伸ばした腕は何も掴めず
龍文書―50
【ミカヅキ】:白兎族の村長。背が小さく、全体的に丸っこい。
――――しかし、まだ完全に回復したわけではないミカヅキは、腕の傷口を抑えながら苦しそうに唸る。
巻かれた包帯に血がにじむ。それは虫食いのようにどんどん広がっていった。
「おじいちゃん!」
「村長!」
ユウヅキとウヅキ。更に他の白兎族も心配そうにミカヅキの身を案じる。
「大丈夫じゃ。……ウヅキ。すまんが、ユウヅキを連れて外に出ておれ」
呼吸のような掠れた声。彼は今、想像も絶するほどの痛みと戦っているのだろう。
それでも、自身が苦しむ姿を見せたくないのか、ミカヅキは気丈に振舞いながら、微笑んでウヅキにそう言った。
「うん。分かった」
「いやだ! ユウヅキはおじいちゃんといる!」
「駄目だよユウヅキ。村長は疲れてるんだ」
しかし、ウヅキもまだ彼の傍に居たいといった様子だった。
「……いやだよお」
「ほら。行くよ」
――それでも妹想いゆえに、彼はすぐにユウヅキを引き連れてすぐさま部屋を後にした。
「ふぉふぉ。子供らの前では強がっていたが、やはりしんどいのう」
それもそうだ。腕が無くなり、血も足りていないのだから無理もない。しかし彼もウヅキ同様、家族に心配かけまいと平気を装っていたのだ。
「……大丈夫なんですか?」
まだまだ不安が拭い切れない。まるでいつ消えてもおかしくない蝋燭を見ている様だ。
「ええ。ご心配なさらずとも、わしはまだまだ生きて見せますぞ」
そう言ってミカヅキは、無い方の腕を空に掲げる。定かではないが、私にはそれが、力こぶを作っているようにも見えた。
「…………それで。村には今、誰がおらぬのじゃ?」
優しさに溢れた表情から一変。村長は、眉間のシワをさらに深くさせ、険しい顔つきで白兎の男に問うた。
そして村長の隣に座っていた男は、一気に視線を落として、ふた呼吸ほどの間を置いた後に、ゆっくりとその口を開く。
「…………ハナツキ」
重たそうな口をこじ開け、彼はその名前から始めた。
「キヅキ。ヤマツキ。モウヅキ。ハヅキ……」
男の口から次々と名前が出てくる。
止むことの無い名前の羅列は、激しく、そして休むことなくミカヅキの感情を足元から崩していく。
「オオツキ。ナツキ。ワヅキ。トウツキ。カワヅキ。ミナツキ……。」
涙が落ち、着物には小さなシミが幾つも出来ている。――――そしてミカヅキは空気を握りしめた。
「なんということじゃ……。まだ年端も行かぬ幼子までもが。何という事じゃ……。何という事じゃ」
玉のように小さな村長は、布団の上で更にうずくまる。
「かの神には、御慈悲と言うものが無いのか……ッ!」
叫んだ衝動で痛みが走り、無い腕を抑えて唸るミカヅキ。そんな“痛み”に耐えるその姿は、とてもウヅキたちに見せられるものではなかった。
「村長ミカヅキ。ヤヅノ蛇神は、私が必ず仕留めます……」
うずくまり、小刻みに震える小さな肩。それは私の手が大きく見える程の小ささだ。
荒ぶる神は、彼の腕を奪うどころか、逝ってしまった者達に手を合わせる事さえ許さなかった。
「ですからどうか、それまでは祈ってください。私が荒ぶる神に、十分な苦しみを与えられるように」
もはや何も考えてはいなかった。ただ一つのこと以外は何も。だから私はその言葉を吐いてミカヅキに誓った。
――――そうして西ノ宮を出てミカヅキ本陣へ戻ると、ユキメが心配そうに私の元へと駆け寄って来た。
「ソウ様。大丈夫ですか?」
「うん」
彼女は私の顔を見て、その眉根を吊り上げる。一体私は、どんな顔をしているのだろうか。
「…………どうか、されたのですか?」
「ちょっとね」
とてもユキメには話せない。誰かの苦しみを私が切に願っているなんてことは、絶対に言えない。
「そう、ですか……」
切なげな表情で視線を落とすユキメ。私に隠し事をされたのがショックなのだろう。
「……ねぇ。今日はもう遅いし、家に帰ろ?」
その頬に手を添えて、下に向いた彼女の視線を私へと向けさせる。
目を細めて悲し気な表情を浮かべるユキメ。それでも、あんな私を知ったら彼女はもっと悲しんでしまうだろう。
「はい」
ユキメとの間にしばし生れた沈黙は、パチパチと鳴る囲炉裏の音をやけに五月蠅く感じさせた。
いくら言い辛かったと言えど、ユキメを悲しませてしまったという事実は、潰れそうだった私の心にさらに重くのしかかってきた。




