入学2日目①
「おおおッ! お前が官学に入学したと聞かされて、どれだけ嬉しかった事かぁ!」
「兄さま。少し離れてください!」
否応なしに抱き着いて来る兄のフウ。私の事など眼中にないかのように抱きしめる姿はまるで子供。
ちなみに兄とは何回か会っている。彼は官学の連休のたびに帰省していたのだから。
「フウ様!」
――――ユキメが驚いたように目を見開く。しかし二人ともどこか様子がおかしい。
「っひ! ユキメ!?」
怯えたように私の影に隠れ、臆病な犬のように唸るフウ。
「ユキメお主! 一体何しにこの官学へ参った!」
「お久しゅうございますフウ様。お変わりないようで安心いたしました」
いつも私に向けてくれる、向日葵のように優しい笑顔。しかしフウの様子にどこか違和感を感じる。
「安心しましただと……? ユキメ、お主何か悪い物でも食べたのか?」
――え、どういうこと?
「いえ、わたくしは普段通りでございますが?」
「そうですよ兄さま。いつも通りのユキメじゃありませんか」
私とユキメは、何言ってるんだコイツと言わんばかりの表情で首をかしげる。
「だ、騙されるなソウよ! このユキメはな、とんでもなく怖いんだぞ!」
「え?」
震えたその手でユキメを指さし、口を押えるフウ。どこからどう見ても怯えているようにしか見えない。
「あの武鞭のせいで、俺がどれだけ家出をしたかソウは知らんだろ」
「いや、そんなキツイものではありませんでしたよ?」
「お前は優秀だからな。それにソウは可愛いからユキメも好いておるのだ。きっとそうだ!」
――兄のフウはかなりの美形だ。現代でも通用するヘアスタイルに、照りつくような黒髪。そして身長も高く、ルックスは言わずもがな。
しかしこうやって泣き叫ばれると、それも台無しである。
「落ち着いてください兄さま! 昔のユキメは知りませんが、今のユキメは優しい人ですよ!」
「いや無理だ! 今すぐ家に帰れユキメ!」
私は呆然と立ち尽くすユキメにフォローを入れる。彼女はヨウ家推し。これはきっと堪えているに違いない。
「…………フウ様」
ほら見ろ! この今にも泣きそうな震え声……。
「――――お変わりないようで、安心いたしました」
「ヒイィ!」
私は思わずユキメから目を背けた。見てはいけない。これは見てはいけないものだと心に言い聞かせながら。
「あ、あああ。やっぱり昔のままだ。何ら変わってないこの表情。鬼を喰らう龍の如し顔ばせ!」
少しだけ兄の言葉に同情してしまう。本当にフウは、ユキメの事を恐れているのではと感じるのだ。
そしてユラユラと歩みをこちらに進めるユキメ。そして彼女は膝を着いた。
「お戯れでございます。私は今も昔も、ヨウ家の御子を変わらず好いておりますよ」
――いつも通りの優しい抱擁。それは私を挟み、背後にいたフウまでも包み込んだ。
「ユキメ…………」
フウが一歩後ろに下がり、ユキメをまじまじと見つめる。
「お主、まさか偽物ではあるまいな?」
「ええええ」
――それから大体五分ほど。私はやっとの思いで兄のフウを説得した。お前の知っているユキメはもういないんだぞと。今のユキメは母様のように優しい人なのだぞと。
「そうか。ユキメ、すまなかった」
説得の末、兄はユキメにそう言った。
「ところでソウよ。お主も紋様羽織を貰ったのだな! 流石は我が妹だ!」
そう言って私の頭を撫でるフウ。しかしよく見ると、フウの緑羽織にも紅い紋様が浮いている。
「兄さまのそれって」
四年生に与えられる深緑の羽織。その袖の部分に連なる赤菊の紋様を振りかざさし、フウは鼻から息を吐いた。
「そうさ、この俺も紋様羽織さ。しかも四十年連続でな」
思い知ったかという言葉が聞こえてきそうなドヤ顔。兄のフウは、いわゆる黙っていればイケメンという分類だ。
「流石はヨウ家の御兄妹であります! このユキメ、本当に肩身が広うございます!」
おいおいと泣きじゃくるユキメと、それに怯えるフウ。誰の目にもつかないような一角なのにこの賑やかさだ。参ってしまう。
「じ、じゃあ、私、友達待たせてるからそろそろ戻るね」
「ソウ様! もうご学友が出来たのでございますかっ?」
「まあね」
ヒスイとユハンを待たせていることを思い出し、私は咄嗟に戻ろうとする。しかし一つだけ言いたいことがあるのを忘れていた。
「あ、そうだユキメ」
「何でございますか?」
「出来れば、私とユキメの関係は内緒にしてほしいんだけど、いいかな?」
ユキメがヨウ家の女官と知れば、他の生徒から色々と面倒な疑いを掛けられそうだからだ。
しかしユキメは眉をひそめ首をかしげる。――そうしてしばらく考えて結論に至ったのか、彼女は拳を手のひらに打つ。
「あっ。なるほど、確かにそうですものね……」
「分かってくれた?」
視線を斜め下に落として頬を染めるユキメ。果たして、何がなるほどに至ったのかは分からない。本当に理解したのだろうか。
「ええ、生徒と教師の、禁断のこい…………」
「――――うん、そうだねぇ!」
何を言い出すんだコイツは! フウも見ているというのに!
