ずっと傍に居て。
龍文書
【龍文書】:私のメモ帳。
――――西ノ宮に戻ると、ウヅキとユウヅキ、そして他の白兎族が迎えてくれた。しかしミカヅキの姿は無い。恐らくまだ動けないのだろう。
「お帰りなさい! ソウ様!」
「お姉ちゃん!」
真っ先に走って来たのはウヅキとユウヅキだった。私は2人と抱き合い、歓喜する。
「みんなの仇を、取ってくれたんだね」
「まあね」
彼らは知らない。一本足のオガ夫婦の事も、毒を盛られて弱っていた蛇神の事も。しかしそれでいいのだ。
多分彼らは、この先産まれる子供たちに、私達が暴神を討ちとったと言い伝えるだろう。そうしてそれからも姿を変え続け、物語は永遠に生き続ける。
そうすることで、子供たちに恐怖心を与え、警戒心を持たせ、その命を少しでも永らえさせるのだ。
「ヤチオヒメとナナナキヒメは?」
私は二柱の姫君について聞く。
「ヤチオヒメはまだ治療中だよ。毒はすぐに吐き出させたから、すぐに良くなると思う」
その言葉に、私の緊張感が一気に口から抜けていく。
そしてウヅキは更に目に水を張って、それを川の様に輝かせる。
「ナナナキヒメは、もう完全に毒が抜けたよ。本当にすごいよ」
――――泣き崩れるウヅキ。
仲間の仇が討たれ、ナナナキヒメも完治した。故に、雪の様に積もり続けていた彼の想いが浄化され、ようやく一息つけるいった感じだろう。
「本当に、本当に、ありがとうございました」
彼はずっと頭を下げていた。妹が攫われ、仲間が喰われ、村長が危篤になり、ナナナキヒメを看病しつづけ……。
だから彼の視線はずっと下に向いていた。
「いいんだよウヅキ。もう、頭を上げても」
彼の視線が私に向く。
そうして彼はひたすら泣いた。村が襲われても、ミカヅキが息を吹き返しても泣かなかったウヅキがだ。
「本当に、よく頑張ったね」
そう言って私は、彼の白銀に輝く頭を撫でた。時々耳が手に当たるが、それがまた心地いい。
「――――ソウ様!」
騒ぎを聞きつけたナナナキヒメが、その顔に笑みを浮かべてミカヅキの家から飛び出してくる。
「無事だったんだね!」
こちらに走って来るやいなや、彼女は膝を着いて私に抱き着いてきた。やはりどうにも私は、この世界に来てから美女に囲まれている。
「ナナナキヒメは、もう大丈夫?」
「うん! ナナナキはもう大丈夫だよ」
彼女もまた、私の袴を涙で濡らす。
「ごめんね。……ごめんね。あんな嫌な思いさせて」
オガ夫婦を斬らせたことに、彼女は詫びているのだろう。しかし、彼女の涙と笑顔を見れば、そんな事はもうどうでもよかった。
「いいんだよ。私は大丈夫」
そう言って私は、抱き着く彼女をそっと遠ざけ、涙の浮かぶ蒼色の目に笑顔を映させる。
「それとさナナナキヒメ、一つお願いがあるんだけど」
「……お願い?」
――――私はそれから、事細かく彼女に事情を説明した。
朱迎大川が主を失った事。そのおかげで川が荒れ、民が苦しんでいる事。そして天つ神が代わりの神を探している事。
「それでね。ナナナキヒメに朱迎大川を治めてほしいんだけど……」
私がその言葉を口にすると、彼女の目からは涙が零れ始める。
「私が、あの大川の神に……?」
「それがいいよっ。ナナナキヒメなら適任だよ!」
それまで静かに聞いていたウヅキが声を張る。なぜウヅキが、ここまでナナナキヒメに肩入れするかは何となく分かっていた。
彼女は久比川の半蛇神。誰からも見向きもされない久比川は、いずれ枯れ果ててしまう。そうすれば、ナナナキヒメもこの世から消えてしまうからだ。
「いいでしょ?」
ウヅキの言葉に驚いた様子のナナナキ。だから再び、彼女の顔を私に向けさせる。
「あなたなら、大丈夫」
「…………そ、そんな。わた、私がぁ」
涙を流すナナナキヒメ。彼女の頬から滴り落ちるその涙は、これまで流れることの無かった、美しい喜びの涙だ。
「――――私が、うぐっ。こんなに幸せで、っひぐ……。よいのでしょうか?」
途端に私の視界が歪む。世界が歪んだのじゃない。これは、紛うことなき、私の涙だ。
「……いっ。いい。いいんだよ! もうあなたはッ。十分苦しんだからッ!」
それからは、目玉が壊れたのかと思うくらい泣いた。
私が、ナナナキヒメの願いを叶えられたのかは分からない。
しかしナナナキヒメには、十分幸せになる資格がある。小川の神として生まれ、たった一人で森を彷徨い、妖に攫われ、ここまで一人で必死に戦ってきた。
これだけの事実を見れば、彼女の願いは、叶えるだけの価値があったのだ。
その涙を見て、彼女と共に泣き合う私を考えると、少なくとも、私達の願いは叶えられているのだと感じる。
――――それから私とユキメは、一度天千陽に帰ることにした。もちろんすぐに西ノ宮に戻るつもりだ。なにせ、まだ宴が終わっていないのだから。
それに、泥だらけの体のままでは、心の底から楽しめないしね。
「あら、ソウ様にユキメ。随分早かったのね」
「疲れたあ。ただいまぁ」
家に帰ると、まだ昼時なので中には侍女しかいなかった。私は両親に会いたかったが、仕事中ならば致し方ない。
「少し休みましょう」
ユキメが私にそう言ってくれた。
確かに私の姿は、とても人様に見せられるものではなかった。袴は泥や血で汚れ、髪の毛には砂が絡んで荒々しくなっている。
「じゃあ私、お風呂入ってくるね」
「かしこまりました」
しかしユキメも、私と同じくらい汚れている。……仕方ない。
「一緒に入る?」
その言葉に、ユキメはみるみる表情を明るくさせた。
――――袴を脱がしてもらい、髪を洗ってもらい、背中を流してもらい。私とユキメの時間は、ただただ足早に過ぎて行ってしまった。
当たり前のように用意されている着替え。当り前のように感じる人の温もり。当り前のように傍に居てくれる人。
どれもこれも、私がどれだけ手を伸ばしても届かなかったもの。それが今、私の手の中に帰って来たのだ。
「…………幸せだ」
「何か、おっしゃいましたか?」
「ううん。なにも」
「そうですか。ユキメはソウ様の女官です。何事も遠慮なく言ってくださいね」
「分かってるよ。頼りにしてる」
「…………あっ。ありがたきお言葉っ」
「もう、そのすぐ泣くクセ治したら?」
「うぐ。申し訳ありません」
「………………ねえユキメ」
「……何でしょう?」
この物語は、私の物語だ。
家族がいて、友がいて、頼れる人がいて。
誰かとご飯を食べて、誰かと一緒に笑って、誰かと一緒に泣いて。誰かと一緒に戦って。
この物語は確かに、かげないのない、私のもう一つの人生だ。
「これからもずっと、私のそばにいてね」
ここまでのご愛読、誠にありがとうございます。
物語はこのままエピローグに入ります。もう少しだけお付き合いくださいませ。




