完封
月上院の廊下を埋め尽くすほどの人込みをかき分けながら歩くと、私には必ずこういう言葉が飛んでくる。
「おい! 龍神様だぜ!」
「本当だ! なんてお綺麗なんでしょう!」
「まさか、神様と一緒に勉強できるなんて」
などと、私が入学した瞬間から、話題は私の話で盛り上がっていた。正直少し気分がいい。
しかしもちろん、成り上がりで神様になった私に、嫉妬心や不満を持つ者だっている。
――――そうして私が生徒たちの中を歩いていると、突然誰かの脚に引っかかり、不格好にもそのまま転倒してしまう。
「いてて」
昨日の決闘でやられた腹部の傷が痛む。
「おいおい、誰かと思えば…………」
喉に一切の水分が無いかのような、聞くに堪えない擦れた声。そして、その声と共に差し出される一本の手。
「泣き虫神様のソウ様じゃねえか」
私より頭二つ分ほど高いユン。ほぼ坊主頭の様な短髪に、無性に苛立ちを覚えるふてぶてしい表情。
「アヒャハハハハ!」
「だっさ」
「トロすぎ。本当に神様かよ」
などと、彼の取り巻き連中は唾液を飛ばしながら大笑い。しかしこんな雑魚共は眼中にない。
「ッぷ! そんなに笑ってやるなよ、可哀そうだろ!?」
私は誰の為に差し出されたわけでもない手を叩き、腹部の傷を庇いながらゆっくりと立ち上がる。
「少なくとも、私はお前らより動けるから神様になったんだけどね」
分かっていた。こういう言葉を放つ事で、彼がキレることは承知している。
「…………おい。もういっぺん言ってみろ」
ユンが胸倉を掴み、廊下の壁に押し当てる。全体重を乗せてきているのか、岩でも乗っているかのように胸が苦しい。
「離せよ。お前みたいな雑魚に、用は無いんだよ」
コイツの顔を見ると思い出す。昨日の決闘で見せられた憎くて仕方のない笑顔と、狂った様に笑いながら、ボールを蹴るように何度も腹を蹴ったコイツの恐ろしさを。
「あ゛ああぁ!?」
鼓膜に響く声。あまりの大きさ故に、耳の中でずっと鳴り響く金属音のような音。
「昨日は手加減してやったんだよ。それくらい分かれ」
「っはああ? 昨日の決闘で泣き叫んでたのはお前の方だろ!? キャハッハッハ!」
馬鹿にしたような笑いを、高らかに空へ向けるユン。
「痛いぃ。痛いよぉ。ってな!」
腹を抑える真似をしながら、取り巻き共と一緒になって昨日の出来事を掘り返すユン。私を挑発しているつもりなのだろうが、あいにく私はもう狂っている。
「ねえ、これ」
羽織の袂から一枚の札を取り出し、私はそれをおもむろに差し出す。
「おい果たし札だ……」
「ついに一年で果たし札が出た」
私たちのやり取りを面白そうに見ていた野次馬から声が上がる。
決闘の申し込みは断ることも出来るが、この状況と、こいつの面子もある。恐らく断らない。
「ッぶふ! おいおい冗談言ってるんじゃないよな?」
まるで勝ちを確信しているかのように、ユンはその醜悪な笑みを私に見せる。
「別に決闘なんかしなくも、紋様羽織ならいつでも貰ってやるぜ?」
「なに。今更ビビってんの?」
今この場に鏡があるのなら見てみたい。私の目が一体どうなっているのか気になって仕様がない。
「っは! まあ、もう一回お前の柔らかい腹を蹴れるなら、俺も楽しいしな」
そう言ってユンは私の手から札を奪った。その目に一切の敗北の文字を映し出すことなく。
「おい、菊紋様が決闘だってよ!」
「マジで!? 負けたら紋様はく奪だろ?」
「なんでも神様の方から仕掛けたらしいぜ」
――――決闘場がある陽日院の舞台上。そこで私とユンはお互いを睨み合っていた。いや、睨んでいるのは私だけだろうな。
「お前馬鹿そうだし、決闘の定めなんて知らないよな?」
結界に入る前、ユンは相変わらずの腹立たしい口調で言い放つ。
「武器、神通力などあらゆる術の使用を可とするが、天の生徒たる節度を弁えよ。これ破らば退学。さらに必要な処置を講ず」
「なんだ、徹夜で覚えてきたか?」
その言葉に笑いが生まれる。どうやらそういうのは上手いようだ。
「ところでユン、あんたこれまでに死にかけたことってある?」
「は? ある訳ねえだろ」
「そう。どっか違う世界に転生できるといいね」
「おえー。何ぐだぐだ言ってんだ気色わりぃ」
コイツは小学校によくいるタイプの子供だ。クラスのお調子者で、自分が場を盛り上げていると勘違いをしている。
――――それでも、私達の決闘を見に来た連中は、ユンのパフォーマンスに声を出して笑っている。多分ここにいる連中も、大した理由で見に来てはいないのだろう。
私が地に伏すところを見たい輩に、ただ神様の私を一目見たいだけの輩。そしてただただ決闘を見物しに来た輩。そこに誰一人として、私を応援する者はいない。
「なあお前、俺に負けたら俺の使用人になれよ」
流石ボンボン。なんでも自分の思い通りになると思っている。自分が頂点だと思ってやがる。
「別にいいよ」
「うぉお、マジかよ! じゃあ皆、コイツ俺の奴隷だから皆で使おうぜ!」
そうして舞台を包み込む笑い。もはやこの会場はただの一色に染まったようだ。まあ、子供らしいっちゃ子供らしい。