気取られたかと不安になり、恐る恐るフウの方へ目を向ける。
しかし心配は無用なようだ。ユキメの一挙手一投足に怯えている彼の様子を見るに、何も気づかれてはいないようだ。
「そ、それじゃあ、また会おうねユキメと兄さま」
「まて! 俺も戻る!」
そうして、何度もユキメの方へ目を向けるフウを引きずりながら、私は大広間へと戻った。
「――――ちょっと、どこに行ってたのよ」
一年ゾーンの窓際席。そこに戻ると真っ先にヒスイが口を尖らせる。しかし小麦い肌がピンクに染まるのも可愛い物だ。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと知り合いがいてさ。あはは」
「はえぇ。やっぱりユキメ先生と知り合いなの?」
「えっ!」
――何でバレたんだ?
「ユキメ先生に抱き着かれて、そのあと広間を出たでしょ? あなた達かなり目立ってたわよ」
「そ、それは私がユキメ先生に厠の場所を案内してもらってたから」
我ながらナイス言い訳。これなら納得してくれるだろう。
「はえ? でもユキメ先生も新しく入った先生だよ?」
「それはそれ! これはこれ! さあ食べよう食べよう」
少し無理やりすぎるがいいだろう。女っていうのは少し謎めいていた方が魅力があるのだから。
「……ところで、みんなはもう大浴場に行ってみた?」
食事を始めてから数十分たった頃、ヒスイが教科書をペラペラとめくりながらそう言った。
「え? まだだけど」
「うん。わえもまだだよ」
その言葉を聞き、ヒスイは視線をこちらに映す。しかし食事中でも勉強とは恐れ入る。
「じゃあ行きましょう! ここの出で湯はかけ流しだから凄く気持ちいって聞いたの」
パタンと教科書を閉じたヒスイ。彼女は頬に何かのソースを付けたまま、温泉のように目を輝かせる。
「へえ、温泉なんだ。アリだな」
「わえも行きたいなあ」
「じゃあ行きましょう! 食後直ぐには身体に悪いから、少しここで休憩してから!」
まだ子供ながらに、上品な振る舞いを頑張って続けていたヒスイだったが、温泉の話をしだした途端、玩具を前にした子供のように目を輝かせた。
「うふふ。どんな感じなんだろうなあ」
大きな教科書に肘を着き、まるで王子の事を考えるプリセンスのように心をときめかせる彼女。お風呂好きとは如何にも女子らしいものだ。
――――そうして私たちは広間で女子トークを繰り広げた後、各々が着替えを持参して浴場の前で合流した。
「はえぇ。おまたせ」
「よし! それじゃあ行きましょ!」
「……ユハン、ちゃんと着替え持ってきた?」
「もちろんだよぉ」
開園直後のテーマパークに踏み込むかの様なヒスイ。その足取りはかなり軽そうに見える。
――官学の大浴場は、男子寮女子寮に各一つずつ設けられており、お互いの寮が山の反対にあるため覗き見られる心配もない。
そうして脱衣所で袴を脱いでいる時、私はヒスイのあるものに嫉妬心を抱いた。
「……あれぇ? ヒスイちゃんの胸。……あたしより大きいのね」
そう言って後ろに回り、ゆっくりと舐めるように肩に手を這わせる。すると次第にヒスイの肩が汗でにじみ、じんわりと肌が手に吸い付いて来る。
「っえぇ。ソウ!?」
まだこんなに初心なのだ。まさか同性の女子に、こんな事をされるとは思っていなかっただろうな。からかい甲斐がある。
「なーんて! 早くお風呂入ろ」
「行こ行こー!」
そう言って私とユハンが楽し気に脱衣する中、ヒスイは目をグルグルとさせたまま立ち尽くしていた。
そうして私たちは温泉の独特な匂いに包まれながら、その日一日の疲れを癒した。流石に詳細の説明は出来ないが、まあ色々とだ。




