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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第二章 不死の呪いと死なずの少女
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さよならなんて、言わないで

「ソウ様! 朝でございます!」


 あの楽しかった会食から早五日。ついに私が官学へ行く日が来てしまった。


 部屋の外ではいつも通り、トモエが私を起こそうと声を上げている。


「ソウさっ……!」

「――――お早うトモエ」


 襖を開けると、まだ寝ていると思っていたのか、彼女は幽霊でも見たかのように目を見開く。まあ、私はいつも寝坊助だったから仕方ない。


「お早うございます。朝食の準備が出来ております」


 いつもなら、まだあどけなさが残る笑顔を私に振舞ってくれるのだが、今日の彼女は少し悲しそうだ。


「分かった。今行くね」


 ――――廊下。いつも歩く縁側。中庭の風景。少しうるさい鹿威ししおどし。池に落ちる水の音。

 そのどれもが愛おしく、そのどれもが遠い存在に感じる。


「お早う、ソウ」

「おう、起きたか」


 父と母が朝の食卓に揃っている。なかなか見られない光景だ。父のコウは毎朝モソモソ食べているが、母は仕事柄、早めに家を出ているからだ。


「お早うございます。父上、母上」


 ふかふかの座布団に腰を下ろし、目の前に並ぶご飯に視線を落とす。


 白米に味噌汁。淡く色づいた鮭の塩焼き。その他にも小鉢がたくさん並び、その様はバイキングさながらだ。すっかり朝は米派になってしまった。


「いただきます」


 味噌汁を口に含む。程よい熱さで、すんなりと喉を通るいつもの味。


 次に鮭の身をほぐして口に運ぶ。絶妙な塩加減で、舌の奥で鮭の塩気が強く染みつく。しかしお米を入れてあげれば、二つは絡むように口の中で溶け合う。


美味うまし」


 あっという間に、机上の皿が心寂しげに重なっていく。まだ、もう少しだけここに居させてほしいのに。


「ソウ様。官学へ参る籠が来ました」


 縁側を歩いて来たユキメが、静かにその声を居間に響かせる。


「――――早いものだな」


 父がモゴモゴと咀嚼しながらつぶやく。手に持った茶碗の中に、その視線を注いだまま。ただただ静かに、そうつぶやいた。


「さあ、早く行かないと遅刻するわよ」

「そうだぞ。初日から遅刻すると恥ずかしんだぞ」


 父と母が笑う。いざ離れるとなると、この二人の存在があまりにも大きかったのだと気づく。


「…………うん」


 そうしてユキメの後ろを付いてゆき、ギシギシと聞きなれた音を響かせながら、亀のように縁側を歩く。


「またすぐに会えます。そのような顔はしないでくださいまし」


 前だけを見ながらユキメがそう言った。三十年前はあれだけ広かった背中も、今では私一人背負えば一杯一杯に見える。


「うん」

「お休みを貰ったら、私も会いに行きますね」

「…………うん」


 駄目だ。何も言えない。言いたくない。言わないといけないはずなのに。


 気づけばもう、私は玄関の前にまで辿り着いていた。――――ワラジを履くと、門の前に待機している駕籠かごが目に入る。


 今日はもう開けない玄関を出て、心にかかるもやを膨らませながら、官学へと続く道を踏む。


「ソウ! 頑張って来いよ」


 ――――振り向くと、玄関の前には父と母、そしてお手伝いさん達が、縁側で泣きながら私を見守っていた。


「ソウ。しっかりご飯食べるのよ」

「……うん」


 母の声。――――言わないと。


「風邪ひいたら、すぐ先生方に言うのよ」

「…………うん」


 言わないと!


「――――ソウ様っ」


 ユキメがぐっと肩を抱き寄せる。そして、涙で湿ったその声で、私に優しく囁きかける。


「悲しい言葉は、いりませぬ」

「うん…………ッ」


 私は走った。父と母の元へ。――そして強く抱きしめる。私の腕に二人は収まらないけれど、それでも精一杯強く抱きしめた。


「父上、母上」


 こういう経験は初めてだったから分からなかった。でも別に、さよならは言わなくていいんだ。いつも通りで、いいんだ。


「――――行ってきます」


 頭上から鼻をすする音が聞こえる。顔を埋めているから見えないが、その複雑な音から分かることは、たった一つだけ。


「……うむ。気を付けてな」

「ソウ、行ってらっしゃい」


 再び私は走った。今度はユキメの元へ。


「――――ソウ様」


 ユキメのお腹だ。この三十年間、ずっと一緒にいたから分かる。この匂い。この抱擁感。この温もり。


「……行ってきます」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 そうさ。今生の別れではないのだ、そんなに苦しい物じゃない。だってそうだろ。いずれまた、ここに帰って来るのだから。


「ソウ様!」


 ――――駕籠に乗ろうとすだれをめくりあげた時、言語を絶する表情で、ユキメが声を上げた。


「……お体に、お気を付けて」


 深々と頭を下げるユキメ。感情こそは見えなかったが、私を送り届けるその声は、とても力強いものだった。


「ありがとう。ユキメもね」


 ――――さあ。これで私も前に進める。お世話になった人たちにお礼も言ったし、これまでの六十年間をしっかり脳に焼き付けた。もう十分すぎるほどに。


 そして駕籠に足を入れ、頭が入りきるその瞬間まで、お世話になった我が家の光景を、確とこの目に映し続けた。


 ――――それじゃあ、私の大好きな故郷ふるさとよ、また帰るその日まで。



 ご愛読ありがとうございます!


 遂にソウも学生です。

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