転生3
龍文書―六
龍:天界や下界に住む神獣。友好的な種もいれば、そうでないものもいる。
「ご馳走様!」
ご飯を食べることは寝る事の次に好きだ。それでも今朝は朝食を味わう余裕などない。
早死にしそうなフードファイターの様に、口に入れたご飯をお茶で流し込むと、私は合掌をして席を立った。
「おう、随分と早いな」
「――――今日は武鞭の日だからね」
見た目と性格に反して、食べるのが遅い父を他所に、私はカバンに弁当を詰める。
「あまり走ると、お弁当がひっくり返るわよ」
「――――大丈夫、ちゃんと抑えて走るから」
朝からに賑やかな居間で、私は自身の内側でごうごうと燃える高揚感を抑えられずにいた。
「それじゃ、行ってきまーす!」
「気をつけてなあ」
両親から向けられた言葉を背負い、私は長い縁側を走る。
そうして寝殿造りの家を駆けると、ぎしぎしと木が軋んで心地のいい音を耳に残す。最初は足袋が滑ってコケそうになったが、今では問題ない。
「あら、おはようございます。ソウ様」
色彩豊かな着物を着た侍女たちが、すれ違うたびに挨拶をしてくれる。この家は本当に朝から賑やかだ。
「おはようございます!」
彼女たちに挨拶を返し、女官ユキメの待つ中庭へと向かう。
――――ワラジを履き、橋を渡って池を超える。居間からここまで走って五分。いくら何でも広すぎる。ここまでくると逆に不便だ。
そうして中庭にたどり着くと、紅葉の木の下で待っていたユキメが、私に優しく微笑みながらお辞儀をする。
「お早うございます。ソウ様」
――――美女。淡紅色の紅葉が舞い、それは彼女の真紅の袴をより一層映えさせる。
さらに後ろで束ねられた黒髪は、一本一本が陽の光を帯び、色っぽい艶やかさを纏っている。
「お、おはようございます!」
まるで、心の中まで見透かされているような真っ赤な瞳に、私は思わず息を呑む。
龍人族の特徴は、黒よりも黒い頭髪と、雪のように白い肌、そして龍の焔が如く赤い瞳にある。
そして黒髪は墨汁の様に艶やかな程。肌は絹のように滑らかな程。瞳は炎よりも明るい程、その龍人は美しいとされる。
「嫉妬するわ……」
口に出さずにはいられなかった。それ程までにユキメ、彼女は美しいのだ。
「――――今何と?」
「ああ、いえ! お待たせしました」
私の慌てっぷりを見て笑ったのか、ユキメは再び口元を綻ばせ、そのお雛様のような手を私に差し出す。
「では、参りましょう」
「…………はい」
これが女神か。
まるで火に向かう羽虫の如く吸い寄せられ、私は私のために差し出されたその手を握った。
「ねえユキメ。最初の武鞭は何するの?」
陽差しのように温かい手を握りながら、はるかに高いユキメを見上げる。
「本日は、龍人族の基本である神通力を学びます」
「じんつうりき?」
その力のことは、既に家の書物を読んだから知っている。それでも私はアホのふりをした。その方が可愛がられる。
「はい。“神使”に許された、神のお力を借りる術です」
――――説明しよう。全ての龍人族には二つの力が備わっている。神の力である“神通力"と、龍の力である“龍血”だ。しかし龍人は龍の血が濃いために、神通力を使う際は祝詞を唱え、神との繋がりを作らなければならない。
「さて、ではそのために必要なことは何でしょう?」
私の方に顔を向けながらユキメが問う。
「祝詞を唱える事ですね!」
「流石です」
ユキメの表情が和らぐ。しかしまあ、女の私でさえも見とれてしまうほどの美人だ。くそったれ。
「しかし祝詞は長いので、それ覚えるには少々骨が折れます。頑張りましょうね」
私は心の中で笑う。なぜなら、私は既に祝詞を覚えているからだ。ありがたいことに、我が家の書庫には何でも揃っている。
「――――分かりました!」
ふっふっふ。その美人面で吠え面かかせてやるぜ。
そうして家を出てからしばらく歩くと、龍の里の中で一番栄えている町、花柳町に着く。ちなみに私は温室育ちなので、花柳町には数えられる程しか来たことがない。
町の大通りに出ると、祭りでもやっているかのような賑やかさに圧倒される。
甘味処から漂うお茶の匂い。ずらりと並ぶ屋台からは、とても処理しきれない種々雑多な香りが鼻の奥で染みわたる。
幾つになっても、この空気感だけはたまらない。
――――ああ、駄目だ駄目だ! 今日は武鞭の日。ここは我慢しなければ。
「ふむ。お団子でも食べてから行きましょうか」
ユキメからの甘い誘い。
いや待てよ。コレはもしかして私を試しているのでは? あえて武鞭の前にこの光景を見せ、私が誘惑に負ける雑魚かどうか見極めているのでは?
「どうされました?」
そうやって心の奥底まで見ているような瞳で覗かれる。
すうっと深い深呼吸。そして私は瞑想する。頭の中から、卑しき煩悩を消し去るのだ!
ぐるるるる
と、突然ユキメのお腹から動物の唸り声の様なものが聞こえてくる。
「ユキメ、お主」
雪の様に白かった頬が、桃を思わせるかのような淡い色で染まっていく。しかし彼女は、それを見せまいと素早く袴の袖で顔を覆い隠した。
「もも、申し訳ありませぬっ。恥ずかしながら、朝を食べておらぬのです」
うぷぷ、そういう事かぁ。よいよい! 苦しゅうないぞ!
――――と、心のどこかで、私はそうやって勝ち誇った。