第218話 乗船
「出港は明後日か。準備も考えたらちょうどいいな」
港の事務所に行き、次の定期船の出港日を聞いた。
南方に向かう航路はいくつかあるが、候補に入れていた南の国『グリマルト』に向かう船は明後日の出港予定だった。
船旅の日数は天候によるが1週間程度。
2艘の船が交互に運行されているようで、概ね10日ごとくらいに出港しているらしい。
都合よく、本日1艘の船が到着したらしく、明日荷物を載せて準備を整えたあと、異常がなければ明後日折り返すとのことだ。
「ですね。ゾマリーノは何度も来てますけれど、良いところですからね」
エミリスが満足そうに頷く。
この街には美味しい海鮮料理の店もあるし、様々な交易品の店もあって飽きない。
「準備にかかる時間はそれほどでもありませんし、明日一日どうします?」
ウィルセアがふたりに聞く。
持って行く荷物は今エミリスが背負っているものくらいで、これ以上の準備は多くない。
「そうだな。グリマルトは通貨が違うから、ここで半分くらい両替しておこうか。服とかは向こうで調達すればいいだろう」
「わかりましたわ。宿はいつものところで?」
「ああ。それでいいだろ」
ここゾマリーノに来るときは、いつも行きつけの海鮮料理の店の2階を宿として貸してもらっていた。
普段営業している宿ではないが、観光客が多くて宿が取りにくいこの街で、確実に泊まれるところとして重宝していた。
もちろん、対価はそれなりに支払っていた。
「それじゃ、まずは荷物を置きましょう」
エミリスはそう言いながら、身体の大きさに見合わぬ荷物を軽々と背負ったまま、馴染みの宿に向けて真っ先に歩き始めた。
◆◆◆
ゾマリーノに到着した翌日、しっかりと準備を整えたあと、まだ海で泳げる季節だったこともあり、午後に少し海水浴を楽しんだ。
そして更にその翌日。
グリマルトへの定期船の出港時間まであと2時間ほど。
3人は早めに港に行き、乗船の手続きを済ませて、係留された大型船の船内に乗り込んでいた。
「王都に行ったときの船よりも更に大きいですね」
「ああ。王都へはぐるっと海を周っていくから、それほど陸からは離れないんだ。ただ、グリマルトに行くには、日数は短いけど大海を超えないといけないからな。もしそこで嵐があったら小さい船だとひとたまりもない」
「なるほど……」
3人は一等客室を予約していたこともあり、それなりにゆったりと個室で過ごすことができる。
この船には更に豪華な部屋もあるが、これで充分だろうと判断した。
部屋にはダブルベッドが2つ。
定員は4人だが、大人の男4人だと狭いだろうことは想像がついた。
ウィルセアはゆったりとしたベッドに腰を下ろして、ブーツの紐を緩める。
「ふー、向こうに着くまではしばらく暇ですわね」
「ま、船旅はそんなものだな。特にやることもないし、部屋でゆっくりするか、デッキで海を眺めるか、くらいか」
「今度は酔わないといいんですけどねぇ……」
エミリスもウィルセアの隣に、ばふっと座りながらぼやく。
以前の苦い経験から5年近く経っているけれど、未だに頭にこびりついていた。
しかも、それ以来一度も船には乗っていないのだから。
「もし酔ってもすぐ慣れるだろ」
「だといいんですけど。ところで、グリマルトってどんな国なんです?」
「俺も行ったことがないからわからん。とりあえず聞いてるのは、かなり暑いってことと、乾燥してるから街以外に砂漠が多いってことか。メラドニアに比べても、人口はだいぶ少ないが、逆に山賊とかの集団が多いらしい」
エミリスに聞かれて、アティアスは知っていることを話す。
街から街に移動する間には一応街道は整備されているらしいが、メラドニアほどしっかりしていないのと、砂漠からの砂で荒れている箇所も多いらしい。
そのため、馬車で移動するとしても、それほど速く移動できないようだ。
「私もお父様から少し聞いたことがあります。昼間はものすごく暑いんですけれど、逆に夜は夏でもかなり冷え込むようですね」
「むぅ。暑いのは辛いですねぇ……」
暑さが苦手なエミリスは、その話を聞いてげんなりとした顔を見せる。
「でも、その天候のおかげで、ワイン向けのぶどうの出来が良いらしいぞ?」
「え、それは期待ですっ!」
アティアスの言葉に、エミリスは一転して目を輝かせた。
そして、アティアスは自分が背負っていた荷物を下ろして、その中をごぞごぞと漁る。
「これだ」と彼が呟きながら取り出したのは、1本のワインの瓶だった。
「それは……?」
「ゾマリーノで売ってた、グリマルト産のワインだ。気は早いけど、試しにと思ってな。……飲むか?」
アティアスに差し出されたワインを受け取ったエミリスは、ゴクリと喉を鳴らす。
旅に出てからは、二日酔いを避けるためにあまりお酒を飲むことは控えていたが、この船旅の途中ならば気兼ねする必要もない。
「い、いただきます……!」
「はは、そう言うと思ってな。――そうだ、ウィルセアも少しくらいどうだ?」
アティアスに尋ねられるが、ウィルセアは首を振る。
「いえ、お酒は20歳と決まっておりますし……」
「メラドニアではそうだけど、グリマルトだと16歳から飲んでもいいらしいぞ? ウィルセアももう17歳だし、大丈夫だろ。……もう海の上だ。誰も咎めたりしないさ」
「ですです。せっかくですから、一緒に乾杯しましょうー」
立ち上がって客室に備えられているグラスを手にしたエミリスは、無理矢理にもウィルセアにそれを持たせた。
そしてアティアスに目配せする。
「……そ、それでは少しだけ。お父様もそれほど強くないので、きっと私もそんなには飲めないと思いますから」
ウィルセアは多少緊張しつつも、小さく頷いた。
この旅自体がウィルセアにとって初めてのことだけれども、その中身も初めてのことだらけだ。
そう考えると、ひとつくらい初めてのことが増えても良いだろうとの思いもあった。
アティアスがコルクを抜くのを待って、ウィルセアはそっとグラスを差し出した。




