やっぱり実家は最高です1
「ソウ様、ソウ様。」
――――声。
うららかな歌詠鳥が鳴きしきる、天つ日が眩しい朝まだき。
円状にぽっかりと開いた和窓から、蝶蝶のような桜の花弁が、ひらひらと私の部屋へと静かに舞い込む。
優しい陽が差し、柔らかい風がそっと髪の毛を持ち上げる。それらは起きろと訴えかけるが、しかし暖かい布団が私を離さない。
「――――ソウ様ッ!」
優しい声が一変、剣先の様に尖った大声が私の鼓膜を突き破る。
「なにー? 武鞭は昨日で終わったはずだよ」
ソウ。その名前は私の名前。――またの名を天蒼陽姫命は、昨日で六十歳を迎え、龍人の子が遂げるべき武鞭をすべて終わらせた。
そして今日は久しぶりの一日オフ。昼まで眠りこけるつもりだったのに、ユキメが何度も私の名を呼ぶ。
今日って何かイベントあったっけ?
「今日は“龍玉”をもらい受ける日にございますよ!」
「えッ! 今日だっけ!?」
――――思わず飛び起きる。遅刻だから焦ったのではない。むしろ逸る心を抑えられずに飛び起きたのだ。
私たち龍人族は齢六十を迎えると、すべての武鞭を修了した証に、龍王様に預けていた龍玉を再び迎えに行くのだ。
龍人はこれを“玉迎の儀”と呼んでいる。
「ソウ様、一刻の猶予もございません! 手早く支度してくださいませ!」
朝っぱらから侍女たちがやけに騒がしいと思っていたが、そういう事だったのか。
「今行く!」
――――今の私は六十歳だ。三十年前に比べて身長もかなり伸び、人間で例えたら大体八歳くらいと同等である。しかし、まだまだ女の子らしい体にはならない。鬱だ。
これは暇なときにざっくり計算してみたのだが、この世界の年齢を十で割り、そこに二を足した数が大体人間の年齢になる。本当にざっくりだが。
「袴も様になって来たなぁ」
一二〇程の身長にもなれば、自ずと袴も私の身体に似合ってくる。自分で言うのも何だが、本当に末恐ろしい娘だ。
「お早うございますソウ様」
襖を開けると、相も変わらず綺麗な笑顔でユキメが私を迎える。
前までは、彼女が膝を着けば目線が合ったが、今ではもう、私がユキメを見下ろす程になっている。――――これはこれで少し寂しい。
「お早う。今日でユキメと何かするのも最後だね」
そう。武鞭が終わってしまえば、私とユキメの関係は、ただの主と使用人になってしまう。それに加え、来年からは私も寮生。暫くここには帰ってこられない。
「そんな事は言わないでくださいまし。私はいつまでも、ソウ様のお傍におりますよ」
「だね。ユキメは私のお姉ちゃんだもんね」
彼女は私の両親に育てられたので、その言葉もあながち間違いではない。
「おっ。お姉様ですか? 私は、ソウ様のお姉さまになるのですか!?」
ギシギシと心地のいい音を奏でる廊下。私たちが玄関に向かって歩いていると、そう言ってユキメは崩れ落ちた。
「はいはい、そうだよ。早く行こ」
相変わらず、すぐに泣く癖は治らない。涙もろいわけではない。彼女はヨウ家の一族に弱いのだ。言わば彼女はヨウ家推しである。
「すいません」
涙を羽織の袖で拭いながらユキメは謝る。この光景が見られるのも後少しだと思うと胸が締め付けられる。
「あら、お早うソウにユキメ」
居間を通りかかると、母が侍女たちと朝ごはんの支度をしていた。父は恐らくまだ寝ている。それだけ私が早起きしたという事だろう。
「お早うございます母上」
「――リン様! わたくしがやりますので、どうかお座りになってください」
そう言ってユキメが羽織を脱ぐと、母は眉根を吊り上げ、いつも通りの困り顔を見せて断った。これを見せられると、誰もが弱気になってしまう。
――――父上はこの顔で言い寄られ、遂に落とされたと聞く。
「そう言えば、今日は玉迎の日だったかしら?」
「はい! ついにソウも立派な龍人にございます」
「…………ふふふ。かわいい子。貴女たちが誇らしいわ」
嬉しい。幾つになっても、母に褒められるのは嬉しくてたまらない。頑張って来た甲斐があったといい物だ。
しかし母は確かに貴女たちと言った。母からすれば、やはりユキメも我が子同然なのだろう。
「母上、私たちは玉迎の儀を終わらせてから朝食を食べますね!」
