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第220話 夕暮れ

「……ふぅ」


 アティアスが船室に戻ると、エミリスとウィルセアのふたりはベッドで抱き合ったまま、ぐっすりと寝息を立てていた。

 心配していたほど酷い状況ではなさそうで、顔色もだいぶ元に戻りつつある。


 ふたりを眺めていると、仲の良さがよく伝わってくる。

 ウメーユで過ごしているときは、日中の執務ではアティアスとウィルセアがふたりでいることが多い。

 エミリスはその間、砦の周りを散歩していたり、ポチと遊んでいたりと、のんびりしている。


 家に帰ると、家事はエミリスがメインとなる。

 ウィルセアは疲れていてもそれを手伝っているから、もともと令嬢というのになかなかの働き者だ。


 エミリスもわかっていて、それゆえに彼女を認めているのだろう。

 夜になると、当然だがアティアスはエミリスといることが多いけれど、女子ふたりでお風呂に入っていることもあったりと、今や姉妹のような関係でもある。


「……ま、エミーも言ってたけど、義理の姉妹みたいなものだよな」


 もう5年も一緒に暮らしているのだ。

 エミリスのこれまでの人生の長さから言えば長くはないが、ウィルセアにとってはかなりの割合を占めているはずだろう。

 子供から大人に成長していく期間の大半を、親許から離れて過ごしているのだから。


 ひとりそんなことを考えながら、アティアスはエミリスが残したワインをグラスに注ぐと、香りを楽しみながら飲み干した。


 ◆


 ――夕方。


 夕食までに起きるだろうかと待っていたが、ふたりともなかなか目を覚まさなかった。

 しばらくはアティアスも船室にいたが、夕日を見ようと、部屋を出たところのデッキで海を眺めていた。


 最初はかなり高い位置からの日差しだったが、だんだんと水平線に近くなり、それとともに西の空が赤く染まっていく。


「……綺麗ですわね」


 ふいに後ろから声がかけられる。

 気付かなかったが、そこにはいつの間にか船室から出てきていたウィルセアが立っていた。

 扉が開く音は聞こえなかったが、波の音に紛れたのだろう。


「そうだな」


 ウィルセアはアティアスの隣に立つと、デッキの手すりに肘を乗せて同じように海へと視線を向ける。


「……こうして旅に出ていると、まるで新婚旅行みたいですわね」


「はは、確かにな」


「そう言えば、聞いたことありませんけど、エミリスさんとは新婚旅行に行かれたんですか?」


 ふいにウィルセアは顔を向けてアティアスに尋ねた。

 色々な旅の話はこれまでもすることがあったが、そういった特定の話をした記憶はなかった。


「うーん……。これといって具体的なのはないけど、結婚式を挙げてから初めて旅に出たのがウメーユに行ったときだな」


「あ、そうなのですね」


「ああ。そのときの収穫祭でヴィゴール殿にも会ったし、それから順にミニーブルに行ったんだ」


「と、いうことは、私の誕生パーティに来てくださった時が、実は新婚旅行だったと……」


 多少驚きつつも、ウィルセアは口元を緩める。


「そうなるな。まぁ、色々あった旅だったよ」


「ふふっ、そうですわね。……新婚なのに私みたいな箱入り娘に目をつけられてしまったことも含めて」


 自虐しつつも、ウィルセアはアティアスにそっと体を寄せて、その横顔を見上げた。


「……それもエミーのおかげだよ。怖い時もあるけど、なんだかんだで優しいからな。俺とは違って苦労もしてるし」


「わかります。――エミリスさん、そうらしいですよ?」


 ウィルセアが柔らかい笑みを浮かべて後ろを振り返ると、ちょうど船室から出てきたエミリスがきょとんとした顔をしていた。


「……ええと、なんの話ですかねぇ? 夕日が綺麗、ってことで良いです?」


「ふふ、そうですね。ぴったり間に合いましたよ」


 改めて夕日に視線を向けると、ちょうど海に沈みかけた真っ赤な日が、波に一条の光芒を刻んでいた。

 あと少し経てば、海は真っ暗な闇に落ちる。

 その狭間のわずかな時間だけの、この煌めきを視界に焼き付ける。


「エミー、気分は大丈夫か?」


「はい。よく寝ましたし……この景色を見たら気分も晴れますね」


 ウィルセアとでアティアスを挟み込むように反対側に立ったエミリスは、清々しい顔で彼の顔を見上げる。


「そうか。船酔いもなさそうで安心したよ」


「ですねー。寝ている間に体が慣れたみたいです。……お腹空いてきました」


 エミリスはお腹を押さえて笑った。 

 食いしん坊の彼女にとってはいつものことだが、それはすなわち体調が良いことを表していた。


「そうか。……日が沈んだら夕食だな」


「はいっ。ワイン飲みたいですー」


「……それはやめとけ。また事故起こすぞ?」


 アティアスが苦い顔で諭す。


「えー、だいじょーぶですよぅ」


「ダメだ。それで大丈夫だった試しがないからな」


「ぶぅ……」


 エミリスは彼の脇腹を指でつつきながら、不満そうに口を尖らせた。


 ◆


「むはー、これなんの肉ですかね? 食べたことないですねぇ……」


 日が沈んだあと、3人で船のレストランに行き適当なコース料理を注文していた。

 前菜とスープのあとに出てきた肉料理――何やら黒いソースが掛けられていて、濃厚なもの――を口に運んだエミリスは、食べたことのない味に興味津々だった。


「ああ、これは人肉だな。どうもグリマルトではそういう風習もあるらしいぞ?」


 ――ぶーっ!! ゲホッ! ゲホッ!


 アティアスがさらっと応えると、エミリスは口の中の物を勢いよく吹き出す。

 まさかそこまでになるとは思っていなかったアティアスは、慌てて弁明した。


「わ、悪い! 冗談だよ!」


 急いでウェイターが駆け寄り、服などに汚れがないか確認をしてくれるのを待って、エミリスはじとーっとした目でアティアスを見た。


「うー、冗談にもほどがありますよ! 罰としてお代わりを所望しますっ!」


「わかったわかった。――すまんが、同じ皿を追加で2皿頼む」


「は、かしこまりました」


 アティアスが片付けをしていたウェイターに追加注文をすると、エミリスはようやく落ち着いた。

 それを待って、ウィルセアが改めてアティアスに聞く。


「……で、結局なんの肉なんでしょうか? 私も気になりますわ」


「これはクジラだな。それをワインで煮込んだものだと思う」


「なるほど。あの海獣と呼ばれる……。初めてです、食べるのは……」


「まず滅多に出回らないからな。肉としてみれば、それほど美味しいものじゃないし」


「クジラってなんですか?」


 初めて聞く名前に、エミリスが首を傾げた。


「海にいるでっかい魚みたいなものだ。どうも魚とはちょっと違うみたいだけど、俺は詳しく知らないんだ」


「ほえー。まぁ、よくわかりませんけど、美味しければ良しとしましょう」


「そうだな。……おっと、お代わりが来たみたいだ」


「待ってました! いただきまーす」


 美味しそうに頬張るエミリスを横目に、アティアスは3人分のグラスワインを注文した。

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