死にかかった男
「……お前、何をした?」
問い詰めるような俺の強い言葉に女の子は少しだけ顔を強張らせて、意味が分からないといった感じで小首を傾げている。それに合わせて肩まで届く柔らかそうな髪の毛が揺れる。
そのまま立ち上がろうとした俺を女の子が押しとどめた。
「あ、まだ立てないんだよ。血もいっぱい出ちゃったから」
確かに女の子が言うように下半身にはまだ力が入らず、どうにも立てそうになかった。
「おい、どういうことだ。お前、俺に何をした? 何で傷が治っているんだ? お前ひとりなのか? 親は?」
女の子は首を傾げるばかりで何も答えない。
何だ、こいつ? 馬鹿なのか?
俺はそう思い、溜息を軽く吐いた。
「お前、名前は?」
「あいな……だよ」
「で、お前は何でこんな時間にここにいるんだ?」
「うんと、あいなはいつもこの辺にいるんだよ」
この近くに住んでいるということなのだろうか。
「親は? 母親とか父親が近くにいないのか?」
「うんと、分かんない」
……やはり少し馬鹿なのだろうと俺は結論づけた。
「……何だか分からねえけど、お前が助けてくれたのか?」
「うん! あいな、お医者さんするの上手なんだよ!」
あいなは嬉しそうに笑っている。やはり、彼女にとってはお医者さんごっこの延長だったらしい。
どういうことだ。
俺はもう一度、その言葉を胸の内で呟いた。誰かに刺されたことは間違いない。あれだけの血が流れていたのだし、視界が暗くなりかかっていたのはあの時、意識を失いかけた、死にかかっていたとしか思えなかった。
しかし、信じられないことだが、刺されて死にかかった俺をあいなが助けてくれたのは、この状況から考えると間違いないように思えた。
「まあ、何だか分からねえけど、助かったみたいだ……な。ありがとうな」
「うん!」
お礼の言葉にあいなは嬉しそうに頷いて、その場でぴょんぴょんと飛び始めた。
俺はといえば、動かせるのは上半身だけで、まだ立ち上がれそうにはなかった。刺されて死にかかっていたのだから、それも当然ということなのだろうか。
気持ちが落ち着いてきたようだった。俺は改めてあいなに視線を向けた。気がつけば真冬だというのに、あいなは薄いシャツと膝下までのズボンを履いていた。
「お前、その格好で寒くないのか?」
俺は素朴な疑問を口にした。
「うん、寒くないよ」
俺はもう一度、あいなの手足に視線を向けた。寒空の中で剥き出しになっているあいなの両腕と両足には、かつて俺が見慣れていたものがいくつもあった。
「お前、その痣とか傷、どうしたんだ?」
「えー? えっと、転んだんだよ」
あいなは急にか細い声を出す。そして痣や傷を隠すつもりなのか、背中の後ろで手を組んだり両足を交差させたりしている。
そんなあいなの様子を見ながら、いつだってそうなのだと俺は思う。こうして子供は親を庇うのだ。かつては俺や俺の妹もそうだった。どんなに糞な親だとしても、こうして子供は親を庇ってしまうものなのだ。
「……まあいい。何だかよく分からねえけど、お前はもう帰れ。助けてくれてありがとうな」
俺はそれだけを言った。未だに信じられないが、あいなが俺を助けてくれたのは間違いないのだろう。だが、助けてもらったことに恩義は感じるが、彼女の境遇に同情も深入りする気もなかった。
そんな俺の言葉を受けて、あいなが急に悲しそうな顔をする。泣き出すのかと俺は一瞬、狼狽した。
「あいな、帰るところはこの辺なんだもん」
言っている意味が分からなかった。やはり少し馬鹿なのだ。
「この辺って何だよ? だから寒いし家に、親のところに帰れって言ってんだよ」
思わず語気が強くなった。たちまち、あいなが怯えたような顔をする。
「だって、あいなはね、ママのところには帰れないんだよ。パパはいなくなっちゃったし……」
「あ? 何で帰れないんだよ?」
「あいなはね……死んじゃったから、もう帰れないんだよ」
……こいつは間違いなく頭が悪いのだと俺は思う。
「……俺は大丈夫だから、お前はもう帰れ」
頭の悪い子供にこれ以上は付き合っていられない。俺はそう言って、あいなの肩を軽く押そうと片手を伸ばした。
次の瞬間、俺が伸ばした片手が何の抵抗もなく、あいなの体を突き抜けていく。俺は唖然としてあいなの顔を見た。




