。ただ、ここはエルドニアではありませんし、あまり目立ちたくは……」
「確かにそうだな」
エミリスの言うことも理解できる。
他国の人間。しかも小さいとはいえ、いち領主でもある自分たちがここで首を突っ込むと、問題にはならないにしても後が面倒になることは予想できた。
「でも不思議ですわね」
「なにがだ?」
首を傾げるウィルセアに、アティアスが聞き返す。
「いえ、多少の火事くらいなら、私の魔法でも消すくらいのことはできますわ。これだけの街に、魔導士が全くいないとは思えませんし……」
「ふむ。……ただ、少し聞いたことがある。グリマルトはエルドニアに比べて、魔導士が少ないって話を」
「そうなんですか? 私は初耳ですわ」
アティアスの話にウィルセアは首を傾げる。
確かに、それならば辻褄は合う。
魔力を持っているかどうかは血筋だ。
それはエミリスのように、魔人との混血が始まりであるからであり、故に地域によって偏りもあるのだろう。
それを裏付けるように、エミリスが口を開く。
「ええ。少なくとも、この近くに力のある魔導士はいませんね。私の次に大きな魔力があるのは、この船に乗っている人……まだ子供みたいな感じがしますけど。更にその次になるとウィルセアさんですから」
彼女の話に、アティアスはすぐにピンときた。
船の中を歩いているときに見かけた、あの子供のことだろう。
エミリスのように魔力を感じるようなことはできないから、どれほどの力があるのかはわからなかったが。
「ああ、以前ゾマリーノで見かけた緑がかった髪の男の子が、確かこの船に乗っていたな。その子だろう」
「緑の? ……あー、あの子ですか。覚えてますよ。名前は忘れましたけど」
「やっぱりかなりの魔力があるんだな。とはいえ、魔力があっても魔法が使えるとは限らないがな」
エミリスにしても、もとより絶大な魔力があったにも関わらず、教えるまでは全く魔法を使うことはできなかった。
自由に魔法を操ることはそれほど難しいのだ。
「ですね。いずれにしても、これほど魔導士がいないところで魔法を使うのは避けたほうが良いと思います」
「しかしな……」
しかし、アティアスとしては、自分たちに対処できる力があるのに傍観しているのは、やはり気が引ける思いが強かった。
そう思ってエミリスを見るものの、彼女は小さく首を振った。
「アティアス様、エミリスさんの言うとおりです。心配ではありますが、ここで手を出すのはいけません。この街の人達を信じて、静観しましょう」
同じく、ウィルセアもアティアスを諭す。
彼女も心配しているのだろう。
だが、彼女はやるべきこと、やるべきではないことをしっかりと判断する力も持っている。
だから、アティアスの執務の補助を担っているのはウィルセアなのだ。
「そうか。わかった」
アティアスは小さく頷き、窓から離れようとした。
そのとき――。
パラパラ……。
突然、外が薄暗くなり、雨音が甲板を叩く音が聞こえてきた。
「雨……?」
偶然にしてはタイミングが良すぎると思い、アティアスはじっと外を凝視したままのエミリスを見た。
「……おおー、ぐーぜんにも雨が降ってきましたね!」
そしてなぜか棒読みでわざとらしく驚いたような顔を見せた。
今や、外は豪雨となり、慌てて軒下に駆け込む人たちもいるようだった。
もちろん、彼女が何をしたのかすぐに理解したアティアスは、ぽんぽんと頭を撫でて呟く。
「……すまないな」
「たまたまですよ、たまたま。まだ暑いですから、にわか雨が降ることだってありますよ、きっと」
「はは、そういうことにしておこうか」
はぐらかすように答えたエミリスを後ろから抱きしめると、彼女は嬉しそうにしながら彼の腕に手を添えた。




