怒れば龍の烈火の如く
龍文書―53
【大熊の肝】:苦みが強く、臭い。どんなに料理上手でもお手上げ。肝の酒漬けは、どんな酒豪もぶっ倒れるほど不味い。
「その贈り物って?」
しかし私の言葉に反応せず、ナナナキヒメは周りの木より少し大きな大木の根元を掘り始めた。
「手伝おっか?」
――――無視。
最早無駄だと思ったので、私は彼女が目当ての物を掘り起こすのを、ただただじっと眺めていた。…………すると。
「……ない」
しばらく掘り進んだ後、彼女は肩を落として小さく呟いた。
「ないって、送り物が?」
「――そんな! ここに隠しておいた筈なのに!」
血眼になって辺りも掘り始めるナナナキヒメ。かける言葉も見つからない。と言うより、言葉を掛けたくとも、彼女の形相がそれを止めさせるのだ。
「どこッ! どこに行ったのよッ、何で!」
「……ソウ様」
ユキメが身体を寄せてくる。彼女もナナナキヒメの異常な行動に何かを感じたのだろう。
「……お主らか? お主らが奪ったのだなッ!?」
遂に彼女は私たちにも怒りの矛先を向けた。しかしサカマキは動じない。
「えっ。私たちは何も……」
「返せッ! あれは私の物だぞ!」
唯一の蒼眼を大きく見開くナナナキ。その瞳孔は糸のように細く、まるで龍人族のような目をしている。
「返さぬと言うのであればッ!」
「――――探し物はこれじゃろ?」
一触即発。
その言葉が頭を過った瞬間。ふと風のように翁カナビコが姿を現した。その手に小さな包を持って。
それは土で汚れた小包。それを見た瞬間、ナナナキヒメは身構え、指の爪を尖らせながらカナビコに襲い掛かろうとした。
「動くでない」
しかしカナビコはそれに動じず、どこからか拾ってきた木の枝を彼女に向けた。
対するナナナキも、自身に向けられた枝先を警戒し、その身をたじろがせる。
「お聞き入れ感謝申す。……それと、コレは返そう」
そう言ってカナビコは、小包みを彼女に手渡すが。しかし人の物を奪っておきながら何を言ってるんだ。と、状況に追いつけず混乱する私。
「中身を見て、しまわれたのですか?」
赤い液体が滲む小包。それを大事そうに懐に入れて、彼女は小さく問いただす。
「うむ。大熊の肝じゃな」
「…………え?」
その言葉に私は肝を抜かれる。
――大熊の肝? ヤヅノ蛇神の好物だ。何で 彼女はそんなものを。まさかクマの死体を盗んだ犯人って…………。
「ナナナキ比売よ。お主に問う。なに故うぬは大熊の肝なぞ隠しておったのじゃ?」
カナビコが問うと、彼女は膝から崩れ落ち、細かった瞳孔を丸くして涙を浮かべる。
そうして林に響き渡るのは、鳥のさえずりのような泣き声。その悲しげな哀哭。
乾いた落ち葉が涙をすすり、その端端に至るまで潤いを取り戻した時、彼女はゆっくりと口を開く。
「…………私は、この黄美山の小さな川から生まれた神でした」
涙を流すが、もはや光が宿っていない眼。そんな虚ろな表情を浮かべて、彼女は語り始める。
「信仰も少なく、力を保つのがやっとだった私は、ただただこの山を彷徨っていました」
拭っても拭っても溢れる涙を滴らせながら、彼女は続ける。
「ある日、私の前に二柱の夫婦が現れてこう言いました。『私たちは貴女様を信仰する者です』と」
――――二柱の夫婦? いや、まさかな。
「あの時の私にとって、その言葉はとても嬉しい言葉でした。ですが、その嬉しさも束の間、彼らは私を攫い、川から遠く離れた場所に私を閉じ込めました」
…………神を攫う夫婦。やはりユキメの言う通りだったって訳か。
私たちの推測が、確信へと変わった瞬間だった。
「夫婦は私に言いました。『アナタは美しいから完璧な神様になりなさい、そうすれば家に帰してあげる』と。だから私は頑張りました。何里も離れた村々へ行き、信仰を集めました」
とても嘘をついている様には見えない憂い表情。泣くのを我慢して必死に話す様を見て、私はとても耐えられそうになかった……。
「でも私は駄目でした。小さな川だから、誰も奉ってくれませんでした。そしたら、あのおばさんが怒って、『お前はもういらない』って」
――――私を包む腕に力が入る。そんなユキメの怒りが、私を冷静のままでいさせてくれた。