「さっさと始めようよ。芸人さん」
「ああ? 俺の女がそんな言葉使っていいのかよ?」
「もういい」
そう言って私が結界内に入ると、ユンも気持ちよさそうに歓声を浴びながら入ってくる。
「さあて。昨日はお前の顔、蹴れなかったからな。今日はぐちゃぐちゃにしてやるぜ」
「まあ、どこからでもかかっておいで。雑魚なんだからさあ」
昨日私が言われた言葉を、そっくりそのまま返してやる。
「んだと!」
――――案の定挑発に乗ってきたユン。彼はそのまま指を切って龍血を流す。
「血一矢!」
彼の血液から続々と生成される矢。流石に武鞭をやっていただけはある。血矢の質、量。どれをとっても並み以上の実力だ。
「死ねえ!」
「…………っふぅ」
呼吸を整え、確かな殺気を纏った血矢を躱していく。
しかし昨日の模擬戦とは違い、龍血が使えるというだけで、ここまで動ける自分が情けなくなる。
「クソ! 全然当たんねぇ!」
「天羽羽斬」
全ての矢が潰えたタイミングで、鞘から抜くように血刀を作り上げる。
「いいねえ! 天羽羽斬!」
私は一回、木刀とはいえこいつとの剣戟で負けている。恐らくその事実が彼に自信を与えているのだろう。
――――だが私には、つばぜり合いをする気などさらさらない。
「天叢雲斬」
背中の刀を床に突き刺す。別に抜く必要はなかったが、ここにいる全員に、私の力を見せつけるにはこの形が最高なのだ。
「おいおい、そんな長い刀、お前に使えるのか?」
しっかりと両手で刀を握るユン。対する私の周りでは、手元から離れた二振りが、甘える子犬のように浮遊する。
「…………何だよ。その使い方」
先ほどの余裕はどこへやら、彼の表情は一変して焦りへと変わった。
「どこからでも、かかっておいで」
挑発の念も込めた余裕の笑み。
「クソ! クソ! 舐めやがってッ!」
このまま怒りに任せて突進してくると思ったが、存外、彼は慎重に策を弄していた。
「血一矢!」
再び彼の周りで生成される幾本もの血矢。芸はないが、馬鹿正直に突っ込まないのは少し見直してしまう。
「弐舞・乱斬り」
激しく乱舞する二振りは、私目掛けて放たれた血矢を悉く打ち落とす。そしてその隙をついたユンが、真っ向から突撃を繰り出す。
「うらあぁあああああ!」
されど龍人、速度は十分だ。しかし…………。
「叩き」
天羽羽斬が彼の腹部を峰で打つ。
「――――ぅぐッ」
苦しそうな声と共に遥か後方まで吹き飛んだユンは、そのまま結界の壁に打ち付けられた。
「なん、だ?」
本来なら結界から飛び出て場外アウトだが、残念ながらこの結界には、少し細工を施してある。
「何で出られねえ!?」
「おい」
「…………ッひ」
壁を背にし、まるで化け物を見るような目を向け、ガタガタと怯え倒すユン。――笑いをこらえるのが大変だ。
「謝れ」
「えッ!?」
「謝るんだよ。すいませんでした、ごめんなさいって」
空を漂う二本の鉾先を向け、私は静かに声を研ぐ。ゆっくりと、刃を心臓に突き刺すように。
「っご、ごめんなさい! 許してください!」
刀を放り、両手で頭を押さえながら涙を流すユンは、しっかりと私の顔色を窺いながら許しを請う。
「うッふふ!……………………やだ」
そうして私は刀たちに命じた。
「乱斬り!」
感情の分身でもある私の可愛い刀たちは、無情にもその白刃を、一切のためらいもなく振り下ろした。
「うわぁぁああああああああ!」
光に集まる羽虫のように無雑作に、しかし精密に空を舞い続ける刀。
「あっはははははッ、雑魚がッ!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!」
声変わりもしていない無様な声で、目も当てられないほど情けなくうずくまるユン。それでも刀は止まらない。
「思い知れ、思い知れ、思い知れ!」
集中が途切れるのであまり視線は外したくないが、結界の外では、先生たちが結界をこじ開けようと必死になっている。
――――しかしそこに、ミウ先生とユキメはいない。
「すいませんでしあ! すいませんれした!」
小便を濡らし、鼻水を噴き、よだれを垂らし、涙を流すその無様な醜態に、私の興はすっかり冷めてしまった。
そうして私は刀を戻し、ジャガイモのように転がるユンを見下ろす。
「これに懲りたらもう二度と、私に近寄らないでくれる?」
この声が聞こえているのかは分からない。いや聞こえているはずだ。私は峰で彼を打った後、それからは傷一つ付けていないのだから。
…………ため息が出る。
あんなに怖かったユンが、今ではハムスターのように矮小な存在に見える。そして、龍血が無ければ何もできない、私の情けなさにも呆れ果てた。
「なんだよアイツ。滅茶苦茶つえーじゃん」
「アイツ漏らしてね?」
「…………おい行こうぜ」
などなど、私が何食わぬ顔で結界を出ると、そのような青ざめた言葉が一斉に耳に入った。――――こいつらを見返してやったのは気持ちがいいが、私の官学生活はこれで終わる。
ああ、父様と母様に何て言い訳しよう…………。