激情の余り、ユキメは遂に袖で顔を隠してしまった。だからという訳ではないが、代わりに私が母上にそう伝える。
「そう、分かったわ。気を付けて行ってらっしゃいね」
「はい! ほら、行くよユキメ」
地に根を張っているかのように立ちすくむユキメを、私は半ば強引に引きずりながら母上に手を振った。
「……もう、その涙はいつになったら枯れるの?」
ようやくユキメが一人で歩き始めたころ、私は少し声を尖らせる。苛立ちや怒りなんて感情ではない。これは殆どが呆れだ。
「申し訳ありません。どうしても感情が抑えられぬのです」
「…………あはは。まあ、ユキメらしくて良いんだけどね」
彼女は鼻をすすりながら、またしてもその目にじんわりと涙を浮かばせた。
――――そうしてヨウ家の門を抜け、朝方の落ち着いた花柳町を歩いていると、他にもチラホラと私と同じように歩く子供達を見つけた。
「あの子たちも全員、玉迎の儀式に出るのかな?」
ユキメの手を握りながら、私はその子供たちに目を向ける。
「ええ。ソウ様と同じですよ」
子供たちは皆、希望に満ちたような笑顔で、母親ないし父親と思しき人と共に歩いている。――その光景を見ると、何故だか私までワクワクしてしまう。
「ユキメも嬉しかった?」
どこか柔らかい眼差しで子供たちを眺めるユキメに、私はそう聞かずにはいられなかった。
「それはもう誠嬉しゅうございました。私もヨウ家の女房と共に参りましたが、あの日の嬉しさは今でも覚えています」
「そっかあ。それじゃあこれも、私のいい思い出になるのかなあ」
「ええ。きっとなりますよ」
私を見下ろしながら笑顔を見せてくれるユキメ。背が伸びたことにより、彼女との距離も近くなった。それ故に目立つは彼女のご尊顔。
私の顔にはまだまだ幼さが残っている。ユキメを見ると、早く大人になりたいものだと気持ちが逸る。
――――そうして花柳町を抜け、そのまま暫く歩いていると、私の目に一つの景色が飛び込んできた。
「ここは龍の胸椎と呼ばれる名所です」
目の前に広がるのは、青々とした新緑が美しい棚田だった。その薄く水が張られた田んぼには、まだ幼い苗が等間隔で植えられている。
「すご。初めて見た」
龍神の里に産まれて六十年。実のところ、私はここに来るのが初めてだった。
「玉迎の日にこれを見せたかったので、今まで私は、ソウ様をここへはお連れしませんでした」
武鞭の大半は下界で行なったのだが、龍神の里での武鞭は座学ばかりだった。故に私はこの景色を知らずにいた。
「なるほど。ユキメが私に見せる、最後の景色って訳だね」
――――彼女にはこれまで様々なところに連れて行ってもらった。
下界からの侵入を防ぐ為に天千陽に建てられた砦や、神を目指す者が修行をする頂上の社などなど。……でもまさか。
「まさか、こんな近くに、こんな綺麗な場所があったなんて」
「ええ。これが最後の、私からの武鞭でございます」
雲の海から登る太陽。それを身に受け、まるで湖の様に輝く田園。その階段の様に重なった棚田は、これまで見たどの景色よりも息を呑ませる。
「私も初めてこの景色を見た時は、幼いながらに感動いたしました」
彼女はそう言うが、現に私も目から涙をこぼす程だった。今まで見たどの景色よりも美しいし、そう思わせるのはこれまでの六十年間があったからこそだ。
「そうしてここを抜ければ、龍神王桜天満宮です」
――――名前が厳つい。思わず笑ってしまうほどの厳めしさだ。
「名前長いねえ」
名残惜しさを感じながら、翆色の海原を横目に歩く。学校へ行く前に、もう一度ここへ来ようと、そう心に誓って。
「そうですね。龍王様の偉大さが伝わって来るほどの名前です」
「ねえ。龍王様ってどんな神様なの?」
ユキメは腕を組んで考える。それだけ言葉では言い表しがたい神様なのだろう。
「うーん、そうですね。私たちの祖龍であり、すべての龍の神と言った感じでしょうか」
なるほど。やはり言葉では説明がし辛いようだ。だが、その龍王様にこれからお会いするのだ。言葉はいらないのかもしれない。
「ふーん。凄いって事だけは伝わって来るね」
私の言葉にユキメは笑う。