「それで、あの夫婦に出されたご飯を食べたら、身体が燃えるように熱くなって、息も出来なくなって、気付いたら私は食べられてて……」
「もうよい」
カナビコは片膝を着き、項垂れる彼女の頭に手を置いた。
相当悔しかったんだろうな。だから熊の肝を使って蛇神を呼び、オガ夫婦を襲わせようとしたのだろう。
「ねえ。ナナナキヒメの家族って?」
今の話から何となく気付いていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「いない。私は自然から生まれた神だから」
「じゃあ、私達に案内しようとしてた場所って」
私がそう聞くと、彼女は着物の袖を強く握りしめる。布のひしめき合う音が聞こえるくらいに。
「あの夫婦のところ……。私、あいつらが許せなくって。それで……。それで」
目じりにシワが出来る程、彼女は強くまぶたを閉じる。それでも窮屈そうに溢れる涙は、彼女の感情を強く表していた。
何も悪い事をしていないのに降りかかった不幸。故に彼女は…………。
「復讐しようとしたんだね」
私がその言葉を出すと、彼女は堪えていた涙を噴き出させる。
「――――だってッ! 痛かったから! 悔しかったからぁッ!」
精一杯口を開けて泣き叫ぶナナナキ。
「どうしてほしい?」
――――私は彼女の耳元でそう囁いた。
「殺してッ! 腕を千切って、目をくりぬいて、私に食べさせて」
叫び、彼女はそのまま泣き伏せてしまった。
「なりませぬぞナナナキ殿。それではお主が荒ぶる神になってしまう」
あくまでも公平な立場である天つ神は、彼女を言葉で止めた。
しかし龍人は、彼女の“願い”を確かに聞き入れた。
アマハル様は幸せを願う神。他人を傷つけるような願いは決して聞かない。それじゃあ、こうして誰かから幸せを奪われた者は、一体誰に願えばいいのだろう。
その考えがずっと心の中で引っかかっていた。歯に挟まった肉の繊維のように。初めて祝詞を奏上したあの時からずっと。
「……私が叶えればいいんだ」
困った人を見過ごせないのは私も同じだ。でもアマハル様は、体裁を保つために不純な願いを聞くことは出来ない。
だからあの時、彼女は私に言ったんだ。「私は人々の幸せを願う神」だと。
私の性格を知っていたから、アマハル様は私を神使にしたのだ。彼女に出来ないことを、私にしてほしかったから。
だったら最初からそう言ってよ。本当に、JKのような分かりづらい心の持ち主だ。
「ナナナキヒメ。お主の願い、確と聞き入れたぞ」
私の言葉を聞いていたかは分からない。それでも私は、天を仰いで慟哭する彼女の耳元でそう囁いた。
「纏い…………?」
静かに読み上げる祝詞。何をしようとしているか、ユキメには分かったのかもしれない。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
最後の詞。その瞬間、私の身体が神を纏う。
「日、陽。祈願、所願成就」
私は願う。“善良なる人々を幸せにできる程の力を、どうか私にお与えください”
「誤るでないぞ。ひふみ」
私とアマハル様だけの世界。そこで彼女は確かに、その言葉を私に言った。
「――――あぁ、大御神様」
「――――我が君ッ!」
カナビコとサカマキが私にお辞儀をする。腰を曲げての最敬礼。そのお辞儀は確かに私へと向けられたもの。
「ソウ様……。なのですよね?」
片膝を着き、見知らぬ誰かを見るような目を向けるユキメ。そんな彼女の頭に、私はそっと手を添える。
「私の龍よ、荒ぶる神の元へ、私を連れていきなさい」
「大神……様?」
彼女の額に汗が伝う。
ユキメが私に向ける目は、最早いつもの眼差しではない。それは私も分かっている。
私が私じゃない感覚。私という存在を、背後から眺めて操っている様だ。
「神憑…………?」
カナビコの口から出てきた言葉、神憑。まさに自身の身体を神に捧げる術。しかし今の私は、確かに私自身であり、この体も確かに私の物だ。
「ユキメ、……大丈夫だよ」
私が微笑むと、ユキメはいつもの表情に戻った。
「さあ、行こ」