「ふふ。私も最初は肩の力が抜けませんでした」
家を出てからずっと緊張していた私を、ユキメはしっかりと見抜いていた。流石に六十年一緒にいただけはある。
「しかし、ソウ様も今では天つ神です。いずれ龍王様の様に崇められる日が来ると思いますよ」
「そうかなあ。神様になってから、特に神様らしい事してないけどなあ」
……そう。私は天つ神となった。しかし、八百万の神前で叫んだあの日から、私はビックリするほど何もしていない。
「神格化されて三十年です。まだソウ様の神社も出来ていないのですから、今は気を楽にしていても良いのでは?」
「そうか。確かにそうかもね」
――――今から約二〇年前のある日、私はアマハル様に聞いたことがある。
「神様になったのに、未だに何の仕事も無いのは何でですか?」
何気ない一言だった。神格化されて日が経つというのに、私はただひたすら武鞭をしていた日々に疑問を持っていた。
「うーん。まだ神社の設計もしておらぬからなあ」
祝詞を唱えた際に引き込まれる精神世界。私はそこで、アマハル様とたまにだが話をしていた。本当にごく稀にだが。
「――――神社!?」
何だ神社って。いや神社は知ってるけど。何だ神社って!
「……神社って、私の神社ですか?」
アマハル様は不思議そうな顔で私を見る。まるで一足す一を解けない高校生を見るような目だ。
「え、そうだけど」
「私の神社ですか!?」
思わず私はアマハル様の肩を掴んでしまった。掴んだだけならまだいい。あろうことか私は、その肩を思いっきり揺さぶってしまった。…………罰が当たりそうと感じながらも。
「ひふみはっ、神なんだからっ、社いるでしょ?」
私が揺さぶるたびに彼女の声も揺れる。止めようとも思ったが、身体が勝手に揺らすのだ。
「私の神社ですよ!? 人間の私に神社なんていらんでしょうが」
アマハル様は私の手を振り払い、着崩れた着物をゆっくりと直す。その様はすこしセクシーだ。
「ひふみはもう龍神だし、もう神様だから社がいるのだ!」
百メートルを走り抜いた様な息遣いで、彼女は声を尖らせた。それどころか、目つきもやや鋭い。やはり不味かったか。
「でも社って必要なんですか?」
「神社は民からの信仰を集めるために造るのだ。これが無い神は歩いて信仰を集める事になるのだ」
動揺しているのか、彼女の語尾が“のだ”になりかけている。
「それじゃあ、神社が出来てようやく神様になるんですか?」
「そういう事。それまでお主は、いわゆる休業状態じゃ」
言葉が出なかった。人間の頃もそうだったが、この世界に産まれてからも、神社は何か特別な施設だと思っていた。それなのに、私は今まさに自分の神社を持とうとしている。
「――だからそれまでは、しっかり勉学に励んで、神使として腕を磨いておいてね」
崩れた着物を直し、乱れた髪を整え、ようやく彼女は一息ついた。
「神様になったのに、神使の学校に行かないといけないんですか?」
「そりゃそうじゃ……」
あ、今のオーキド博士みたいだな。
「――――ひふみは余の神使だからな。それに、ひふみは生まれながらの神じゃないから、まずは神使として器量を備えねばならぬ」
アマハル様は私を警戒しているのか、少し離れたところで話を続ける。
「神と神使の両立ですか?」
「簡単に言えばそうだな」
「……面倒増えただけじゃないっすか」
直後、彼女の顔には小さな汗が流れた。何かとても、不味そうな顔をしながら。
「そっ。そんなことは無いぞ。お主は人々の幸せを願う神だ。故に神使として世にはばかれば、次第にお主の信仰も増えようて」
「…………本当ですか?」
「本当だって! 最高神を疑うでない!」
彼女が何か企んでいることは一目瞭然だった。大方、アマハル様の仕事を手伝わされることになるのだろう。多分、中つ国平定の手伝いだ。
「わかりました。それじゃあ、でっかい神社作ってくださいね」
――――そう言って私は、自ら精神世界を出た。恐らく、私が先に抜けたのはこれが初めてだった。
今日から少しずつ投稿していきます。
第二章はかなりの文字数になってしまったので、お時間のある時に、のーんびりと読んで頂けると幸いです。




